万年初心者のための世界史ブックガイド

2007年11月30日

五十嵐修 『地上の夢キリスト教帝国 カール大帝の〈ヨーロッパ〉』 (講談社選書メチエ)

Filed under: フランス — 万年初心者 @ 06:00

この講談社選書メチエにも世界史関係の本がかなり収められていますので、気になるタイトルは一つ一つ潰していくのが良いでしょう。

初期中世は関連書が少ない気がするので、これを読みました。

カール大帝についての入門書としては良書ではないでしょうか。

治世の全般にわたって満遍なく叙述されており、特に過不足は無い。

彼の生涯のクライマックスたる800年の戴冠について、ローマ帝国理念復興というよりキリスト教共同体の首長理念という面を重視し、それがカールの統治を貫く最も重要な原則であったとしている。

ランゴバルト、ザクセン、バイエルン、スペインの後ウマイヤ朝、アヴァールなどの外敵との戦いも、世俗的な領土防衛・拡張というより宗教戦争の面が重視される。

文化面では、アルクインを中心とする「カロリング・ルネサンス」も、数百年後のルネサンスとは逆に、カトリックの教義を社会により浸透させるために自由学芸が奨励された結果であった。

気軽に読めてわりと面白いです。

興味の持てる方はどうぞ。

なお、カテゴリは「ヨーロッパ」か「ドイツ」「フランス」双方に入れるべきで、そういうことは本書の中でも最後に強調されていますが(ドイツ・フランスの国民意識が生れたのがカール大帝以後なので、独仏でカールの「取り合い」をしても意味が無い)、何となく「フランス」だけに入れておきます。

確たる根拠も無く、ただの個人的思い込みですが、ご容赦ください。

2007年11月28日

バズル・デヴィドソン 『アフリカ史案内』 (岩波新書)

Filed under: アフリカ — 万年初心者 @ 06:00

アフリカ史もいつまでも一冊だけにしておくわけにはいかないなあ、しかし以前から気になってる『新書アフリカ史』(講談社現代新書)は長いし億劫だなあ、中公新版「世界の歴史」のアフリカの巻も読む気しないなあと思ったので、とりあえず薄くて手ごろなこれを読みました。

1964年刊ととんでもなく古い本だが、意外に使える。

高校で世界史を履修した人でもアフリカ史に関しては(私も含め)ほぼ白紙という人が多いでしょうから、本書のような非常に簡略な通史の方がかえって有益だったりする。

本当にごく基礎的で重要なことだけに焦点を絞って、着実に伝えようとする姿勢が非常に良い。

末尾にアフリカ諸国の独立までの経緯を一国一国簡単に記した付録が訳者によって書かれているが、これもなかなか役に立つ。

私自身、主要な国以外、まず個々の国名と位置関係を把握できていないので、そういう初歩レベルの知識を確認できる。

ちなみに訳者は以前岩波新書の『ナチスの時代』の記事で腐したのと同じ人。

こういう付録なら非常に結構です。

本書が岩波新書の定期復刊で再版されることは、残念ながらまず無いでしょうが、初心者が一番初めに読むアフリカ史としては適当な本だと思うので、一度図書館から借り出してみてはいかがでしょうか。

2007年11月26日

川上源太郎 『ソレルのドレフュス事件』 (中公新書)

Filed under: フランス — 万年初心者 @ 06:00

『暴力論』の著者ジョルジュ・ソレルの目を通して見たドレフュス事件を描いた書物。

事件そのものの叙述は前半部のみで、後半はソレルの思想の解説。

ドレフュス事件は、反動勢力(政府、議会、裁判所、軍部)の悪行に対する正義(新聞、知識人、世論)の勝利といえるのか。ここに露呈したのは、公的原理と秩序が崩壊したなかで孤立化し浮遊化した中産階級の「モッブ」化現象であり、それに追随する、政治の理念を失った議会・政治家の堕落現象ではないか。「危険の思想家」ソレルが見透し批判したものこそ、この民主主義のもたらす危機であり、信仰と道徳を失った知識人の頽廃であった。

