万年初心者のための世界史ブックガイド

2018年2月21日

リチャード・リケット 『オーストリアの歴史』 (成文社)

Filed under: ドイツ — 万年初心者 @ 02:38

200ページ弱の小史だが、比較的良くまとまっている。

高校世界史レベルのことはすっ飛ばして、それ以外の事項を述べると、カール大帝とオットー1世が東方蛮族への防壁として設置した「オストマルク」が建国の起源。

支配者は、バーベンベルク家からプシェミスル家(チェコのボヘミア[ベーメン]王国の土着王朝)へ、そしてハプスブルク家と変遷。

三十年戦争後、即位したレオポルト1世は、その長い治世(1658~1705年)中に、第二次ウィーン包囲を退け、オイゲン公という名将を起用し、ハンガリーを回復、オスマン帝国に対して決定的優位に立つことに成功した。

本書では、啓蒙専制君主として著名なヨーゼフ2世は、貴重な伝統や慣習を破壊して性急な改革を無理に推し進めようとしたとして、かなり厳しく評価されている。

1848年三月革命の混乱の中、フランツ・ヨーゼフ1世が即位、第一次大戦中の1916年まで、実に半世紀以上在位する。

帝の弟マクシミリアンはナポレオン3世に担ぎ上げられメキシコ皇帝となるが、反乱に遭い銃殺され、皇太子ルドルフは不満を募らせた挙句自殺、妻エリザベートはアナーキストに暗殺され、そして新たに皇太子となった甥のフランツ・フェルディナント大公もサラエボでセルビア人に暗殺、これが第一次大戦のきっかけになったことは周知の通り。

1908年(1878年ベルリン会議で管理権のみを得ていた)ボスニア・ヘルツェゴヴィナを併合する決定が全欧戦争の危機を強める。

英国王エドワード7世は老皇帝にドイツとの同盟がもたらす危険を警告したが、不幸にも実を結ばず。

もしエドワード7世がオーストリアをドイツから切り離すことに成功していたら、中央ヨーロッパの将来がどうなっていたか想像するのは楽しいことだ。もし本当にそうなっていたら・・・・・。

皇太子フランツ・フェルディナントが暗殺されず即位していれば、スラヴ人の地位を向上させ、ハプスブルク帝国を、オーストリア・ハンガリー二重帝国からスラヴ人をも含めた「三重帝国」に変化させていただろう、との著者の想定が興味深い。

ハプスブルク帝国崩壊後、果てしない民族紛争と左右両極の狂信的イデオロギーによって悲惨極まりない状態に陥った中東欧を見ると、なぜそうならなかったのか、と慨嘆したくなる。

第一次大戦敗北により、帝政は崩壊、第一共和政成立。

1922~24年、26~29年首相を務めた保守派のザイペルの下、戦後復興に成功。

だが、国内の左右対立激化、経済恐慌襲来、オーストリア・ナチ党の台頭によって、1932年首相に就任したドルフスは右派権威主義体制を樹立、ムッソリーニと友好関係を結び、左派勢力とオーストリア・ナチスを共に弾圧。

34年ドルフスがナチに暗殺されるが、激怒したムッソリーニは軍を動員、政権掌握間もないヒトラーは引き下がり、オーストリアは後継首相シューシュニクが権威主義政権を継続。

だが、独伊接近によって独立の後ろ盾を失ったオーストリアは、38年ドイツに併合される。

第二次大戦後、第二共和政成立、ドイツと同様に東西両陣営によって分割占領されるが、スターリン死後の緊張緩和期の機会を捉えて、中立を自発的に宣言することを代償に、1955年オーストリア国家条約で外国軍は撤退。

冷戦下では中立政策から欧州統合には参加せず、冷戦終結後の1995年にEU加盟。

 

 

ちょっとあっさりし過ぎているかもしれないが、大部の本は当然読みにくいし、本書の意義は充分あるか。

普通に有益です。

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2018年2月18日

アンドレ・ジイド 『法王庁の抜け穴』 (岩波文庫)

Filed under: 文学 — 万年初心者 @ 02:57

1914年刊。

反教権主義・世俗主義の隆盛に対し、守勢に立たされたカトリック教会、という時代状況を背景にして、無償の英雄的行為と無意味な殺人の双方を為す者、無神論から改宗したが生活に困窮し家庭不和に陥る者、教皇幽閉という虚偽の噂を流して詐欺を働こうとする者、など様々な人間群像を描いた作品。

よくわからん・・・・・。

第一編はまだ良かったが、以後はさして面白くも無ければ、感銘を受ける点も無い。

さらに、訳文が古いせいか、読みにくい。

後半、ストーリーの展開に意外性があることは認めるが、何を言いたいのか、私の頭では理解できない。

『狭き門』のあと、ジイドの二作目として、昔学生時代に『田園交響楽』を挫折したことがあったので(短い作品なのに)、世評が高いと思われるこれを選んだのだが、見事に失敗だった。

