万年初心者のための世界史ブックガイド

2007年7月14日

松本重治 『上海時代 上』 (中公文庫)

Filed under: 中国 — 万年初心者 @ 06:00

ネタが無いのと、かなり読み応えのある本だということで、上・中・下巻を分けて記事にします。

1932~38年に通信社特派員として主に上海に駐在したジャーナリストによる回顧録。

日本の運命を決した数年間の日中関係史を迫真の文章で綴る本。

著者が赴任した当時の中国は、北伐によってようやく全国統一の兆しが顕われると同時に、満州事変によって日中間の緊張が高まる不穏な情勢下にあった。

北伐完了後も蒋介石の地位は磐石とは言えず、胡漢民派、汪兆銘派、孫科(孫文の子)を長とする「太子派」、西山派(右派長老組)などの対抗勢力の反対によって、一時下野を強いられる。

1931年には孫科が行政院長に就任するが、同年満州事変が勃発すると挙国一致の世論が高まり、それを利用した蒋介石の反対派切り崩し策が功を奏し、翌年には汪兆銘を行政院長、蒋を軍事委員長とする蒋・汪合作政権が成立する。

1935年まで存続するこの政権は満州事変後国内に高まる強硬論を可能な限り抑え、蒋の「安内攘外」、汪の「一面抵抗・一面交渉」をスローガンに対日融和策を打ち出す。

33年に塘沽停戦協定を結び、満州国の存在を当面黙認することにより、日中間に小康状態を確保した後、中国共産党殲滅に全力を挙げる。

1927年蒋介石による上海クーデタの際、国民党左派の汪兆銘は一時武漢で容共的な国民政府を組織したことがあったが、その直後共産党の独裁への野心を知り、即座に分離した後は極めて強い反共的信念を持つようになっていた。

蒋・汪政権の「剿匪」作戦は大きな成果を上げ、34年には瑞金のソヴィエト政権を壊滅させ、中共は後世「長征」と呼ばれることとなる大敗走に移る。

国民政府による排日運動取り締まりと対日接近外交によって、1935年初頭には日中間の緊張も大いに緩和され、両国の外交関係者の間には「日中合作」の期待が高まった。

当時の日本は32年五・一五事件で犬養内閣が倒壊した後、海軍穏健派出身の斉藤実内閣(32~34年)、岡田啓介内閣(34~36年)が二代続き、極端な対中強攻策を避け、有吉明大使の融和親善外交が展開された。

しかしここで親日派中国人を狙った抗日テロと、関東軍・天津駐留軍による「北支工作」(「華北自治工作」)が始まってしまう。

これによって運命の歯車が狂い始め、共産党以外の全ての当事者にとって破滅的な結果を齎すことになる。

35年6月梅津・何応欽協定によって日本側は河北省から国民党勢力を撤退させる。

以後、日本軍が華北を中央から切り離し、事実上の勢力化に置こうとする策動が続き、それに対して中国の抗日世論が沸き立ち、しばしば抗日テロが起こされ、それが日本の武力行使を招くという敵意と憎悪の悪循環が繰り返され、日中両国が奈落の底に落ちていくこととなってしまう。

そのような不吉な赴きを示唆しながら、本書の上巻は幕を閉じる。

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