万年初心者のための世界史ブックガイド

2008年3月29日

中川八洋 『正統の哲学 異端の思想』 (徳間書店)

Filed under: 思想・哲学 — 万年初心者 @ 06:00

著者名見ただけでギョッとした人もいるかもしれません。

西部邁氏の本を20年ほど読み続けていると、馬鹿は馬鹿なりに一定のイメージができてくるので、本書の各思想家への評価に特に違和感があるわけでもない。

君主制や貴族制はどれほど堕落しても全体主義を生み出すことはないが民主制は違うということ、全体主義は民主主義の反対概念ではなくその派生形態であるということにも異論はありません。

そういうことを思想家の著作の引用を多数散りばめながら論じていく文章は面白くないことはない。

高校教科書のレベルでルソーやマルクスは教えられても、バークやトクヴィルについては名前も出ないのはおかしいと私も思います。

正統派の保守的思想家の翻訳が著しく少ないというもの同感です。

アクトン卿の『フランス革命講義』、(呉智英氏が旧訳に度々言及する)タルモンの『フランス革命と左翼全体主義の源流』、ジョゼフ・ド・メーストルの『フランスについての考察』は特に訳書が出て欲しいです。

ただ、英米系の保守的自由主義思想だけが正しくて、あとは全てインチキと言わんばかりの論調が気になる。

それを現実政治上の親米英主義に繋げようとするところはもっと気になる。

それと、この方のレッテル貼りと罵倒癖は何とかならないんでしょうか。

本書はまだいいんですが、以前某誌でロマノ・ヴルピッタ(『ムッソリーニ』の著者)と論争した際の文章を読んで、「こりゃ酷いな」と思った記憶があります。

他の本も読んでみると、どうもファナティックで矯激に過ぎるという印象を持ってしまいます。

まあ、しかしそれは他人の振り見て我が振り直せということかもしれません。

私もはるかに低いレベルにおいてですが、このブログで大した知識も無いのに本を貶したり著者の悪口書いたりしてますからね。

そういうのが不快に感じられた方には謝っておきます。

また、一つ一つは短いものの、本書で引用されている思想家たちの文章には非常に考えさせられるものが多いです。

気が向いたら一度手にとってみるのも良いかと思います。

ただ私としてはやはり先ず西部氏の『思想の英雄たち』をお勧め致します。

「現代の独裁の重要な特徴の多くはデモクラシーの産物である」「近年における大衆民主制の出現と、伝統的諸制度の崩壊のおそれとが、・・・・・今日の独裁出現の歴史的前提である」(ジグムント・ノイマン)

「全体主義は大衆の国家である。・・・・・全国民を群衆に変形させ、情緒的緊張の状態におき、そして過去の価値を全面的に否定しかつ破壊する・・・・・体制である」(エミール・レーデラー)

「主権がどこにあるのかと問われるなら、どこにもないというのがその答えである。立憲政治は制限された政治であるので、もし主権が無制限の権力と定義されるなら、そこに主権の入り込む余地はありえない。・・・・・無制限の究極的な権力が常に存在するに違いないという信念は、あらゆる法がある立法機関の計画的な決定から生まれる、という誤った信念に由来する迷信である」(フリードリヒ・ハイエク)

「無制限の民主主義は、民主主義とは別種の制限された政府より、悪い」(同上)

「イギリス国体の優秀性は、・・・・・君主制的要素、貴族制的要素、民主制的要素が、それぞれ最高主権を分有し、最高主権の発動のためには、この三者全部の同意が必要であるとされる点である」(ウォルター・バジョット)

「近代の政治理論は、国家の権威のみを別としてその他すべての権威を一掃した。すなわち、国家のなかの内部集団、共同体、階級あるいは法人が自治的機能を有することを許さなかった。特権の廃止を絶対として、これらの権威の主体はことごとに解体させられた。自由は個人のものとなったが、自由はこれらの権威から切り離された。・・・・・その結果、個人の自由は国家権力に剥奪される危険にさらされるようになった」(アクトン卿)