私の知性と感性では良さが分からない作品だった。

ヘッセに比べればジイドはまだ自分の感覚に合いそうだと思い込んでいたが、それは錯覚でした。

それが理解できたことだけが収穫です。

2018年2月14日

フレデリック・ルイス・アレン 『オンリー・イエスタデイ  1920年代・アメリカ』 (ちくま文庫)

Filed under: アメリカ — 万年初心者 @ 05:20

副題通り、1920年代のアメリカを描写した社会史・生活史・風俗史の本。

第一次大戦後、ウィルソン的理想主義に倦み、国際連盟への参加を拒否して「常態への復帰」というスローガンと共に孤立主義に閉じ籠り、ボリシェヴィズムの影に怯えて「赤狩り」が行われ、サッコ・ヴァンゼッティ事件を引き起こし、ハーディング、クーリッジ、フーヴァーという凡庸極まる共和党大統領の下、巨大企業重視の自由放任政策を続け、自動車とラジオを中心とした大量消費社会を出現させ、空前の好景気を享受したが、1960年代の対抗文化の先駆けのようなモラルの変容を経験し、誇大広告と煽情的ジャーナリズムによる大衆ヒステリーが繰り返され、リンドバーグなどが英雄に祭り上げられ、禁酒法という明らかに無謀で偽善的な社会的実験が行われ、その弊害からアル・カポネらマフィアが我が物顔で横行し、フロリダにおける狂気のような不動産ブームの後、さらに狂的な株式バブルを膨張させ、ついに1929年ウォール街株価の暴落を引き起こし、大恐慌に全世界を巻き込んだ、1920年代アメリカの大衆社会を活写している。

その醜悪な面は、日本を含む全ての民主主義社会の雛型でもある。

 

 

もちろん、細かな固有名詞やエピソードにこだわる必要は無い。

雰囲気をつかめば十分。

著名な本であり、学生時代から存在は知っていたが、この度初めて通読。

しかし、本にはやはり読み時というものがある。

これを学生時代に読んでいたら、多分途中で挫折するか、嫌々読み終えて何の印象も受けない、ということになっていたでしょうね。

 

ざっと読んで、現在我々が生きている社会を反映する鏡のような叙述を確認できれば、それでよい。

悪い本ではないです。

2018年2月10日

砂野幸稔 『ンクルマ  アフリカ統一の夢』 (山川出版社世界史リブレット)

Filed under: アフリカ — 万年初心者 @ 03:25

出た、「ンクルマ」という違和感全開の表記。

1957年、戦後サハラ以南のブラック・アフリカで初の新興独立国となったガーナの指導者についての、90ページ弱の簡略な伝記。

著者は『新書アフリカ史』(講談社現代新書)の共著者の一人らしい。

高校世界史でギリギリ出てくる程度の人物なので、普通ならこれくらいの短い本が適切なんだろうが、高根務『ガーナ 混乱と希望の国』を読んだ後だと、それに付け加える知識は少ない。

独立後、1960年「アフリカの年」とコンゴ動乱の時期、穏健派のアフリカ諸国がウフエ・ボワニ政権のコートディヴォワールを中心にモンロビア・グループを結成、それに対抗してンクルマ政権のガーナ、セク・トゥーレ政権のギニア、モディボ・ケイタ政権のマリなど急進派諸国がカサブランカ・グループを結成、しかし急進派諸国でもンクルマの唱える、各国の国家主権を放棄したアフリカ合衆国を目指す意見に同意は得られず、結局両グループの妥協によって、1963年アフリカ統一機構(OAU)が結成された、ということくらいか。

カサブランカはモロッコにあるが、王政国家のモロッコが急進派諸国に加わったのは、単に対外関係についての思惑からだ、と『モロッコを知るための65章』に書いてあった気がするが、詳細は覚えておりません。

全体的な評価については、現実遊離した国家運営について厳しい意見も記されているが、OAUが発展的に解消して2002年発足したアフリカ連合(AU)にも繋がる、アフリカ合衆国の理想を掲げた人物としては評価している。

上述の『ガーナ 混乱と希望の国』が未読なら、読めばいい。

そうでないなら、強いて読むことは無いかなあ、と思う。

2018年2月6日

ジョージ・バーナード・ショー 『ピグマリオン』 (光文社古典新訳文庫)

Filed under: 文学 — 万年初心者 @ 02:36

「こんな作品名、知らんなあ」と思われるかもしれないが、要は映画『マイ・フェア・レディ』の原作である。

ということで、音声学のヒギンズ教授とピカリング大佐が、下層階級のロンドン訛り(コクニー)丸出しで喋る花売り娘イライザに上流階級の言葉と立ち振る舞いを教え込んで、淑女に仕立て上げる、というお話になる。

作者自身が付け加えた「後日譚」も読むと、映画とはやや異なるラストの模様。

読みやすく、十分面白い。

教科書に載っている代表作だからといって、極めて古い訳本で『人と超人』を読むより、こっちに取り組んだ方が、はるかに良いでしょう。

双方をとりあえず読んだ上で、確信を持ってそう勧めます。

2018年2月2日

ピーター・カルヴォコレッシー ガイ・ウィント ジョン・プリチャード 『トータル・ウォー  第二次世界大戦の原因と経過 上巻 西半球編』 (河出書房新社)