というカバーの紹介文が本書のスタンスをよく言い表している。

本書においてもドレフュスの無実が疑われているわけでは決して無い。

しかし、事件のごく初期にドレフュスを救うために行動した極少数の人を除いて、ゾラやジャン・ジョレスなど政治的思惑や隠された自己顕示欲から「ドレフュス派」になった人々に対するソレルと著者の視線は、ドレフュスを冤罪に陥れた人々とそれを熱狂的に支持した民衆に対するのと同じく、極めて冷ややかである。

ドレフュス断罪派も擁護派も共に上記の大衆民主主義という同じ根から生じた派生物に過ぎないと見做される。

後半のソレルの思想遍歴に関しては、私の頭では少々理解しにくい部分もあったが、それでも現代にも通ずる透徹した論理を感じるところがあった。

有名な史実の事実関係を知るために有益なだけでなく、その解釈についても極めて斬新で鋭い見方がなされており、全く退屈しない。

読んでいて極めて意義深い文章に出会って、一時ページを閉じて深く黙考したくなることがかなりあった。

本当に素晴らしい。是非とも読むべき本だと思われる。

これだけ何の留保も無しに絶賛できる本も久しぶりである。

是非ご一読をお勧め致します。

2007年11月23日

外山軍治 『則天武后』 (中公新書)

Filed under: 中国 — 万年初心者 @ 06:00

2、3年前に刊行されていた講談社新版「中国の歴史」の月報の中で、日本で外国の歴史について十数巻の全集を出せるのは中国史だけだという発言があって、確かにそうだなと思った記憶がある。

日本人から見た世界史における中国史の重みからして、初心者向きの入門書・啓蒙書の類いも文字通り汗牛充棟であり、他の地域の歴史とは段違いである。

よって中国史に関しては他の国の歴史にも増して、何を捨てて何を読むかの選択が重要なのですが、比較的重要な史実・人物に関するものであって他の通史での内容重複がない本を選ぶことになります。

本書もそうした観点から選びました。

唐代に現れた中国史上唯一の女帝の伝記。

読みやすくてなおかつコンパクトにまとめられていて非常に良い。

中公新書・文庫の良質な歴史読物の伝統を感じさせる本。

お勧めです。

2007年11月21日

立花隆 『日本共産党の研究 全3巻』 (講談社文庫)

Filed under: 近代日本 — 万年初心者 @ 06:00

ヴェトナム反戦運動、日中国交正常化、石油ショックなどの機運に乗り、日本共産党がその党勢を拡大させていた70年代に書かれた批判的な研究書。

私が精読したのは恥ずかしながら第1巻だけだが、結党以来の細かな経緯を読んでいくと非常に面白い。

2巻以降、最高指導部内のリンチ殺人事件や当局のスパイ浸透の実態を微視的に記述する内容となるので、やや読みにくくなり興味も薄れる。

末尾は取り締まり徹底による戦前の党の壊滅まで。

この分量なら戦後の党復活と武装闘争路線の失敗、その棚上げと平和革命戦術への転換、中ソ両共産党への従属と独自路線の模索なども記して欲しかった。

しかしリンチ事件の記述をめぐって共産党と猛烈な言論戦を繰り広げることになったので、それも不可能になったのだなと思う。

全巻通読しなくても、拾い読みするだけでも結構面白い。

近代日本史の参考文献としてどうぞ。

2007年11月19日

『新世界史』 (山川出版社)

Filed under: 教科書・年表・事典 — 万年初心者 @ 06:00

私が高校時代使っていた教科書は『詳説世界史』ではなく、これだった。

確か初めて出てから2、3年経ったころの版のはず。

山川出版社のHPを見ると、新たな執筆者を加えて今も出版されているようだ。

これは「論述試験向けの教科書」というのがウリで、細かな歴史用語はあまり載せず、史実の因果関係を重視した記述だと言われていた。

実際使ってみると確かにそういう傾向があり、例えば、高校時代の版で今でもはっきり覚えているのが、西晋末の内乱で「八王の乱」という用語は載っていなかった(私が今所持している2002年印刷の版では載っている)。

そのようなごく基礎的な用語が抜け落ちている一、『世界史B用語集』では低頻度の固有名詞が太字で載ってたりしていた(パルティア王ミトラダテス1世やイタリア戦争を終結させたカトー・カンブレジ条約など)。

またその表記も他の本とは異なるところが多かった。例えば、1・アクティウムの海戦→アクティオンの海戦、2・ニケーア公会議→ニカイア教会会議、3・サラディン→サラーフ・アッディーン、4・アイゼンハワー→アイゼンハウアー等等。