「人権宣言は当然、人間のもつ義務の宣言と関連していなければならぬことを忘れ果てている・・・・・人権が人間のもつ義務から引き離されてしまった道は、諸君を善に導くことはしなかった。・・・・・義務の意識がなく権利のみを主張する結果、人間の利益と欲情の闘争の道へ、また相競って相互排除する権利の主張へと人間を押しやった。・・・・・人間の義務は権利よりも深い。・・・・・権利は義務から由来するものである」(ニコライ・ベルジャーエフ)

「<自然的>人間を解放すれば、生れてくるものは悪だけである」(同上)

「人間が単なる自然的、社会的環境の相似にすぎず、外的条件の反射、必然の子にすぎないのならば、人間には神聖な権利も、義務もない。つまり彼にあるものは、利益と欲望だけである」(同上)

「群集は軽信なばかりか、狂気でもある。群集についてこれまで述べたたくさんの性質は、また精神病院の患者の性質でもある。たとえば誇大妄想、不寛容、あらゆる点の無節制など。群集は狂人と同じで、たえず躁と鬱の両極を往復する。ときには英雄的にいきりたち、たちまち周到狼狽して自失する。群集はまさしく、集団的な幻覚をもつ」(ガブリエル・タルド)

「<世論>は、・・・・・あるときには流行の新しい主義(ドクトリン)に熱中して、これまでの慣習的な思想・制度を荒しまわったのち、それらにとって代わろうとする。あるときは<慣習>の威を借りて理性的な改革者たちを圧迫・放逐し、伝統のお仕着せという偽善的な仮装を身にまとえと強要する」(同上)

「人間の堕落を防止するためには、人々を愚劣にする主権というものを、誰にも与えないことである」(アレクシス・トクヴィル)

「国民主権のなかでは、国民は滅亡する。国民は機械的量のなかに埋没し、自分の有機的、全体的、不可分的精神をそのなかで表現することができない」「国民主権は、人間主権である。人間主権はその限度を知らない。そして、人間の自由と権利を侵犯する」(ベルジャーエフ)

「政治それ自体における偉大な、そして長期的に見ればおそらく最大のアメリカ的革新は、共和国の政治体内部において主権を徹底的に廃止したということ、そして、人間事象の領域においては、主権と暴政とは同一のものであると洞察した」(ハンナ・アレント)

「全体的支配は大衆運動がなければ、そしてそのテロルに威嚇された(としても)大衆の支持がなければ、不可能である。・・・・・大衆の信頼なしにはヒットラーもスターリンも指導者として留まれなかっただろう」(同上)

2008年3月26日

渡辺金一 『中世ローマ帝国』 (岩波新書)

Filed under: ビザンツ — 万年初心者 @ 06:00

先日の『コンスタンティノープル千年』と同じ著者の前著。

第一章で、民族大移動の混乱の中で西方帝国が滅亡するのを為すすべなく傍観し、ひたすら蛮族侵入の嵐が過ぎ去るのを待ってようやく生き延びた無力な存在、というイメージに反し、古代統一帝国理念を継承し蛮族に擬制的親族秩序に基く称号を授与して、中国の冊封体制のような国際秩序を築いた東ローマ帝国の一面を叙述している。

第二章では、皇帝権は無制限な独裁的権力ではなく、古代以来の法理念やキリスト教思想によって、実際には様々な制約が課されていたことが記される。

ここまでで約半分で、まあ普通に読めたのですが、以後が宜しくない。

第三章の帝国周辺に興隆した二大民族としてのゲルマン社会とアラブ社会の比較が出てくるのですが、何だか結論がどこにあるのかよくわからない文章。

最後の第四章は「ローマ領シリアにおけるオリーヴ・プランテーション村落の興廃」というタイトルで、これまでの章と毛色が変わり過ぎ。

何でこんな個別的過ぎる研究がいきなり割り込んでくるのか???