Filed under: 近現代概説 — 万年初心者 @ 03:47

この翻訳は1991年初版が出た。

当時刊行には気付いており、飛ばし読みはしていた。

今回ひょんなことから入手できたので、実に四半世紀余りのブランクを経て読んでみた。

上巻がヨーロッパ編、下巻がアジア・太平洋編。

まずナチズムとヒトラーに関する概論を述べ、戦争に至った背景説明を行っているが、この部分はさして興味深いものではない。

加えて、訳文があまりこなれていないのか、誤訳か誤植かと思われるところも、二、三あった。

ただ、宥和政策の評価については非常に重要な議論を展開しており、ここはしっかりと把握しておく必要がある。

本書では、ミュンヘン会談のあった1938年に英仏両国が対独戦に踏み切らなかったことを致命的な失策と見なしている。

宥和政策について、一般的評価とは異なり、ナチス・ドイツに対抗できるだけの軍備を拡張する為の、貴重な時間を稼いだ、として肯定的に捉える見方もあることをこのブログでは書いてきました(福田和也『昭和天皇 第五部』など)。

しかし、本書ではそれを否定する。

英国が宥和政策に向かった三つの要因を挙げる。

第一が、国民世論と政策決定者が第一次大戦の恐るべき被害を経験し、再度の戦争を避けることを至上命題にしていたことで、著者もこれは十分理解し得ることだとしている。

第二に、イギリスはヨーロッパ情勢だけでなく、自らの帝国保持を考慮し、特に東アジアにおける日本の脅威を受け、対ヨーロッパ政策において慎重にならざるを得なかったこと。

これには、著者は序文で、実際には日本は英仏・独間が開戦した1939年にも、フランスが降伏した40年にも戦争を仕掛けてこなかった、この懸念は過剰で不要なものだった、としている。

第三に、最も重要な点として、空軍力を主とする軍事情勢の誤認、そしてミュンヘン協定を結んだことで、東欧諸国で唯一勢力均衡に影響を与えるほどの実力を持っていた中級国家チェコスロヴァキアを失ったこと。

1930年代の英国外交政策の予測で、第三番目の要因は、軍事力の均衡と空軍の実戦力を始め、軍事情勢の読み誤りであった。閣僚らは、戦争が始まれば、ロンドンはたちまち破滅的な爆撃を受け、英国は降伏しなければなるまい、と思っていた。この考えは馬鹿げていた。英国航空幕僚は、ドイツをとても爆撃できないことを認めていた。この弱音を吐いたことから、ドイツ空軍なら英国本土を爆撃し得るのか、という疑問が当然生まれそうなものだが、驚いたことに、そういう設問はまったく提起されなかったようなのだ。もしされたとしたら、答えはおそらくノーであったに違いない。ドイツ空軍が二年後に英国本土を空襲した時(予想した破滅的損害は軽微だった)、フランスとベルギーのドイツ軍占領下の基地から発進したもので、1938年当時は、両国に空軍基地を持たず、チェコスロヴァキアが独立していて、敵対的で軍備の充実した国家として健在である限り、征服できなかったのである。ミュンヘン協定によるチェコスロヴァキアの破滅が翌年完了したことが、ヒトラーの大英帝国へ航空攻勢を開始する不可欠の前提条件だった。ミュンヘンでチェコスロヴァキアを裏切ったのは、そうでもしなければヒトラーと戦い、負けるほかなかったからだ、という理由がこれまで正当化されてきた。これはいかにもまずい口実である。結局、フランスはいずれにしろ敗れた。英国は「イギリスの戦い」で勝ちはしたが、ミュンヘンから引き出す正しい結論としては、あそこでチェンバレン首相が、英国空軍増強のための時間を稼いだから、国を救ったというのではなくて、むしろミュンヘンが、本来ならば戦わなくてもいい戦争を、英国に引き起こさせたということなのだ。

1938年、戦闘準備の整っている国の中には、チェコスロヴァキアもその一つに含まれていた。英国もフランスもソ連もまだ態勢が整っていなかった。もっと重要なことは、ドイツも準備が不十分だったことである。もちろんイタリアもそうだった。だからチェコスロヴァキアのいかなる同盟国も、その敵国に対して、とりわけ優勢に戦いを始められたはずである。チェコスロヴァキアは戦争の態勢作りが出来ていたばかりでなく、動員人員の点を除けば、重要なあらゆる部門でドイツと肩を並べられるほど強力だった。三五個師団のチェコスロヴァキア陸軍に対し、ドイツ陸軍は同規模か若干上回っていたが、侵略軍としては、防衛する側の二倍の兵力量が必要だった。ドイツは1938年チェコスロヴァキアと師団数でほぼ匹敵し、西部戦線防衛の四ないし五個正規師団(といっても訓練不十分で将校不足)多かったが、同戦線にはチェコスロヴァキアの同盟国フランスが七六師団も持っていたのである。チェコ軍はいろんな点で、特に砲と装甲戦闘車両の面で、ドイツ軍より装備が優秀だった。1940年にフランス軍とその連合軍を蹴散らして壊滅させたドイツ装甲師団は、1938年にはまだ存在しなかった。1939年9月でさえ、ヒトラーが西部で戦争を開始したとき、一〇個師団の代わりにわずか六個装甲師団しか持っていなかった。一〇個装甲師団のうち四個装甲師団がチェコの戦車を使っていたくらいである。