(1は括弧してアクティウムの表記も入れていた。2は今の版だとニケーアに戻っているが、そのあとはやはり「教会会議」。3もサラディンは括弧して書いていたが、この言い換えは私が高校生のころは一般的ではなかった。『詳説』では当時はサラディンだけ。4は今でもアイゼンハウアーのままの模様。)

因果関係や史的評価を記した部分も今読むと「・・・・?」と思うところもある。

今の版でも載っているかどうか知らないが、ローマ史の箇所では弓削達氏が書いたと思われるコラムがあって、そこでいわゆる「ローマの平和」をあまりに一面的に批判しており、よく言われる近現代のあれこれの記述より、この部分こそ「偏向教科書」の見本じゃないかと思った。

卒業してから、浪人時代に書店で『詳説世界史』を手に入れ併読したが、癖の有り過ぎる本書より、面白みは少なくともごくオーソドックスな『詳説』の方が良いと感じた。

高2で世界史を履修し、配付されたこれを6月くらいまでに通読して、初めて世界史の全体像を大まかに知って非常に面白いと思ったものである。

そう考えるとこの教科書は今も続く自分の趣味の基礎を作ってくれた本とも言えるのかもしれないが、改めて読むとさほど感心する出来ではないなというのが正直な気持ちです。

2007年11月16日

君塚直隆 『ヴィクトリア女王』 (中公新書)

Filed under: イギリス — 万年初心者 @ 06:00

先月下旬に出た伝記。

教科書では大英帝国絶頂期に長期間在位した象徴的君主として名前が出ているだけのヴィクトリア女王の個性や政治的行動について詳細にわかりやすく叙述している。

メルバーン、ピール、パーマストン、ディズレーリ、グラッドストン、ソールズベリなどの首相たちとのやりとりが興味深い。

19世紀イギリス史のテキストとしても充分使える有益な本。

スタンリー・ワイントラウブ『ヴィクトリア女王 全3巻』(中公文庫)が長いし読みにくいなあと思っていたので、こういう本が出版されたことは非常に助かる。

リチャード1世やヘンリ8世、チャールズ1世などの君主についても同様の伝記が出て欲しいです。

それと、ちょっとわき道に逸れますが、ウィリアム1世からヴィクトリア女王(あるいはジョージ3世)までのイギリス国王はやはりすべて記憶すべきだと思う。

(自分も一部あやふやなのに人に勧める資格は無いんですが。)

なぜなら初心者にとってそれが一番自然で覚えやすい時代区分だから。

国王の系図と個性と治世のあらましを頭に入れれば通史の基礎を容易に築くことができる。

(19世紀以降は内閣順となるんでしょうが、これは全部覚えるのは相当苦しいでしょう。)

私がアンドレ・モロワ『英国史』福田恒存『私の英国史』などをしつこいほど勧めるのも、国王を中心とした政治史という古くさい体裁の通史でなおかつわかりやすく面白い本だから。

そういう基礎を重視した通史がイギリス以外の国でも多く出て欲しいです。

しかし中公新書はコンスタントに歴史関係のいい本がラインナップに並びますね。

今月下旬の新刊でも『ケネディ 「神話」と実像』というのが出るようです。

それは非常に結構なんですが、それに引き換え中公文庫は最近低調極まる。

復刊して欲しい本はいくらでもあるんですから、もう少し頑張ってもらいたいもんです。

2007年11月14日

ジョン・ルイス・ギャディス 『ロング・ピース』 (芦書房)

Filed under: 国際関係・外交 — 万年初心者 @ 06:00

著者はアメリカの外交史家で冷戦史研究の泰斗(らしい)。

以前から名前だけは知っていて、02年にこの訳書が出たのも気付いていたがこれまで読む機会が無かった。

原著は1987年刊。80年代に書かれた米ソ冷戦に関する諸論文を集めた本。

書名と同じタイトルの論文が末尾に収められており、基本的に第二次世界大戦後の米ソ二極体制を、激しいイデオロギー対立・膨大な軍備の蓄積・大規模な局地戦争などを含みながらも、巨視的に見れば近現代史の中で稀なほど大国間の関係が安定していた「長い平和」として捉えている。

