万年初心者のための世界史ブックガイド

2008年2月6日

土田宏 『ケネディ 「神話」と実像』 (中公新書) 

Filed under: アメリカ — 万年初心者 @ 06:00

去年11月の新刊。ジョン・フィッツジェラルド・ケネディの手ごろで読みやすい伝記。

ケネディはアイルランド系で史上初のカトリック教徒の大統領。

父親のジョゼフ・ケネディはボストン出身で実業界で成功し、禁酒法時代に酒類を扱って巨万の富を得て、フランクリン・ルーズヴェルト政権に多額の献金を行い、ついには第二次大戦直前に駐英大使に任命されるが、孤立主義的で対独宥和政策を主張していたため、1940年に更迭される。

ジョン・F・ケネディはジョゼフの次男として生まれ、兄が欧州戦線で戦死した後、一家の期待を一身に担うことになり、海軍に志願し戦後は政界に進出し、下院議員・上院議員を歴任する。

海軍時代には南太平洋で乗っていた魚雷艇が日本の駆逐艦「天霧」と衝突・沈没するという危機もあった。

後に大統領選に出馬した際、「天霧」の旧乗組員から激励の寄せ書きが届いたという話を別の本で読んだ記憶があります。

生い立ちからこれまでの記述を読んで驚くのが病気の話の多さ。

誇張じゃなしにしょっちゅう死にかけてる。

若々しい健康的な大統領というイメージはある程度は作られたものらしい(ただ任期中は以前よりかは体調が回復したのは事実の模様)。

あとこれも「リベラル派の偶像」という一般的印象と異なるが、連邦議員時代を通じて社会的弱者擁護の姿勢は強かったものの、終始一貫徹底した反共産主義信念を持ち続け、1950年代初頭のマッカーシーの「赤狩り」にも強くは反対しなかった。

1960年大統領選でアイゼンハワー政権で副大統領を務めたニクソンと対決、有名なテレビ討論でのイメージ戦略で勝利を占め当選。

大統領の任期は1961年1月から1963年11月の暗殺まで、3年に満たない。

外交面ではフルシチョフ指導下のソ連の強攻策への対応に追われる。

61年亡命キューバ人を支援したピッグズ湾侵攻作戦が失敗。

同年西ベルリンの現状変更をフルシチョフが迫り緊張が高まる(結局ベルリンの壁が構築され西ベルリンの自由世界所属は変わらず)。

62年中距離核ミサイル持ち込みを機にキューバ危機勃発。

ケネディはソ連へ海上封鎖を含む断固たる措置を取る一方、即時空爆を主張する軍部の強硬論を抑え、対話と妥協の道を閉ざさずフルシチョフに「名誉ある撤退」の余地を与え、事態を平和的に収拾することに成功。

63年キューバ危機の終息を自国の勝利と誇ることをせず、米ソ関係安定の契機とするため、ホットラインの敷設・部分的核実験停止条約締結などの措置を取った。

この部分核停条約は高校教科書でもゴシック体で載っているとは言え、戦後の軍縮の動きの一つとしてだけで、国際政治上の意味付けはあまり明確になされていない。

『国際政治経済の基礎知識』(旧版)の高坂正堯氏執筆の該当項目から引用すると、

この条約は地下実験の開発を禁止したものではなく、それゆえ、核兵器の開発を十分制約したとは言えないし、兵器の削減を取り決めたわけではないから、その意義も限られたものであるように思われる。それにもかかわらず、この条約の締結をもって米ソの冷戦の終りとする見解もあるのはなぜか。第一の理由は、この条約によって「相互確証破壊」が確保され、相互抑止の関係が安定すると考えられたためである。

というのは、相互抑止の安定のためには、両国の戦略ミサイルが非脆弱であること(したがってミサイルを地下および水中に置く)、両国のミサイルが相手に到達できることが必要であるとされた。一方が有効なABM[ミサイル迎撃ミサイル]を持てば、その条件は崩れることになるのであるが、当時はその開発のためには大気圏内および宇宙空間での核の効果を知るための実験が必要であると考えられた。したがってこの条約はABMの開発に大きな制約を与えるものとされ、したがってその締結は米ソ両国が相互抑止の状態を認め合ったことを意味するのであり、米ソ関係も安定するものと考えられた。

以上の外交面では著者はケネディに比較的高い評価を与えているが、対照的に内政に関しては見るべきものは少なかったとしている。

なおよく問題となるヴェトナム戦争との関わりについて著者は、ケネディ政権が南ヴェトナムへ軍事顧問団と特殊部隊を増派し直接戦闘への参加も容認したことを記しているが、最終的にはケネディは撤退を考えていたと判断している。

ケネディ暗殺直前に南ヴェトナムの指導者ゴ・ディン・ディエム(ゴ・ジン・ジェム)を失脚させたクーデタが起こった。

ゴは独裁者として世論の批判を浴びており、援助によって作った精鋭部隊を国内反対派弾圧に使用せず前線に派遣せよとアメリカが圧力をかけ、その直後のクーデタでゴは殺害された。

結果的にこれは南ヴェトナムの安定をもたらさず混乱を拡大させただけとなったが、このクーデタへのケネディの関与は曖昧であり、はっきりとした判断を下されていない。

最後の二章は暗殺の謎と女性関係のスキャンダル。

まず後者からいうと、よく噂される派手な女性関係は確証の無いまま噂として広まったものが多く、事実として認められるものは意外と少ないとして、ケネディに好意的である。

さて、以上までの部分を読んできて、非常に手堅い叙述だなあと思っていたのですが、問題は暗殺事件の章。

極めて大胆な推理を展開し、暗殺の黒幕と著者がにらむ人物を実名で記している。

決定的な「ネタバレ」は避けますので実際読んで頂いた方がいいでしょう。

ちなみに副大統領のジョンソンやライバルのニクソンではありません。

その両者に比べれば知名度ははるかに劣りますが、阿川尚之『海の友情』(中公新書)(←この本を知ってる人には半分ネタバレになってすみません)を以前斜め読みして割と好意を持っていた人物だったので、正直「ええーっ!!」と驚愕しました。

私は全く無知なのだから本書の推理を「トンデモ」と決め付けることはしませんが、率直に言って素直に信じるには不安が大きい記述です。

最終判断は皆様にお任せします。

そういうやや危うさを感じさせる部分もありますが、重要政治家の標準的な伝記作品としては読みやすく、良く出来ていますし、しっかり読めば有益な本だと思います。

あと関連文献を挙げますと、本書の末尾でも紹介されているものとしては、シオドア・ソレンセン『ケネディの道』(サイマル出版会)、A・シュレジンガー『ケネディ 栄光と苦悩の一千日 上・下』(河出書房)、ロバート・ケネディ『13日間 キューバ危機回顧録』(中公文庫)など、それ以外ではロジャー・ヒルズマン『ケネディ外交 上・下』(サイマル出版会)があり、特に最後のヒルズマン著はざっと見たところ中々面白そうでした(どれも通読はしておらず、ページを粗く手繰ってみただけの印象ですが)。

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