チェコスロヴァキアは欧州で第六番目の工業大国で、ヨーロッパでは最も有名で、大規模かつ能率的な兵器産業のひとつを持ち、スロヴァキアの相対的に安全なところへ、西部から移す計画を立てていた。1938年以降その生産量は(英国の兵器生産量と大体同じだった)、ドイツ自体の能力につけ加えられ、ミュンヘンでドイツが獲得したものは多大なものだった。ドイツはさらに、チェコスロヴァキア軍の現保有装備(航空機一五〇〇機を含む)も確保した。チェコスロヴァキアの動員計画は申し分なかった。政府はプラハの人口の半数を疎開させる態勢を整えていたし、士気も旺盛だった。こういった相当の貢献をしている見返りに、スロヴァキアが要望したものは、フランスが宣戦布告をしてくれることがすべてだった。ドイツ軍を二、三カ月ぐらいは支える能力に自信があったので、即時、フランスが大挙して攻勢に出るのを少しも当てにしていなかった(ここがそれを要請したポーランドと違うところだ)。翌年フランスは軍動員の一五日以内に、ドイツに対抗するためその大部分を必ず回す、という約束をしてくれたのである。

だがフランスや英国に、同じような自信はなかった。フランスや英国の参謀、政治家たちの悲観主義が大きく頭をもたげてきた。オーストリア合邦いらい、チェコスロヴァキアの柔らかい下腹部がむき出しとなり、その首都はドイツの挟撃作戦にひとたまりもない、という西欧で抱かれてきた考え方からである。事実は、チェコスロヴァキアの南部防衛線が決して柔らかくはなく、ドイツも挟撃作戦を計画していなかった。ヒトラーとその将軍連が決定したのは、南部および北西からプラハを攻撃すれば、チェコスロヴァキア軍と防衛施設によって、あまりにも長期に釘付けになるだろうから、西方から攻撃する計画を立てたのだった。無血勝利者として、チェコ防衛施設を視察できるようになったとき、その防御力とそのふところの深さが、国境からプラハまで続いているのに今さらながら畏怖の念を覚えたのだった。ミュンヘン以後二、三週間たって、ヒトラーは四〇〇人の報道陣に防衛施設視察の感想として、一発の弾も撃たずにこれほどのものを首尾よく手に入れられたのは、感激の一語に尽きる、と語っている。

・・・・・ヒトラーの政治的な大ばくちは成功したが、フランスと英国が軍事能力に欠けていたわけではなく、戦略的に無能だったからである。・・・・・1940年フランス軍は、優勢なドイツ装甲部隊(1938年にドイツは持っていなかったのだ)のため二、三週間で壊滅した。さらに1938年、ドイツがチェコスロヴァキアに手間どり、西部にはわずかにドイツ正規師団が五個師団とその他七個師団、東部にはドイツ全空軍を投入して、ヨードル将軍が建築現場みたいだ、と表現した不完全なドイツの防衛態勢だったのに、一方で条約義務がありながら、フランス陸軍が全く動かず、むざむざ時を過ごしたとは、どうしても本当とは思えない。いかにその統率力や装備が貧弱だとはいえ、戦争が起きたあの時より以上にへまをやらなかっただろうし、少なくとももっとましなことがやれたはずである。

・・・・・

ミュンヘンについては、英国の場合二つの点を調べなければならない――1939年に戦争が実際にやってきた時と、1940年に天下分け目の戦いがあった時である。再軍備は、ミュンヘン以後は着々と進められていたものの、1940年にフランスが(そして5月10日、チェンバレンが辞職)6月17日に降伏するまでは、それほど真剣ではなかった。戦争を拒否したミュンヘンから、1939年9月にそれを引き受けた時点までの英国の軍事費は、ドイツの約五分の一だった。英国の戦闘機生産はドイツの約半分。だからこの一二ヵ月間に、ドイツに比べて英国の地位は、少しも改善されていなかった――この点に関して、英国の立場は実際には悪化していたのだ。ミュンヘン当時は必要不可欠のレーダー網も不完全で、完成したのは一年後である。低空で飛んでくる航空機捕捉の補助レーダー網は、1938年には全く存在しなかったし、1939年になってもまだ同じ状態だった。もし英国政府が、1938年に敗北を恐れていたのだったら、その一年後、英国の防衛態勢がドイツの空襲にいまなおうまく立ち向かえず、航空機の機数も増え近代装備も充実したとはいうものの、ドイツ空軍力と比較すると、いぜん見劣りがしていたのだから、なおさら心配する理由があったはずである。