その他ヨーロッパとアジアにおける東西の勢力圏形成の経緯、核戦力の増大とその不使用を可能にした要因、米国による中ソ対立の利用、軍備管理において重要な役割を果たした偵察能力の発達などが主な内容。

どれもなかなか面白い。

戦後史についてのごく基礎的な知識は事前に頭に入れておく必要があるが、それほど難解な内容でもないので、一度目を通してみるのも良いでしょう。

2007年11月12日

大牟田章 『アレクサンドロス大王 「世界」をめざした巨大な情念』 (清水書院)

Filed under: ギリシア — 万年初心者 @ 06:00

ごく標準的な伝記。

大王の東征について、ギリシア文化の伝播や東西両文明融合という文化的意味を過大評価せず、あくまで特異で巨大な個性を持った人物による個人的栄光を求めた軍事征服として理解するというスタンス。

よく整理された記述で読みやすい。

しかし他のアレクサンドロス関係の入門書を読んでいる場合、それに加えて強いて本書を読む必要があるかというとやや疑問。

森谷公俊『王妃オリュンピアス』プルタルコス『英雄伝』アレクサンドロスの章をまず優先して読んだ方がいいと思います。

2007年11月9日

村岡晢 『フリードリヒ大王 啓蒙専制君主とドイツ』 (清水書院)

Filed under: ドイツ — 万年初心者 @ 06:00

「啓蒙的君主の皮を被った邪悪な権力亡者」といった一面的な見方を排し、その時代の精神に拘束されながらも祖国と国民の繁栄のために自らを厳しく律し努力を重ねた君主としてのフリードリヒ2世を描いた伝記。

ごく平均的な本ですが、入門書としてはなかなか宜しいんじゃないでしょうか。

オーストリア継承戦争、七年戦争の細かな戦史は覚えようとせず軽く流すだけでいいでしょう。

七年戦争でフリードリヒ大王の名を高めたロスバハおよびロイテンの二大会戦の名前だけは知っていたのだが、その二回の勝利は開戦翌年のことであり、以後の持久戦ではさすがの大王もしばしば敗れている。

オーストリア・フランス・ロシアの包囲にあって時には絶望的状況に陥るが、フリードリヒは自ら軍を率いて東奔西走し、致命的敗北だけは逃れる。

そのうち1762年ロシアでエリザヴェータ女帝が死去し、かねてよりフリードリヒの崇拝者でプロイセン贔屓で知られたピョートル3世が即位、普・露間に単独講和が結ばれる。

これで窮地を脱したフリードリヒは翌年フベルトゥスブルク条約で戦争を終わらせ、シュレジエン地方を確保することに成功する。

これに不満を抱いたロシア国内の反対派はピョートル3世の后エカチェリーナを戴いてクーデタを起こしピョートルを廃位する(この辺の経緯はトロワイヤ『女帝エカテリーナ』(中公文庫)に詳しい)。

その他内政面にも軽く触れられており、冒頭の生い立ちと併せて通読すればそれなりに役立ちます。

比較的最近の本として飯塚信雄『フリードリヒ大王』(中公新書)がありますが、私はこちらの村岡氏の本の方が好きですね。

2007年11月7日

佐藤次高 『イスラーム世界の興隆 (世界の歴史8)』 (中央公論社) 

Filed under: イスラム・中東, 全集 — 万年初心者 @ 06:00

イスラム史の数を増やさないとどうにもならないわけですが、どうも苦手意識が拭えずなかなか読書意欲が湧かない。

ストレートに中公新版「世界の歴史」の本巻でも読んでみるかと手に取りました。

ムハンマドの布教から始まって、終わりは多くの本と同じく16世紀オスマン朝の制覇の前まで。

これはいいじゃないですか。

史実の配列と説明の仕方が巧みで、非常に頭に入りやすい。

流暢で読みやすい文章で楽にページを手繰れる。

教科書に載っているような重要な出来事や人物にエピソードや挿話を肉付けして、面白い物語を作り上げている。

政治史を主軸にしながら、文化史・経済史・社会史も適度に織り交ぜたバランスの良い通史。

事前の予想よりはるかに面白い本だった。

数年前、図書館で立ち読みしてなかなか良さそうだなと思ったものの、そのまま放置していたのですが、こんなことならまず素直にこれを読むべきだった。

イスラム通史としてこれまで紹介した『イスラムの時代』『都市の文明イスラーム』よりこちらの方がずっと良いです。

イスラム史に関しては中国史や西洋史に比べて良い啓蒙書が少ないと感じていて、やはりこれまでの研究の蓄積の差から回りまわって入門書の質にも影響してるのかと考えていたのですが、これ読んで自分の怠惰を棚に上げてはいかんと痛感しました。

