万年初心者のための世界史ブックガイド

2008年4月21日

萩原宜之 『ラーマンとマハティール (現代アジアの肖像14)』 (岩波書店)

Filed under: 東南アジア — 万年初心者 @ 06:00

1996年刊のマレーシア現代史。

この国は1957年イギリスから独立した、土着のマレー系および植民地時代に移住してきた中国(華僑・華人)系とインド系住民から成る多民族国家。

各州のスルタンが五年ごとに交替で国王を務める立憲君主制を採り、実際の政務は首相が行う。

与党は今日まで一貫して、統一マレー国民組織(UMNO)。この政党が中国系・インド系の小政党と組み、優勢な与党連合を維持し続けてきた。

独立以来の首相は、ラーマン→ラザク→フセイン→マハティール→アブドラと5人しかいないので覚えるのが楽。

1957年に独立。初代首相トゥンク・アブドゥル・ラーマン・プトラ。

独立前の48年ごろから武装闘争を行っていた華人系を中心にしたマラヤ共産党の鎮圧に成功。

外交面でも穏健な親西側路線を採るが、54年創設の反共軍事同盟・東南アジア条約機構(SEATO)には参加せず(米英仏豪・ニュージーランド・タイ・フィリピン・パキスタンが加盟)。

63年シンガポール・サバ・サラワクと共にマレーシア連邦結成。

フィリピンがサバへの潜在主権を主張し、スカルノ政権下インドネシアはマレーシア結成を親英反共国家の再編成ととらえて対決姿勢を鮮明にする。

65年経済混乱の中、親中容共反米路線を貫いたスカルノは9・30事件で失脚。

同年中国系住民が多数を占めるシンガポールがマレーシアから分離独立。

その後もマレー系と中国系の対立は続き、69年人種間暴動事件が起こり、翌年ラーマンは辞任。

1970年首相トゥン・アブドゥル・ラザク。

植民地時代以来商工業での中国系住民の優位な立場を変更するため、ブミプトラ(土地の子=マレー人優遇)政策を開始。

71年以降の米中接近を受けて、74年中国との国交樹立。

1976年ラザク病死。首相ダトゥク・フセイン・オン。

ブミプトラ政策による中国系住民の不満を和らげるため政策を一部修正(と前書きと終章には書いてあるのだが、本文中にはそれらしき記述がない)。

イスラム運動(ダーワ運動)の展開が目立ってくると、その一部を政権与党に取り込み、過激な部分を取り締る。

一時マハティールの後継者と目されていた副首相のアヌワール(アンワル)もイスラム青年運動の出身者。

1981年首相マハティール・ビン・モハマッド。

日韓との経済協力を推し進めるルック・イースト政策やアメリカを排除した「東アジア経済協議体(EAEC)」を提唱、「アジア的価値観」の確立を主張する。

本書の記述はこれまでであり、当時副首相兼財務相だったアンワルのマハティール後継が確実視されているが、97年アジア通貨危機への対応に関する意見の相違から両者は決裂、アンワルは失脚・逮捕。

03年には温厚なヒゲのおじさんといった風貌のアブドラが後継首相に就任することになった。

先日の総選挙では与党が三分の二を割って、アンワル率いる野党勢力が躍進しましたが、さてこれからどうなるか。

はっきり言って内容は平凡で、取りたてて面白い部分も無いですが、なにしろ高校世界史ではヴェトナムはもちろんタイ・フィリピンに比べてもこの国の現代史は手薄で、ほぼ完全に空白状態ですから(02年版山川の『世界史B用語集』ではマハティールの名前だけ載っている)、事実関係を淡々と述べているだけの本書のようなものでも結構有益です。

マレーシア史については、素人は本書と先日記事にした『マレーシアの歴史』の2冊だけ読んでれば十分すぎるんじゃないですかね。

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