面白くもないのでこの章は読むのを止めました。

ちょっと私には良さがわからない微妙な本でした。

2008年3月22日

安倍源基 『昭和動乱の真相』 (中公文庫)

Filed under: 近代日本 — 万年初心者 @ 06:00

戦前、内務官僚としてキャリアを積み重ねた著者による回顧録的史論。

著者は警視庁特高部長、警視総監を経て、終戦時鈴木貫太郎内閣では内務大臣を務める。

以上の経歴が災いして戦後「A級戦犯」容疑者として拘置されるが、3年後不起訴釈放。

1977年本書の原版を刊行し、平成元年没。

安倍前首相とは関係が無い模様(前首相の父方の祖父安倍寛と著者とはたぶん無関係だと思うがはっきりとはわかりません)。

北伐開始に伴い排外運動が過激化する中国での勤務から筆を起こし、1930年ロンドン海軍軍縮条約をめぐる統帥権干犯問題から、敗戦後の拘置・尋問までを記す。

文章は読みやすく、難解で詰まるような部分はほとんど無い。

文庫版で500ページを超えるがスラスラ読める。

それでいて最後まで読めば、昭和前期の歴史の動きが無理なく頭の中に入るようになっている。

重光葵『昭和の動乱』(中公文庫)と似たタイプの本(タイトルも似てますが)。

末尾の水谷三公氏と黒澤良氏の対談解説も参考にして、本書の特色を記すと、まず1930年のロンドン条約による国内の騒乱を非常に重視している。

それも、この軍縮条約を支持した「条約派」が善で、反対した「艦隊派」が悪とは見なさず、その後の海軍の分裂と人材の喪失・軍の政治介入のきっかけになったという結果論からみて、条約に調印したこと自体が間違いだったと著者は判断する。

よって、本書では普通良識派とされる岡田啓介ら海軍穏健派に対する評価は低い。

岡田に関しては二・二六事件直前に陸軍内の不穏な空気を著者らが警告したにも関わらず、真剣に取り合わなかったことも記されている。

同じく穏健派海軍軍人である米内光政についても、第一次近衛内閣の海相として1938年蒋介石政権との和平交渉打ち切りと「国民政府を相手とせず」の第一次近衛声明にあっさり同意を与えたことに対してかなり批判的である。(前年の第二次上海事変での出兵主張よりも、この交渉打ち切り支持を米内の致命的失策と見做すのは大杉一雄『日中十五年戦争史』(中公新書)と同じ。)

山本五十六についても、大敗におわったミッドウェー海戦の作戦計画を職を賭して強行するくらいなら、開戦前に対米戦反対の意志をより強く表明すべきだったのではないかとしている。

一時著者がトップに立っていた特高警察について言うと、1928年の三・一五事件、29年の四・一六事件や以後の大規模検挙によって1934・35年ごろには日本共産党が壊滅状態となる。

以後特高の取り締り対象は極右国家主義勢力が主となり、私も全く知らなかったが、1940年米内内閣打倒を目指した「皇民有志蹶起事件」などが摘発されている。

著者は、特高はナチス・ドイツのゲシュタポ、ソ連のGPU(ゲー・ペー・ウー)のような秘密警察ではなく、法に従って極右・極左の勢力を取り締っただけだと主張している。

終戦決断の過程で宮中と鈴木首相がやらざるを得なかった際どい神経戦や戦後占領軍による尋問の描写も興味深い。

かなり面白い本です。個人の回顧録としての部分が興味深い上に、時代説明の部分も史実が適切に配列されわかりやすい。

初心者にとって有益な本だと言えましょう。

2008年3月19日

高島俊男 『しくじった皇帝たち』 (ちくま文庫)

Filed under: 中国 — 万年初心者 @ 06:00

隋の煬帝と明の建文帝のごく短い評伝からなる本。

後者は幸田露伴の『運命』という作品についての論評という形式。

『中国の大盗賊』『三国志きらめく群像』を読んで思ったことだが、この人の文章は本当に面白いし、話の運び方が上手い。

素人が読む歴史読物としては最高レベルじゃないでしょうか。

率直に言って本書は、上の2冊が素晴らしいのに比べると分量が少なく物足りないこともあって、やや落ちるかなといった感じですが、決して悪い本ではないです。

楽に読めますので、気軽にお手にとってください。

著者は中国文学が専攻の方ですが、こういう歴史モノも多く出して欲しいと切に願います。

2008年3月16日

ショーペンハウエル 『読書について』 (岩波文庫)