是非お勧めします。できれば早いとこ文庫化してもらいたいもんです(その前に旧版「世界の歴史」の再文庫化もお願いしたいですが)。

2007年11月5日

冨山泰 『カンボジア戦記』 (中公新書)

Filed under: 東南アジア — 万年初心者 @ 06:00

カンボジアでの、自衛隊初のPKO参加で日本が大騒ぎになっていた1992年の刊。

第二次大戦後の脱植民地の動向と1954年の独立、シアヌークが国王から国家元首となった経緯、70年のクーデタとロン・ノル政権樹立、内戦と75年のポル・ポト政権成立とその史上稀に見る暴政、78年末のヴェトナム軍侵攻と79年のヘン・サムリン政権樹立、シアヌーク派、ソン・サン派、ポル・ポト派の反越三派連合政府対親越プノンペン政権の対立、91年のカンボジア和平合意までのカンボジア現代史が要領よく記されている。

米、ソ、中、仏、越、タイ、日本との関係も丁寧に書かれていてわかりやすい。

できれば、92年の国連カンボジア暫定統治機構(UNTAC)下での総選挙から、ヘン・サムリン政権の流れを汲むフン・セン首相と人民党の一党優位体制が固まっている現在までの歴史を書き加えた増補版を出して欲しいところではあるが、まず無理でしょうね。

通信社のバンコク特派員だった人の著作で歴史書というよりジャーナリストの時事解説書という面が強いかもしれないが、東南アジア現代史のサブテキストとして有益な本だと思います。

2007年11月2日

ヤコプ・ブルクハルト 『世界史的諸考察』 (二玄社)

Filed under: 思想・哲学 — 万年初心者 @ 06:00

ホイジンガについて『中世の秋』を読まずに『朝の影のなかに』を読んだように、ブルクハルトについても『イタリア・ルネサンスの文化』は読まずにこれを読む。

「まず主著を読めよ」と思われるかもしれないが、いくら名著でもその種の文化史の本は私にとっては荷が重い。

古典的著作については、無理をせず自分でも読めそうなものだけ着実に読んでいくという方針でやってますので、このブログでご紹介できるものははなはだ少ない。

もちろん意欲のある方はこの手の本をどんどん読んでいって頂ければ、非常に有益だと思います。

さて、本書はブルクハルトが普仏戦争とドイツ統一の騒然とした世相の時期に行った、全般的歴史観についての講義を、その死後出版したもの。

歴史を動かすものとして、国家・宗教・文化という三つの力を想定し、その相互規制関係をあれこれ叙述している。

ちょっと理解しにくいところも多いが、全くチンプンカンプンというわけでもない。

「?」と思った部分があっても、そこで立ち止まらずどんどん読み進めていけばいいと思う。

所々で大いに考えさせられる文章に出会い、感銘を受ける。

読み終えた後、ずっしり胸にこたえるものがあった。

歴史思想の本としてはさほど難しくないし、非常に重要な内容を含んだ本だと思うので、未読の方には是非ご一読をお勧め致します。

国家の建設に対して契約説を説くことは荒唐無稽である。ルソーにおいてもそれはただ理念的な仮説的な応急手段として考えられているにすぎない。彼は過去においてどうであったかを示そうとせず、自分の説ではどうであるべきかを示すに止まるからである。いまだにどんな国家も真の契約、すなわちあらゆる面から自由意志による契約によって成立したことはない。なぜならば戦慄しているロマン人と勝ち誇るゲルマン人との間にあったような割譲とか和解のようなものは決して真の契約ではないからである。それ故にまた今後もどんな国家もそのようにして成立はしないであろう。そしてたとえそのようにして成立しても、それは弱体な産物であろう。なぜならば絶えず根底についての紛争が生ずるであろうから。

