万年初心者のための世界史ブックガイド

2008年3月9日

ザイナル・アビディン・ビン・アブドゥル・ワーヒド 編 『マレーシアの歴史』 (山川出版社)

Filed under: 東南アジア — 万年初心者 @ 06:00

シンガポール、ブルネイ、東ティモールの小国を別にすれば、東南アジア諸国のうちでこの国の歴史は最も馴染みが無いし、知られていないんじゃないでしょうか。

高校世界史だと有史以来極めて長い間空白で、統一国家は15世紀に栄えたマラッカ王国だけで(東南アジア初のイスラム政権という意味では非常に重要ですが)、成立からわずか百年ちょっと経った1511年アルブケルケ率いるポルトガル軍に征服され、以後西欧勢力支配下に、といった調子で、マゼラン来航以前のフィリピン史ほどでなくても、「どうもパッとしない歴史だなあ」(失礼)という感想を持ってしまいます。

そういうわけで、やたら長いお名前の現地の方が編集したこの本を見つけたときも、「ひょっとして無味乾燥で煩瑣なだけの、膨大な史実の集積といった感想しか持てないんじゃないか」と懸念したのですが、幸い杞憂に終りました。

もともとラジオの一般向け教養講座放送として作られたもので、現地の高校レベルに合わせた記述だそうで、特に難しいところはありません。

古代以来、マレー半島は長年対岸スマトラ島のシュリーヴィジャヤ王国の勢力下におかれる。

14世紀末にマラッカ王国成立。上の方でポルトガル征服後はずっと西欧支配下と書きましたが、それは私の無知ゆえの単純化で、旧マラッカ勢力が落ち延びたジョホール(シンガポールのすぐ北にある半島南端部の地域)を中心として各地にマレー人政権が存続してます。

以後ジョホール王国、マラッカの西欧勢力(ポルトガル→1641年の占領後はオランダ)、この頃スマトラ西部に台頭したアチェー王国の三つ巴の争いがしばらく続く。

ジョホールではトップのスルタンは土着のマレー系だが、セレベス島(スラウェシ島・現インドネシア)から移住してきたマレー系ブギス人が支配的地位を占め、両者の確執が災いして没落の道を歩む。

その後、1623年のアンボイナ事件で東南アジアからほぼ撤収していたイギリスが18世紀後半から進出してきて、まず1786年半島北西部のペナンを領有。

ナポレオン戦争中、オランダがフランス支配下に入ったのを機にジャワ島も占領するが、これはウィーン議定書でオランダに返還。(そのかわりセイロン島と南アフリカのケープ植民地を手に入れたのはご承知の通り。)

話が逸れますが、フランス支配下のオランダで一時「バタヴィア共和国」というものができますが、「バタヴィア=ジャカルタの旧名」という知識が頭に入ってたので、高校生の頃「何で植民地の地名を本国の国名に付けるの?」と不思議でしょうがなかったんですが、これは言うまでも無く逆で、オランダの旧名のバタヴィアを植民地の市名にしたものです(カエサル『ガリア戦記』で今のオランダ辺りにいた蛮族としてバタウィ族というのが出てきます)。

1819年にはラッフルズがシンガポール市を建設。1824年にはオランダからマラッカを譲り受ける。

1826年ペナン・マラッカ・シンガポールの三地域で海峡植民地形成。

その他の地方の内政にも徐々に干渉して顧問の設置や保護国化を進め、1896年にマレー連合州を成立させる。

この植民地化の経緯は一応教科書にも載ってますが、やはり印象が薄いですね。

なおこの過程では大規模な征服戦争などは行われず、地方政権に徐々に浸透していくという手段だったので、旧統治階層は破壊されることなく存続することができた。

そういや、今もマレーシアは各州のスルタンが輪番で国王を務めるという、ちょっと変わった形の立憲君主国ですね。

私は海峡植民地がマレー連合州の中に吸収され消滅したと勘違いしていたが、実際は直轄地としての海峡植民地とイギリス保護下にある連合州諸国は並存しており、さらに北部のいくつかの地方は連合州にも参加せず、単独で保護協定を結んでいるという状態だったらしい。

以後、本書の記述は独立運動から1957年マラヤ連邦独立までで、1963年マラヤ・シンガポール・サバ・サラワクで結成したマレーシア連邦成立、65年シンガポール分離独立などは扱われていません。

独立前後の、中国系住民を中核としたマラヤ共産党の反乱鎮圧については『アジアの革命』に関連記述があります。

マレーシアの飛び地領土としてのサバ・サラワクの歴史にも軽く触れられている。

マレー半島の東にボルネオ島(別名カリマンタン島)というものすごくデカイ島がありますが、その北西部がマレーシア領となっています(それ以外はインドネシア領)。

そのうち北部3分の1位がサバ州で、南西に伸びた残り3分の2がサラワク州。

サラワクの北端辺りに現在独立国のブルネイがある。

もともとこの領域はブルネイ侯の統治下にあった(「ボルネオ」自体ブルネイのなまりとのこと。言われてみれば似てるが全然気付かなかった)。

それから徐々にイギリスの勢力下に移っていくのだが、サラワクではそれが非常に特異な経緯をたどる。

19世紀半ばにサラワクの反乱に手を焼いたブルネイが、イギリス人ジェームズ・ブルックに鎮圧を依頼し、薪水補給地確保を狙う英国海軍の力を利用してブルックがサラワクを平定し、ブルネイからラージャ(王)の称号を与えられる。

「白人王」となったブルックの地位は子孫にも伝えられ、第2次大戦後イギリスの直轄植民地となるまで、サラワクはブルック王朝の統治下におかれた。

この話は小耳にはさんだことはあったが、改めて読むとやはり少々驚きである。

中盤のマレー各地方の情勢など、ちょっと細か過ぎる部分がありますが、そういうところは立ち止まらず軽く流せばいいでしょう。

少しわかりにくかったり、説明不足を感じることもありますが、巻末の詳しい訳注が有益ですので、これを読んで補強すると良いでしょう。

類書の少ないマイナー分野の本としては、悪い本ではないと思います。

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