1940年の春までには、「イギリスの戦い」直前に、英国航空機生産高がドイツを追い越し始めたので、英・独両軍の差は開かなくなり、逆に縮まってきた。1938年、英国は戦闘機六〇〇機を擁し、その中の三六〇機がすぐ実戦に使えたが、新鋭機は五機のうちわずかに一機の割合だった。一九四〇年になると、全戦闘機部隊四三個飛行中隊は、新鋭ハリケーンかスピットファイアを保有していた(海外の飛行中隊にはなし)。だから「イギリスの戦い」を1938年に展開しておれば、結果は別の方向をたどったかもしれない、などと言われるのもうなずけることである。しかし、1938年チェコスロヴァキアを同盟国として「イギリスの戦い」といったものが戦えたはずだと想定するのは、受け入れ難い。なぜなら、ドイツ空軍にとって、英国攻撃の際に基本的に不可欠なことは、フランスとベルギーにある飛行場の確保だったからである――飛行場を最初にドイツ陸軍が占領しなければならなかったし、1938年の予測では、チェコスロヴァキア占領で手一杯だったであろうからである。英国が1938年にひどく貧弱な備えしか整えていなかったとしても、1939年ポーランドのために戦争に引きずり込まれ、1940年には英国自身の沿岸防衛をせざるを得なくなった時よりも、優秀な装備を持ち、ことに東部に邪魔者のいないドイツと、1938年に非常に不利な状況で戦わなければならなかっただろう、ということにはならない。むしろ逆に、1938年の戦争回避は不面目な措置であるばかりでなく、不得策で愚かなものであった、と思う十分な理由がある。ミュンヘンで戦争を先へ延ばすことによって屈服してしまったことが、その後の進路を決定し、フランスの敗北を確実にしてしまい、英国は再軍備の時を稼ぐどころか、もう少しのところで負ける戦争に追い込まれるところだったのである。

本題の戦史部分の叙述はとりあえずは良くまとまっている。

オーストリア、チェコ、ポーランド、デンマーク、ノルウェー、オランダ、ベルギー、フランス、という枢軸国の占領・攻撃の順序は、年代(と月)と共に正確に記憶すること。

しかし、戦史部分を離れて、ドイツ占領下のヨーロッパを描写する章になると、読むスピードがガクンと落ちる。

続きを読もうとするが、訳文が予想以上に悪い気がする。

全600ページ余りのうち、400ページまで行ったところで、あえなく挫折。

どうにも読み進められなくなってしまった。

上で引用した宥和政策の評価は非常に重要と思われるし、肝心の戦史部分はそんなに悪くないと思うのだが・・・・・。

第二次世界大戦の本格的通史としては、以前リデル・ハートの本を(通読してないのに)紹介したが、それに加えて本書を(上下巻共に読んだ上で)推薦しようと考えていたんですが、自分が挫折してしまったので、他人に薦める資格が無くなった。

この先、下巻に取り組む可能性も薄い。

存在だけは紹介しましたので、興味のある方は一度図書館でご覧下さい。

比較的最近出た類書では、アントニー・ビーヴァー『第二次世界大戦 上・中・下』(白水社)があるようだが、そちらの方がいいのかもしれない。

2018年1月29日

千葉功 『桂太郎  外に帝国主義、内に立憲主義』 (中公新書)

Filed under: 近代日本 — 万年初心者 @ 02:04

最長の首相在任記録を持つ元老の伝記。

1848年長州藩の上士の家に生まれる。

他の元老より、半世代ほど年下だが、戊辰戦争従軍に辛うじて間に合う。

二度のドイツ留学で近代軍制整備と健全な政軍関係確立の必要を確信し、山県有朋の忠実な配下となり、1886年「明治十九年の陸軍紛議」を経て、陸軍主流派を形成。

同輩に比して出世は遅れ気味で、一時、名古屋の第三師団長に左遷されるが、日清戦争出征を経て、台湾総督に就任、1898年第三次伊藤博文内閣で念願の陸相就任。

続く第一次大隈内閣、第二次山県内閣でも陸相、憲政党・憲政本党との交渉や義和団事変に対応。

1901年第一次桂内閣成立、日英同盟締結と日露戦争勝利は周知の事。

その過程で、伊藤・山県ら元老がロシアとの交渉に固執した一方、桂や小村寿太郎らが最初から日英同盟樹立を目指していたように語られることがあるが、これは自らの功績を強調したい桂の自伝の記述からくる偏った見方だとのこと。

日露戦後は政友会との「桂園体制」を確立、苦手の財政問題への見識を深め、「国家財政統合者」としての存在感を強める。

1908年第二次内閣を組織、高平・ルート協定、第二次日露協商、第三次日英同盟を締結し、多角的同盟・協商網を形成し、米英との新通商航海条約締結で不平等条約を完全に改正することに成功したが、日韓併合と大逆事件の1910年という明治の暗い年もその任期中であった。