Filed under: 読書論 — 万年初心者 @ 06:00

確か大学時代に読んだはず。

だが、細かな内容はほとんど記憶に無い。

わりと面白かったという印象が残るのみ。

他に書くことも無いのですが、ゴーロ・マン『近代ドイツ史』(みすず書房)で大きな特色を成している思想家に関する章のうち、読んでいて個人的に一番好感が持てたのが、ハイネでもマルクスでもニーチェでもなく、ショーペンハウエルだった。

主著である『意志と表象としての世界』などは、私の頭ではチンプンカンプンで絶対読めないので、この人の政治論をまとめた訳書がどこかから出てくれないかと思う。

白水社から出ていた全集では13巻に収録されている「法学と政治によせて」がその種の文章でしょうか。

今度図書館で借りてみようかと思います。

2008年3月13日

宮崎市定 『東西交渉史論』 (中公文庫)

Filed under: アジア — 万年初心者 @ 06:00

宮崎御大の東西交渉と中国周辺部の歴史に関する文章を集めた本。

真ん中あたりの「条支と大秦と西海」や「南洋を東西洋に分つ根拠に就いて」は少々難しいので、飛ばし読みでいいでしょう。

あとはスラスラ読めて割と面白い。

本書も1998年に出た時には読まずにいたら、今は品切れ。

せめて中公文庫の宮崎氏の本は全部在庫してもらえませんかね。

といっても未読の分のうち、『九品官人法の研究』は難しすぎて読めないし、『謎の七支刀』と『水滸伝』は興味が薄いので読む気がしないのも事実なんですが。

2008年3月9日

ザイナル・アビディン・ビン・アブドゥル・ワーヒド 編 『マレーシアの歴史』 (山川出版社)

Filed under: 東南アジア — 万年初心者 @ 06:00

シンガポール、ブルネイ、東ティモールの小国を別にすれば、東南アジア諸国のうちでこの国の歴史は最も馴染みが無いし、知られていないんじゃないでしょうか。

高校世界史だと有史以来極めて長い間空白で、統一国家は15世紀に栄えたマラッカ王国だけで(東南アジア初のイスラム政権という意味では非常に重要ですが)、成立からわずか百年ちょっと経った1511年アルブケルケ率いるポルトガル軍に征服され、以後西欧勢力支配下に、といった調子で、マゼラン来航以前のフィリピン史ほどでなくても、「どうもパッとしない歴史だなあ」(失礼)という感想を持ってしまいます。

そういうわけで、やたら長いお名前の現地の方が編集したこの本を見つけたときも、「ひょっとして無味乾燥で煩瑣なだけの、膨大な史実の集積といった感想しか持てないんじゃないか」と懸念したのですが、幸い杞憂に終りました。

もともとラジオの一般向け教養講座放送として作られたもので、現地の高校レベルに合わせた記述だそうで、特に難しいところはありません。

古代以来、マレー半島は長年対岸スマトラ島のシュリーヴィジャヤ王国の勢力下におかれる。

14世紀末にマラッカ王国成立。上の方でポルトガル征服後はずっと西欧支配下と書きましたが、それは私の無知ゆえの単純化で、旧マラッカ勢力が落ち延びたジョホール(シンガポールのすぐ北にある半島南端部の地域)を中心として各地にマレー人政権が存続してます。

以後ジョホール王国、マラッカの西欧勢力(ポルトガル→1641年の占領後はオランダ)、この頃スマトラ西部に台頭したアチェー王国の三つ巴の争いがしばらく続く。

ジョホールではトップのスルタンは土着のマレー系だが、セレベス島(スラウェシ島・現インドネシア)から移住してきたマレー系ブギス人が支配的地位を占め、両者の確執が災いして没落の道を歩む。

その後、1623年のアンボイナ事件で東南アジアからほぼ撤収していたイギリスが18世紀後半から進出してきて、まず1786年半島北西部のペナンを領有。

ナポレオン戦争中、オランダがフランス支配下に入ったのを機にジャワ島も占領するが、これはウィーン議定書でオランダに返還。(そのかわりセイロン島と南アフリカのケープ植民地を手に入れたのはご承知の通り。)

話が逸れますが、フランス支配下のオランダで一時「バタヴィア共和国」というものができますが、「バタヴィア=ジャカルタの旧名」という知識が頭に入ってたので、高校生の頃「何で植民地の地名を本国の国名に付けるの?」と不思議でしょうがなかったんですが、これは言うまでも無く逆で、オランダの旧名のバタヴィアを植民地の市名にしたものです(カエサル『ガリア戦記』で今のオランダ辺りにいた蛮族としてバタウィ族というのが出てきます)。

