万年初心者のための世界史ブックガイド

2008年1月2日

アンドレ・モロワ 『ディズレーリ伝』 (東京創元社)

Filed under: イギリス — 万年初心者 @ 06:00

明けましておめでとうございます。

本年最初の本は高校教科書にも太字で載っている19世紀イギリスの大政治家ベンジャミン・ディズレーリの伝記。

ネット上であれこれ検索していると、アンドレ・モロワがこういう本を書いているのに気付いたので読んでみた。

大英帝国絶頂期に保守党を率いて内閣を組織した大宰相とくれば、さぞかし由緒正しい名門貴族の出かと思うが、実際は全く違う。

祖父の代にイタリアから移住してきた改宗ユダヤ人であり(名前のディズレーリは「ド・イスラエリ」)、最初は小説家として世に出る。

ヴィクトリア女王即位と同年の1837年初当選を果たし、持ち前の雄弁で頭角を現すが1841年成立のピール保守党内閣ではポストを得られず冷遇される。

1846年ピールが従来の主張を棄て自由貿易主義に転向し穀物法廃止を決断すると、内閣は倒壊し保守党は分裂、ピール派は離党する(この時グラッドストンもピールと共に保守党を離れる)。

ディズレーリは分裂後の保守党内でダービー伯(スタンリー)に次ぐ地位を占める。

以後の政局は1846~52年ラッセル、52~55年アバディーン、55~58年パーマストン、59~65年第2次パーマストン、65~66年第2次ラッセルと自由党内閣が長期間続き、保守党政権は52年の短期間と58~59年の二度のダービー内閣のみ。

しかしその間ディズレーリは保守政治再興のために尽力し、保護貿易主義の党是を事実上放棄し、「進歩的」ではありながら新興産業資本家の利益を代表しがちな自由党に対抗して地主貴族を基盤とする保守党が労働者階級の利益を擁護すべきだとする「民衆的保守主義」を唱える。

1866年成立の第3次ダービー内閣では、67年自由党の機先を制し第2次選挙法改正を行い、都市労働者に選挙権を与える。

ダービーの禅譲を受けて1868年組織した第1次内閣は10ヶ月ほどの短命に終わるが、第1次グラッドストン内閣(68~74年)の後を継ぎ、1874年から6年間続く本格政権となる第2次内閣を成立させる。

任期中にスエズ運河株買収(75年)、インド帝国成立(77年)、ベルリン会議におけるロシア南下政策阻止(78年)、第2次アフガン戦争(78~80年)によるアフガン保護国化などを遂行。

元々ピール贔屓だったヴィクトリア女王は若い頃のディズレーリに強い不信感を持っていたが、その後は「小英国主義」を唱え英帝国の威信に無関心と思えるグラッドストンを嫌悪したため、ディズレーリに対しては深い信頼を寄せ、彼をビーコンズフィールド伯とし貴族院に移るように勧め議院での負担を軽くしてやる。

1880年総選挙で敗れ政権を再びグラッドストンに譲り引退した翌年に死去、国民各層に悼まれる。

4度内閣を率いたライバルのグラッドストンに比べると在任期間は短いが、保守党後継者のソールズベリは3次にわたる内閣を組織し、以後二大政党制が健全に機能していく。

読みやすくてなかなか面白い。手堅い作りの伝記作品。

こういう伝記を文庫版に多く収録して、いつでも手に入るようにしてくれる出版社がどこかないもんでしょうか。

以前なら中公文庫がそういう役割を比較的果たしていたと思うんですが。

「私はかれらの約束している自由主義よりも、われわれが享受している自由のほうを愛するし、人権よりも英国人の権利を愛する。」  ――ディズレーリ――

彼にとっては、保守主義者であるということは、もう時代おくれだと思われる制度を弁解めいた微笑を浮かべながら支持することではなくて、ロマネスクで誇りに満ちた唯一の聡明な態度であった。それだけが真のイギリス、領主の館を中心に集まった村々、小地主貴族の活力を持った根気強い連中、昔からのもので同時にたいへん開放的な貴族政治、それに加えて歴史というものを誠実に考える態度だった。「しばしば皮相な人間には嘲笑されるが、伝統に対する尊敬というものは、人間性の深い認識に根ざしているように私には思われる」。自由主義者や功利主義者の理論的な主張に対して、一個の現実的な主張を打ち立てねばならなかった。

彼にとっては近代政治の論争はすべて歴史派と哲学派の間の問題であった。そして彼は歴史派を選んだ。国家とは、単なる精神の操作によりそれがいかなる権利を持つかを演繹できるような抽象的存在ではない。「国家とは一個の芸術作品であり、時間の作品である」。国家にも個人と同じく気質がある。イギリスの偉大さについていえば、大したこともない天然資源にあるのではなくて、その制度から来るのである。イギリス人の権利は人権よりも五世紀も古い。

若い理論家はいつもこんなふうに考えた。一八三五年に彼は《ある気高い貴族に与える書簡形式のイギリス政体擁護論》なるものを公にしたが、この政治哲学の作品は、最も秀でた批評家さえもその形式の完璧さと思想の成熟を認めるほどの出来だった。選挙なしの代表を認めない者にとっては、貴族院の存在は不条理と思われるかもしれないが、ディズレーリは代表なしの選挙の危険のほうがもっと大きいことを示した。職業政治家の少数が選ばれて、その国を代表してもいないのに寡頭政治を布くこともあり得る。逆に貴族院は現実の勢力を代表している。それは大監督によって教会を代表し、大法官によって法を代表し、総督によって州を代表し、先祖代々の地主によって土地を代表している。衆議院については逆に、一八三二年のホイッグ党のごく僅かの改革よりもっとずっと大幅に補充されることを彼は望んでいた。保守党の長たる者の務めは、過去の未だに生命を持ち現に生きている部分を擁護すると同時に、党から時代おくれとなった偏見や理論をとり除き、とくに下層階級に対する愛情にはぐくまれ、これを獲得する能力を持つ寛大な政治へと党を勇敢に導く勇気を持つことだと彼には思われた。

封建制度が廃止されるのはいいが、人間は相互の義務により互いに結びつけられているのだと考える封建的態度が望ましいものであることは変わらなかった。《貴族たる者は身分にふさわしくあるべし》というのが生活の規準だった時代をかれらは懐しがったし、そしておそらく消えかけた火をかき立てることはまだ可能なのだ。

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