大正改元後、一時内大臣となったが、1912年第三次内閣を組織、政友会との「桂園体制」破棄を決意、世論の不評の中、後藤新平らを支持で、衆議院・貴族院・官僚を横断し、一党優位性を前提とする「立憲統一党」構想を掲げるが、立憲国民党の大石正巳・河野広中・片岡直温ら反犬養派と中央倶楽部のみが参集、政友会の切り崩しには失敗し、貴族院も山県と配下の平田東助の影響で新党には参加せず、結局「立憲同志会」として結党準備が行われる。

しかし、外交官の加藤高明、大蔵官僚の若槻礼次郎、浜口雄幸など桂系官僚が加わった立憲同志会は、伊藤が結成した立憲政友会に続き、元老級の藩閥政治家と民党が結合した縦断政党として二大政党の一翼を担うことになる。

1913年第一次護憲運動によって辞任、同年死去、立憲同志会の正式結党はその死後である。

 

その生涯を見ると、甲申事変で強硬論を吐いたり、日清戦争時の独断的行動などの危うさが一部にあるものの、全般的には安定感がある。

(日露講和交渉で桂が賠償金に固執したという説は正確ではないとされている。)

軍人としてそのキャリアを出発させながら、軍部の個別的利害に囚われず、第三次内閣時には陸海相の文官制すら視野に入れていたという。

日露戦争後、軍拡と減税の双方に反対して、断固として実行した緊縮財政も、当時の状況下では必要なものだった、とひとまず理解は出来る。

(韓国併合と大逆事件については、いろいろ考慮しなければならないことが多いので、判断は留保します。)

そして、桂がその人生最期の時期に結党を志した立憲同志会は、本書副題の「外に帝国主義、内に立憲主義」の言葉通り、第二次大隈内閣の加藤高明外相による「対華二十一ヵ条要求」のような強硬外交を示した時期もあったが、その後幣原外交の採用によって著しく穏健化し、開明的な伊藤が結成した政友会が、昭和に入ると、過激で偏狭な民衆世論に迎合して極端に右傾化した一方、同志会から生まれた憲政会および立憲民政党は国際協調主義と議会政治の旗を守り続けた。

(ただ惜しむらくは、民政党の緊縮財政へのこだわりは、同党のみならず戦前日本の運命を誤らせた、極めて大きな錯誤だったと思われる。)

日露戦争という明治日本最大の国難を乗り切ったこと、機能不全に陥った政友会に替わる、リベラルな対抗政党を(意図せずに、かもしれないが)準備したことが、桂の最大の功績か。

 

 

伝記としては普通。

手堅いが、特筆すべき点も無い。

読みやすくはあるし、悪くはないです。

2018年1月25日

高坂正堯 『政治的思考の復権』 (文芸春秋)

Filed under: 史論・評論 — 万年初心者 @ 03:23

この方の著作は、共著を除けば、ほとんど目を通しているが、これは未読だった。

古書店で偶然発見したので、読んでみる。

1972年1月刊の政治・外交評論集。

米中接近と通貨固定相場制放棄という二つのニクソン・ショックが日本に大きな衝撃を与えていた頃。

そして、翌年の石油ショックで高度経済成長が終焉する直前の時期。

まず、三島由紀夫の自殺事件を取り上げて時代の精神状況を分析、そこから外交論に移って、米国の国力衰退に伴う日米関係の軋轢、米ソ二大超大国と「半極」的存在の中国、そして経済大国でありながら政治・軍事的には小国である日本という四ヵ国が織りなすアジアの政治構造、西側同盟の基礎を再確認しつつ東側諸国との交流拡大に乗り出した西ドイツの東方外交を論じる。

多極化(多角的バランス)時代に入った世界で、明白な経済大国となった日本が権力政治から棄権することは不可能であることを認識し、日米同盟を政治的安定の為の資産として維持しつつ、他国に配慮した慎重で自制的な自由貿易政策を実施し、同じ中級国家としてのヨーロッパと日本の連携を深めることを主張。

内政面では、米国占領時代において、「押しつけ」とも「自発的」とも言えない(あるいはその両側面を持つ)大きな改革が遂行されたが、それが圧倒的な占領軍の権力によって行われたことを直視しないことによって、戦後日本における「力の無視」という精神的欠陥がもたらされたことを指摘。

政治が介入してよい領域、および政治によって可能なこと、それぞれの限界をしっかりと認識しつつ、過剰な正邪意識とユートピア的思考や成り行き任せで行動することを避け、自由闊達な議論による選択の多様性と妥協に基づく、真の「政治的思考」を復権させることを説いている。

 

 

やはり十分有益な書物であった。

保革のイデオロギー対立の嵐の中で、何とか冷静で実りある議論を展開しようとした著者の真摯な姿勢に心を打たれる。

2018年1月21日

岩根圀和 『物語スペインの歴史 人物篇  エル・シドからガウディまで』 (中公新書)

