万年初心者のための世界史ブックガイド

2008年5月6日

堀米庸三 『正統と異端』 (中公新書)

Filed under: ヨーロッパ — 万年初心者 @ 06:00

1964年刊の古い本で、中公新書の通し番号では57番とかなり早い。

現在は品切れのようですが、本書も中公新書の世界史関連本では超定番といった地位を占めていた模様。

古代から中世にかけての各種異端派をざっと紹介してあるだけの本かと思ったら、より焦点を絞った叙述で内容はなかなかハード。

新書版にしてはレベルが高い。

洗礼、叙品、聖体など、カトリック教会における秘蹟の効力についての論争が本書での主なテーマになっている。

客観主義的事効論(聖務重視論)=正統派と、主観主義的人効論(執行者重視論)=異端派との対立を軸にして、古代末期から中世盛期にかけての教会政治の流れを概観する本。

ローマ末期、デキウス帝、ディオクレティアヌス帝による迫害で一度棄教した聖職者による秘蹟が有効か否かという論争がおこり、アフリカを中心にしたドナトゥス派という異端者たちは無効論を主張し、寛容な立場を採るカトリック教会を攻撃した。

これは道徳的に厳格といえばそうだが、秘蹟の人効論を採った場合、教会内部で常に潜在する教義や利害の対立に絡み、対立者同士が相手側の秘蹟無効を宣言し合うと、宗教的統一を根底から覆す恐れがあった。

よって適切な執行条件さえ守られていれば秘蹟は有効である、なぜなら真に秘蹟を与えるのは神であって、執行者はその道具に過ぎないからという事効論が教父アウグスティヌス始め正統派の立場となる。

しかし、初期中世を通じてアウグスティヌスの教えはカトリック教会内で徹底されていたとは言えず、中世盛期に入って問題が生じる。

叙任権闘争の過程で、教皇グレゴリウス7世が人効論に近い立場を採り、反対派の叙階を含む秘蹟の無効宣言をしばしば行い、その手段の威力もあって1077年のカノッサの屈辱など一応勝利を得る。

その後、1122年ヴォルムス協約に向けて皇帝権との妥協の目処が立つと、カトリック教会は人効論を封印し、再び事効論に復帰しようとする。

しかし、叙任権闘争・十字軍によってかき立てられた宗教的情熱は人効論を武器にして既存の教会からの分離・自立を目指すアルビジョワ派(カタリ派)、ワルド派などの異端運動を惹起する。

かつてグレゴリウス改革の主役だったクリュニー修道会や11世紀末創設のシトー修道会は、その頃すでに急速に堕落しており、民衆の激情を吸収することができなかった。

そこで登場したインノケンティウス3世は、フランチェスコ修道会・ドミニコ修道会という托鉢修道会を認可し、宗教的情熱の捌け口を設け、それをカトリック教会の枠内に留めると同時に異端者の取り込みにも力を尽くす。

このインノケンティウス3世は中世教皇権絶頂期の教皇として高校世界史でも必ず暗記しなければならない人物ですが、その事績はジョン王破門を始めとする諸君主の圧伏、第4回十字軍提唱、「教皇権は太陽、皇帝権は月」という言葉など外面的なことだけが教えられ、その人間性はあまり知られていません。

それだけで判断するとただ権勢欲の強かった人物といったイメージだけを持っていた人もいるかもしれません(というか私が正にそうです)。

しかし本書を読んでそのイメージが変わりました。

最終的にアルビジョワ派弾圧を行ったものの、各種の異端認定については性急な決め付けを避け、出来得る限り慎重な調査と寛容を指示している。

また異端抑制においては、上からの強圧だけでは効果は無く、正統信仰の宣教者が異端者と同じく清貧の「使徒的生活」を行い、彼らと交わりながら粘り強く説得することが必要だとしている。

あからさまな賞賛の言葉は無いものの、著者の筆致からはこの教皇への好感が滲み出ている。

ある人物や史実について意外な一面を知り、今まで持っていたイメージを覆されるというのが歴史を学ぶ愉しみの一つですが、本書ような入門書でもそれを味わうことができるという一つの例ですね。

もちろんより高度な段階でさらにその印象が変化するということもあり得ますが、ひとまずはその通り理解しておけばいいでしょう。

以上、自分なりに内容を要約してみましたが、乏しい知識ゆえの誤読や用語の不正確さなどがあるかもしれませんので、ご自身で読んでご確認下さい。

最初は取っ付きにくい本ですが、短いページ数ながら読了するとかなりの充実感があります。

新書版でありながら比較的高度な内容、それでいて初心者でも十分読み解ける叙述。

これはなかなかの名著だと思います。

こういう手堅い啓蒙書はやはり常時在庫してもらいたいですね。

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