・・・・・近代文化は18世紀に始まって、1815年以来強大な力で前進する中で、大きな危機に向って急速に迫って行くのである。なお国家が一見旧態のままであった啓蒙時代においてさえすでに国家は民衆によって事実上暗くされていた。それは決して日々の出来事について論争する民衆ではなくて、哲人として世界を支配した人々によってである。すなわちヴォルテールやルソー等々のような人々である。ルソーの社会契約説は七年戦争よりはおそらくいっそう大きな「歴史的出来事」である。とりわけ国家は反省的思索、哲学的抽象の最も強い支配下に陥り、主権在民の理念が訪れ、ついで営利と交易の世代が始まり、これらの興味が次第に世界を規定するものとされてくる。

・・・・・下層からして見れば国家のどんな特殊の権利ももはや認められない。すべてが論議の的であり、否根本において国家についての反省的思索は気分次第で国家形式の絶えざる変化を要求する。

しかし同時にこの反省的思索は、それが周期的に国家のために立てるその崇高な全プログラムを国家が実現しうるために、国家からいつもいっそう大きないっそう広汎な強制力を要求する。きわめて奔放な個人もその場合は個人が普遍の下に最も強力に束縛されることを願うのである。

国家はこのようにして一方ではそれぞれの党派の文化理念の実現であり表現であるべきであるが、他方では市民生活のよそおう目も綾な衣裳しかもただこのことのために万能な衣裳にすぎないのである。国家はすべて可能なことをすることができるが、もはや何物もしてはならない。すなわちその現存の形式をどのような危機に対しても防禦してはならない――しかも結局また人はやはり何よりも国家の権力行使に参加したいと願うのである。

こうして国家形式はいつも論議しうるが、権力の範囲はますます増大する。後のことはまた地理的意味でもそうである。すなわち国家は今や少くとも当の国民全体とその上なお何かをも加えて包括すべきであり、国家権力の統一と国家の版図の大きさとが崇拝の対象となる。

国家の神権(生命や財産に対するそのかつての恣意的権力)が根本的に消えて行けば行くほど、ますます広く人は国家のためにその俗世的権利を拡張する。組合権はいずれにしても死滅し、妨げるものとてはもはや存在しない。ついに人はあらゆる差別に対して極度に過敏になる。大国家が保証する単純化や平均化ではもはや充分ではない。現在の文化の主力である営利感覚は交通のためだけでも普遍的国家を本来前提する、ただしこれに対しては個々の国民の特性やその権力感のうちにまた強力な対抗力が働いているのは勿論である。

その間にやがてそこここで地方分権化や自治、アメリカ的単一化等々を求めて呻吟する声が聞えるのである。

しかし最も重大なことは国家の使命と社会の使命との間にある限界がまったく乱れ去るおそれがあることである。

これに対してフランス革命がその人権の宣言をもって最も強い衝撃を与えたのであるが、一方国家はその憲法中で市民権について合理的な定義を与えることによって済ますことができれば、有難いと思ったに違いなかったであろう。

いずれにしてもその場合カーライルが正当にも注意するように、人はまた人間の義務や人間の能力、さらにまた国土の可能的な生産についても深く思いをめぐらすべきはずであったであろう。

人権を近代的に起草するとなればそれは労働権と生存権を含むことを要求するであろう。

人はまさに最大の主要事をもはや社会に任せようとは欲しない。なぜならば人は不可能な事をしようと欲し、しかも国家の強制のみがそれを保証しうると考えるからである。

「組織」といい、「制度」というものが現在の文筆上や出版上の流通機構を通じて迅速にひろまる結果として人はそれをどこでも持つことを要求するばかりでなく、また社会のしないことが解っていたり予感されたりするすべてのことを日毎に増える借方の帳簿の中で直ちに国家に決済を強いるのである。いたるところで要求は昂まりそれに応ずる理論も昂まる。しかも同時にまた19世紀の苦悩に満ちた大規模の喜劇の主たるものというべき負債もまた増えるのである。未来の世代の資産をあらかじめ蕩尽するこのやり方がすでに19世紀の本質的性格としての心なき驕慢を証しているのである。

結局のところ、どこかで人間の不平等にふたたび敬意が払われるようになる時がこよう。しかし国家や国家概念がその間に何を経験するであろうかは、ただ神々の知り給うところである。

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