Filed under: スペイン — 万年初心者 @ 04:54

駄目。

全然駄目。

「正篇」の方も「何だかなあ・・・」という出来だったが、このシリーズでは極めて珍しいことに同じ著者による続編としてこれが出た。

気付いてはいたんですが、無視していて、最近ようやく手に取った。

一日で通読したが、やはり駄目ですわ、これ。

取り上げられている人物は6人。

エル・シド(11世紀レコンキスタ期の騎士ロドリーゴ・ディアス)、女王フアナ(イサベル、フェルナンド両王の娘、カール5世の母)、ラス・カサス(新大陸のインディオ保護を訴えたドミニコ会修道士)、セルバンテス、ゴヤ、ガウディ。

そもそも人数が少ないので、章と章の間の時代が空き過ぎている状態になっている。

しかも、その人物にだけ密着した内容で、時代背景の叙述が極めて不充分であり、各章が断片的に存在するだけで相互に連関しておらず、通史として成り立っていない。

個々の記述では、フアナおよびラス・カサスの章では、面白さと迫力を感じないでもない。

しかし、セルバンテスの章では、作家が晩年巻き込まれた自宅近くで起きた殺人事件の記録を丸一章かけて述べるだけで、正直「何ですか、これは???」となった。

同じように人物伝を書き連ねて通史を叙述するという形式の、藤沢道郎『物語イタリアの歴史』が稀にみる傑作だったのと比較すれば、本当に天と地ほどの差がある。

同書にも続編があり、こちらはさすがにもう一つの出来だったが、それでも本書よりはマシ。

このシリーズでのスペイン枠を使って失敗だったので、追試を受けたがそれにも失敗したという感じ。

ちょっと酷評が過ぎたかもしれないが、私の正直な感想は以上の通りです。

2018年1月17日

猪口孝 『社会科学入門  知的武装のすすめ』 (中公新書)

Filed under: 読書論 — 万年初心者 @ 05:33

これも関連文献:読書論という記事の末尾で名前だけは挙げている。

1985年刊。

全16章で、「古典に親しむ」「批判精神を養う」「作文を習慣づける」などの章名で、社会科学系の学問的な心構えと学び方についてあれこれ書いている。

だがそれらは、「歴史を知る」と題された、18世紀末の清朝のヴェトナム介入と1979年の中越戦争を比較・考察した章を除くと、大して興味深いものではない。

結局、本書でも大きな価値があるのは、「政治学案内」「経済学案内」「社会学案内」の末尾三章。

以下、「政治学案内」から一部を引用する。

 

 

便宜上、政治学を次の三つに分けて案内したいと思う。

1 政治哲学

2 政治史

3 政治学理論

本書で念頭に置いているのは主として、政治学理論であるが、政治哲学、政治史の二つは政治学の二大起源として欠かせない。

 

1 政治哲学

政治哲学は社会科学が規範的なものを扱う限り、回避できないものである。古来人間が規範と価値の問題に費やした時間は人を圧倒する。二千年の歴史の中で哲学された内容を短時間で追体験すること――それが哲学書を読むことである。

まず文庫本で利用できるものを片っ端から読むことである。一回目に手にした時は気が乗らないものでも、しばらくたつと自分でも驚くほど容易に読めることがある。古典や哲学といっても毛嫌いしないでとにかく手にしてみようではないか。

この類のもののほとんどは外国語からの翻訳である。それは何を意味するか。まず大体の場合、翻訳が原文よりもわかりにくくなっている(もちろん、原文も読めればの話であるが)。このことは必要以上に外国語から翻訳された古典を難解なものにしてしまった。昔から外国のものをなにかとありがたがって難解なものにしがちだったことに原因があると思う。たとえば、ゴータマ・ブッダは必要以上に難しく意味もわからないようにされた最たるものではないか。日常的な観察から始まって、常識的な分析を行っている古典がなんと多いことか。

しかしながら、本によって、わかりにくいところはたしかに少なくない。しかも、時代も違うのだから、全部わかることを期待することは無理というものである。あまり気にしないで読み進むにこしたことはない。そうしているうちに、また、もう一回読む時に、つまらないところにひっかかっていたことに気付いたりするものである。

政治哲学の多くは古代ギリシア、古代中国の昔からある。そして、それらの多くは宇宙はどのように成り立っているか、という大きな話で、たとえば、プラトン、アリストテレスである。宇宙論、世界観、君主論といった大きな話の中から、近代の政治哲学が規範と現状分析をからめて発展していく。たとえば、ホッブス、ロック、ルソーであり、モア、ペイン、シェイエスである。現代になると、哲学を定式化していく動きもみられ、ロールズ、ノジク、バリー、アクセルロードなど政治学や経済学の正統の流れと密接に結びつくようにさえなってきた。同時に、今までなかったような実践とかたく結びついた政治哲学も生まれてきた。これらを古代政治哲学、近代政治哲学、現代政治哲学と便宜上分けてみよう。

 