1819年にはラッフルズがシンガポール市を建設。1824年にはオランダからマラッカを譲り受ける。

1826年ペナン・マラッカ・シンガポールの三地域で海峡植民地形成。

その他の地方の内政にも徐々に干渉して顧問の設置や保護国化を進め、1896年にマレー連合州を成立させる。

この植民地化の経緯は一応教科書にも載ってますが、やはり印象が薄いですね。

なおこの過程では大規模な征服戦争などは行われず、地方政権に徐々に浸透していくという手段だったので、旧統治階層は破壊されることなく存続することができた。

そういや、今もマレーシアは各州のスルタンが輪番で国王を務めるという、ちょっと変わった形の立憲君主国ですね。

私は海峡植民地がマレー連合州の中に吸収され消滅したと勘違いしていたが、実際は直轄地としての海峡植民地とイギリス保護下にある連合州諸国は並存しており、さらに北部のいくつかの地方は連合州にも参加せず、単独で保護協定を結んでいるという状態だったらしい。

以後、本書の記述は独立運動から1957年マラヤ連邦独立までで、1963年マラヤ・シンガポール・サバ・サラワクで結成したマレーシア連邦成立、65年シンガポール分離独立などは扱われていません。

独立前後の、中国系住民を中核としたマラヤ共産党の反乱鎮圧については『アジアの革命』に関連記述があります。

マレーシアの飛び地領土としてのサバ・サラワクの歴史にも軽く触れられている。

マレー半島の東にボルネオ島(別名カリマンタン島)というものすごくデカイ島がありますが、その北西部がマレーシア領となっています(それ以外はインドネシア領)。

そのうち北部3分の1位がサバ州で、南西に伸びた残り3分の2がサラワク州。

サラワクの北端辺りに現在独立国のブルネイがある。

もともとこの領域はブルネイ侯の統治下にあった(「ボルネオ」自体ブルネイのなまりとのこと。言われてみれば似てるが全然気付かなかった)。

それから徐々にイギリスの勢力下に移っていくのだが、サラワクではそれが非常に特異な経緯をたどる。

19世紀半ばにサラワクの反乱に手を焼いたブルネイが、イギリス人ジェームズ・ブルックに鎮圧を依頼し、薪水補給地確保を狙う英国海軍の力を利用してブルックがサラワクを平定し、ブルネイからラージャ(王)の称号を与えられる。

「白人王」となったブルックの地位は子孫にも伝えられ、第2次大戦後イギリスの直轄植民地となるまで、サラワクはブルック王朝の統治下におかれた。

この話は小耳にはさんだことはあったが、改めて読むとやはり少々驚きである。

中盤のマレー各地方の情勢など、ちょっと細か過ぎる部分がありますが、そういうところは立ち止まらず軽く流せばいいでしょう。

少しわかりにくかったり、説明不足を感じることもありますが、巻末の詳しい訳注が有益ですので、これを読んで補強すると良いでしょう。

類書の少ないマイナー分野の本としては、悪い本ではないと思います。

2008年3月6日

渡辺金一 『コンスタンティノープル千年』 (岩波新書)

Filed under: ビザンツ — 万年初心者 @ 06:00

タイトルから想像されるような、通常の形式のビザンツ通史ではありません。

「“皇帝教皇主義”に則り、皇帝にすべての権力が集中した専制国家というイメージのあるビザンツ帝国ですが、実は皇帝即位には元老院・首都市民の承認が不可欠となっており、動乱期における帝位の移動は世論の動向次第だったんですよ」というのが主な論旨(たぶん)。

世論に左右される帝位は極度に不安定で、およそ半数の皇帝が暗殺やクーデタでその地位を追われている。

閉鎖的・退嬰的という印象とは異なり、社会的流動性も異様に高く、最下層から皇帝に昇りつめる例がみられる一方、国政が私的グループの権益争いの場と化してしばしば混乱し、安定した世襲貴族階級も生れず、そこから西欧のような身分制議会が成長することもなかったと論じている(私の誤読でなければ)。

