万年初心者のための世界史ブックガイド

2007年12月29日

ロバート・コンクェスト 『スターリンの恐怖政治 上・下』 (三一書房)

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スターリンによる大粛清の研究書。

この壮大な悲劇の様相を詳細に記しており、細かな事実を追っていくだけで(不謹慎ではあるが)非常に面白い。

レーニン死後のソヴィエト政権内の権力闘争をごく簡略化して言うと、まず有力後継者のトロツキーに対してスターリンとジノヴィエフ、カーメネフが同盟しトロツキーを追い落とす。

するとスターリンはジノヴィエフら左派(農民から資本を搾り上げて工業化を急速に進めようとした一派)を攻撃し、彼らがトロツキーと和解・接近し「合同反対派」を結成すると右派(農民と妥協し徐々に工業化を推進することを主張した人々)のブハーリン、ルイコフと手を組み、反対派を除名・追放する。

ところが1928年の第一次五ヵ年計画でスターリンのやったことは、かつての左派の主張をより極端にした政策で、あらゆる反対を暴力で押さえ込んで農業集団化を強行し、数百万人の餓死者という信じがたい犠牲を出して、極めていびつで非効率な形の重工業を建設した。

その中でブハーリンらは結局、各個撃破され屈服と自己批判を強いられる。

だが大粛清というのは以上の党内闘争の過程で起こったことではなく、スターリン派の勝利が疑いなく磐石なものとなっていた1930年代半ば以降に起こったことであり、それだけに一層不条理で理解不能な悲劇であった。

これまで党外の反対勢力に対してはいかなる残忍な弾圧を加えても容認されると、全ての共産党員が(その後自らが粛清の犠牲となった党員も含めて)考えていた一方、党内の反対派を肉体的に抹殺することだけはしないとの合意が政治的暴力に対する最後の歯止めとなっていたが、スターリンはその唯一の抑制要因すら外すことになる。

1934年秘密警察がNKVD(内務人民委員部)に再編され恐怖政治の手足になる。

同年党内反対派の処刑に消極的な「穏健派」と見られていたスターリン派の実力者キーロフが(おそらくスターリンの秘密指令により)暗殺されたが、これが反対派によるテロと主張され徹底的な弾圧を正当化するために利用される。

36年まずジノヴィエフ、カーメネフらが大々的な見世物裁判の後処刑され、右派の有力人物トムスキーは自殺した。

その後NKVD長官ヤゴダが解任され、悪名高いエジョフが取って代わる。

急進的政治姿勢で有名であったがボリシェヴィキの暴力的権力奪取を批判し長年亡命していた文豪マクシム・ゴーリキーはソヴィエト政権と和解し数年前に帰国しており、反対派に対する寛容を訴えていたが、この時期に死去。著者はこれもスターリンによる暗殺の可能性を強く示唆している。

37年元トロツキストの中で極めて有能な人物であり、後にスターリンに忠誠を誓ったピャタコフが同じく逮捕・裁判を経て処刑。

同年赤軍の英雄的存在であったトハチェフスキー元帥を始めとする軍司令官らが処刑され、幹部の多くを抹殺された赤軍は大打撃を受け、わずか四年後の独ソ戦序盤で恐ろしい代償を支払うことになる。

38年には右派の裁判が始まりブハーリン、ルイコフらも処刑。

29年に国外追放処分を受けていたお陰でしばらく生き延びていたトロツキーも、40年亡命先のメキシコで暗殺された。

スターリン直系グループでもキーロフと同じく「穏健派」と思われたクイブイシェフ、オルジョニキーゼは不審な状況で死を迎え、ルズタク、コシオル、ポストイシェフは銃殺され、以後の最高指導部を形成したモロトフ、カガノヴィチ、ヴォロシーロフ、ベリヤ、ジュダーノフ、カリーニン、ミコヤン、フルシチョフ、マレンコフらもスターリンの猜疑心に怯えながらようやく生き延びる。

下級党員、一般国民に対しても「テロ・スパイ・政治的偏向・サボタージュ」など妄想そのものの罪状によって逮捕・処刑・収容所行きが命令され、ピーク時には全国民の5%が逮捕され、100万人以上が処刑されるという狂気の嵐が吹き荒れた。

38年末エジョフが解任されベリヤが後を襲い、前任者ヤゴダと同じく処刑された頃から、ようやく一番極端な粛清は終わりを告げたが抑圧的な体制は続き、あの地獄のような独ソ戦の始まりに挙国一致の雰囲気が育成されたがゆえに多くの国民が救いと解放感を覚えたと記されている。

内容が非常に詳しいので初心者がいきなり読む本ではなく、まず同じ著者のスターリン伝を読んだ方がいいと思いますが、機会があれば是非ご一読下さい。

事実の持つ重みに圧倒されます。

どこか別の版元から再版してもらえませんかねえ。

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