万年初心者のための世界史ブックガイド

2008年2月13日

戦後世界史の時代区分 その1

Filed under: おしらせ・雑記 — 万年初心者 @ 06:00

今日も適当な話で誤魔化します。

第二次大戦後の世界史を初心者が理解するための適当な時代区分は何かという話です。

『国際政治経済の基礎知識』の高坂正堯氏担当の「冷戦」の項目や同じく高坂氏の『現代の国際政治』(講談社学術文庫)などを参考にして記すと以下の通り。

基本的に米ソ両国が二極体制の中核で国際政治の最重要プレイヤー。あと中国が0.5極くらい。この三者の絡み合いで戦後国際関係を理解するのが基本。

1943~47年 【冷戦前段階期】

対独戦に勝利したソ連は、ロシアの伝統的な外部への過剰警戒と共産主義の普遍主義的傾向によって占領した東欧諸国を強引に共産化。アメリカとの対立を深める。

1947~53年 【冷戦高揚期】

アメリカは47年トルーマン宣言とマーシャル・プランでソ連への封じ込め政策を開始。48年ベルリン封鎖、チェコ・クーデタ、49年西ドイツ建国・NATO成立と欧州の分断はさらに強まる。

49年中華人民共和国成立。毛沢東は「向ソ一辺倒」を宣言。50年朝鮮戦争により米中対立が始まり、冷戦はアジアにも拡大。それの影響で51年対日講和条約と日米安保条約が結ばれる。

1953~57年 【緊張緩和期】

53年スターリンが死去。後継指導部はソ連の国力の弱さを認識していた故に、現状維持を前提とした米ソ関係の安定を目標とし、緊張緩和策を取る(53年板門店休戦協定、54年ジュネーヴ会議・インドシナ休戦協定、55年ジュネーヴ四巨頭会談、西独・ソ連国交回復、オーストリア中立化、56年日ソ共同宣言)。

同様に中国も穏健な対外政策を取る(54年中印平和五原則発表、55年アジア・アフリカ会議での自制的態度)。

しかし米国はこれまでの経緯から対ソ不信感が固まっており、アイゼンハワー政権のダレス国務長官は硬直した反共外交を行い、54年東南アジア条約機構樹立、55年中東条約機構樹立、西独NATO加盟を遂行。

ダレス外交は対ソ「巻き返し」政策を唱えたが、56年スターリン批判の影響で起こった東欧圏の動乱に対しては為す術がなく傍観する。すでにソ連が核兵器を保有していた状況で全面的軍事衝突に繋がる行動は取れなかった。すでに東西の勢力圏は固まりつつあった。

1957~63年 【再対決期】

57年スプートニク打ち上げによって対米優位を信じたフルシチョフは再び攻撃的な外交を展開。ベルリン・キューバ問題で米ソ関係は一触即発の危機を迎えるが、結局妥協が成立、63年部分核停条約が結ばれ米ソ共存関係が確立する。

中国も58年金門島砲撃、「大躍進」政策開始、59年チベット反乱鎮圧、中印国境紛争と内外政策を急進化させ、日米両国との対決姿勢を強める。

東欧支配の現状を前提に米ソ関係改善を目指すソ連に対して、台湾問題や屈辱の近現代史から自国の地位復興を悲願とする中国は現状に満足し得ない国であって、そのため米ソ共存関係が定着したこの時期に中ソ対立が始まり、相互敵視が激しくなる。

かなり長くなりましたので、続きは明日やります。

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