具体的な史実は、以上の命題の例証として帝位争いの実例が時代もバラバラにいくつか取り上げられているだけです。

よって当然ながら一般的な通史としては不適当です。

かといって同じ「ビザンツ」カテゴリに入っているギボン『ローマ帝国衰亡史』の後半部分(10巻)はそうそう気軽に読める本ではないので難しいですね。

中公新版「世界の歴史」の該当巻でも読んだ方がいいのかもしれません。

本書の内容自体は面白いし、スラスラ読めます。

なかなかの良書といっていいんじゃないでしょうか。

同じ著者の『中世ローマ帝国』(岩波新書)も読みたくなりました。

2008年3月3日

大垣貴志郎 『物語メキシコの歴史』 (中公新書)

Filed under: ラテン・アメリカ — 万年初心者 @ 06:00

先月下旬に出たばかりの新刊。

このシリーズで中南米地域では『物語ラテン・アメリカの歴史』は出ていたが、各国別の本はこれが初めて。

あとキューバ・ブラジル・アルゼンチン・ペルー・チリあたりは出そうですね。

気長に待ちましょう。

本書はまずスペイン侵入以前のメソアメリカ文明の記述から始まる。

ちなみにこのメソアメリカ文明という言葉は中米地域の諸文明のみを指し、インカ帝国に代表される南米大陸の諸文明はアンデス文明として区別されるようです。

似たような名前が多くて、少々面倒ですが確認しながら読むと、まず東部メキシコ湾岸地域にオルメカ文明が前1200年から前400年ごろまで栄える。

ユカタン半島では、誰でも知ってるマヤ文明が前500年ごろからスペイン人による征服まで盛衰を経ながらも存続。

メキシコ高原地域ではテオティワカン文明が紀元前後から7世紀まで、その滅亡後トルテカ文明が11世紀まで繁栄。

その後チチメカ人が侵入してきて、その一派のアステカ族が15世紀にアステカ王国を建国、首都テノチティトランを築く。(上記のテオティワカンと混同しやすい。テノチティトランはテオティワカンのやや南西部にあり現首都メキシコシティ。)

アステカ人は別名メシカ人ともいい、これがメキシコという国名の由来となる。

1521年コルテスによる征服の後、約300年間スペインの植民地統治を受ける。

1810年神父イダルゴの蜂起が起こり、モレーロスが続く。

両者は共に捕らえられ刑死したが、スペイン王党軍指揮官のイトゥルビデが考えを変えて反乱派と妥協したことによって1821年独立達成。

最初スペイン王室の誰かを国王に迎える動きがあったが、スペイン側に拒否されたため、独立の翌年イトゥルビデが皇帝として即位した。

ブラジルがポルトガル王室の一員を戴いて帝国として独立したのは高校世界史の範囲内ですし、よく知られていますが、メキシコもごく短期間ながら帝国だったんですね。

結局即位直後から議会との対立が深まり、イトゥルビデは一年で追放。

その後は混乱が続き、実力者サンタ・アナが断続的に大統領となる。

その治世下、1836年テキサス共和国分離独立(45年アメリカが併合)、1846~48年米墨(アメリカ・メキシコ)戦争敗北とカリフォルニア割譲で国土の半分を失う。

高校世界史ではラテン・アメリカ諸国の中でこの国の歴史が一番詳しく教えられるようで、以後の歴史における主要指導者である、フアレス、マクシミリアン、ディアス、マデロ、ウェルタ、サパタ、パンチョ・ビージャ(ビリャ)、カランサ、カルデナスといった名前は、私も高校生の頃から知っていました。

それぞれの政治的立場と主要事件とその年代を確認しながら一歩一歩読めば、非常に有益でしょう。

メキシコ革命後も権力闘争が長年続く中、1946年広範な勢力を結集した制度的革命党が結成され、それが日本の自民党のような一党単独政権を2000年まで続ける。

コンパクトに要領よく叙述されたおり、読みやすくて良い入門書だと思います。

ただ前半部の面白さが後半になるとかなり落ちるように感じたのは気のせいでしょうか。

いずれにせよこのシリーズの平均は十分クリアしていると思いますので、お勧めします。

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