万年初心者のための世界史ブックガイド

2008年2月14日

戦後世界史の時代区分 その2

Filed under: おしらせ・雑記 — 万年初心者 @ 06:00

昨日の続き。

1963~71年 【多極化期】

この時期米ソ対立に変わって米中対立が国際政治の焦点となる。

米ソ両陣営内で中国・西欧・日本などが自立性を高め多極化の傾向が認められる。

中国は反米・反ソ両面策を取り、新興独立国の急進派の支持で米ソ共同支配の国際体制を打破しようとする。

しかし65年インドネシア9・30事件とスカルノ失脚、アルジェリア・クーデタとベン・ベラ失脚(これで中国が主導権を持った第2回アジア・アフリカ会議は流産)、66年ガーナ・クーデタとエンクルマ失脚が相次ぎ、チトー政権のユーゴスラヴィア、ナセル政権のエジプト、ネール政権のインドなど穏健派諸国からは孤立し、中国の意図は挫折。

内政でも「大躍進」政策の失敗を経て、実権を失った毛沢東が最高権力奪回を謀り66年文化大革命を発動、中国政治は大混乱に陥る。

中ソ関係は完全に決裂し、69年には国境紛争が勃発、戦争の危機すらささやかれる事態となり、その不利を悟った中国指導部は密かに対米接近を検討し始め、それが次の時期のキッシンジャー・ニクソン訪中を準備する。

一方、アメリカは中国の脅威への過剰反応から65年北爆と南ヴェトナムへの大規模地上軍派遣を開始、ヴェトナム戦争の泥沼に陥り、その国力を低下させる。

西ヨーロッパ諸国は飛躍的経済復興を遂げ、特にド・ゴールのフランスは対米自立外交を展開、63年イギリスのEEC加盟を拒否、64年に中華人民共和国を承認、66年にはNATO軍事機構から脱退する。

この時期日本は高度経済成長を続け、自由世界第二位の経済大国となる。

ソ連圏では68年「プラハの春」はソ連軍の介入で潰されるが、ルーマニアをはじめとする東欧各国の一定限度内の自主路線は認められていく。

1971~79年 【デタント期】

高坂正堯氏は『現代の国際政治』のなかで1971年を「分水嶺の年」と呼んでいる。

その最大の要因は同年の米中接近と「中国における急進主義の終わり」である。

ニクソン・キッシンジャー外交は米中対立を終らせ、その安定化要因を利用してヴェトナムからの撤兵・米ソ関係の再調整を行った(71年キッシンジャー訪中、中国国連加盟、72年ニクソン訪中、第1次戦略兵器制限交渉(SALT1)、73年ヴェトナム和平協定)。

他地域でも72年東西ドイツ基本条約、日中共同声明、南北朝鮮共同声明などの緊張緩和情勢が見られ、73年第四次中東戦争と石油危機による混乱も何とか乗り越えられる。

中国では71年に文革派中心人物の林彪が失脚し、周恩来のリーダーシップの再確立が行われた。

76年毛の死と四人組逮捕まで文革は続くがその急進性は大幅に薄れ、対外姿勢も穏健化する。

(追記)最後がちょっとおかしかったので一部訂正します。

1979~85年 【最終対決期】

キューバ危機以後核戦力を増大させたソ連がヴェトナムでのアメリカの失敗と影響力低下を見て最後の拡張政策に乗り出す(アンゴラ・モザンビーク・エチオピアの親ソ勢力への軍事援助、79年アフガニスタン侵攻)。

直接米ソ関係以外でも79年にはイラン革命と第2次石油危機、ニカラグア革命、ヴェトナムのカンボジア進攻、中越戦争と国際政治上の紛争が多発し、緊張が高まる。

81年成立のレーガン政権下のアメリカは大規模な軍備拡張によって反撃、冷戦は最後の高まりをみせる。

1985~89年 【冷戦終結期】

85年誕生したゴルバチョフ政権は西側諸国との対立の不利を悟り、ペレストロイカを開始。89年東欧共産圏は崩壊、冷戦は終結した。

89年以後は「ポスト冷戦期」でしょうか。

2001年の同時テロ以後はまた別の時代と見做すべきなのでしょうか。

その辺の同時代史は省略します。

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