1-1 古代政治哲学

古代政治哲学の中ではなんといっても多彩なのは古代ギリシア哲学である。世界の素というか初めというかアルケーとよばれるものの追究に精力が傾けられた。なにか政治の素があってその違いによって政治体制の違いができた――乱暴にいえばそうなると思う。

アナキー(アナルケー)はアルケーが無くて混乱した無秩序なことをいうのだし、モナキー(モナルケー)というのは素がすっきりと一つ(君主)しかない政治体制=君主制をいう。現代アメリカの政治学者ロバート・ダールが民主主義(=大衆支配)を使わずに、ポリアーキー(素がたくさんある政治体制)という言葉を作ったことは覚えていてもよいであろう。

このように政治の違いは政治の素によってもたらされるということはずっとあとまで続く。実際、フランスの社会学者で哲学者のレイモン・アロンが最後の古典哲学と名付けたモンテスキューの哲学によれば、社会は基本的に政治体制によって規定されることになる。政治体制の素みたいなものがすべての基底になるのである。今日では経済発展だとか、社会構造だとか、世界システムにおける位置とか、いろいろな政治体制の特質を規定するものを挙げるのが普通である。

古代ギリシア哲学について代表的なのはいうまでもなくソクラテス、プラトン、アリストテレスである。

ソクラテスについては著作がないので、クセノフォーン『ソークラテースの思い出』・・・を読もう。ソクラテスの言葉で有名なのは「無知の知」、つまり自分は知っていないことによって初めて哲学=知を愛すること、いいかえると、すべての知的活動が始まるといったことである。「汝自身を知れ」という言葉で知られる。これに至る方法として議論をわきたたせる術を実践した人である。

次はプラトンである。とくに、理想国、カリポリスを描いている『国家』・・・が有名である。『国家』はおとぎの国の話ともいうべきものであって、実現するための計画ではなかった。三つの階級からなる貴族制を説き、絶対に変わらないのを良しとするもので改革の余地はなかったのであるが、なぜかわからない理由で、貴族制は衆愚政や僭主政へとなるという。『国家』を読めば、カール・ポッパーが『開かれた社会とその敵』・・・でプラトンを激しく攻撃したのはうなずける。自由民主主義とはまったく反対の事をプラトンは説いている。

アリストテレスは多くの著作を残したが政治に関しては『ニコマコス倫理学』・・・が代表的である。アリストテレスにとって政治は実際上の知識の一分野であり、倫理学の一部分であった。人間は「政治的人間」である。つまり、ポリスという集団を作って何かをやるものであるというのである。アリストテレスはいろいろな政治制度について述べているが、つまるところ、最良の人が支配すればよいという。

・・・・・・・

 

2 政治史

歴史は人間の営みの記録である限り、社会科学の実験室のようなものである。歴史は過去に累積されたデータの宝庫であり、同時に、さまざまな条件下に生起する出来事をあたかも変数をコントロールして、実験のようにみることさえできる。実際、歴史を読むことはふつう限られた経験を何倍にも増大させ、しかも狭い世界がどんどん拡大する。

歴史というと人名と地名が次から次へと出てきてかなわない、という人もいると思う。しかし、小説もその点では同じである。重要なことは面白い歴史を読むようにすることである。全部が全部、事件羅列・平板記述の歴史ではない。

いろいろな予備知識がないと読もうとしてもわからないというかもしれない。このような問題に対する最善の策はどんどん読み進み、しばらくしてまた引き返してくればよい。未知の町を訪ね歩けば、町の地理だけでなくいろいろなことが発見される――それと同じである。詳細な案内があって旅をする人と気ままな旅を好む人と違いがあってかまわないのである。

今日、歴史は極端なまでに専門化、細分化されている。それぞれの分野で、たとえば、古代史、中世史、近代史、現代史とか、エジプト史、ドイツ史、中国史、アメリカ史、ブラジル史、南アフリカ史、ガーナ史、インドネシア史、東南アジア史、イスラム教世界史、地中海世界史とか、経済史、政治史、文化史、科学史、社会史とか、そしてこれらをさらに組み合わせたもののそれぞれが学会として成立するくらい歴史家はたくさんいる。そのため、各分野でさまざまな案内書がある。地図がないと歩けない人はこれらの入門手引き書を活用すればよい。どこから始めても、芋づる式にどんどん何を読むべきかがわかるはずである。また、図書館の主題索引を利用すれば、何を読むべきかについて容易に知ることができる。

政治史というと人物と事件を交錯させたエリート中心の歴史であるという通念がある。中でも古典的政治史にはそういうものが多かった。ここでは次の三つに分けてみよう。古典的政治史、現代本格派政治史、巨視構造派政治史である。

 

2-1 古典的政治史

司馬遷の『史記』・・・はエリート中心人物史の古典である。波瀾万丈の中国古代史を、権力の盛衰を人物に焦点をあてて叙述したものである。直接的な心理の描写はまれであるが、登場人物を活写すること、見事であるというべきであろう。『史記』は累積読者数からいくともしかしたら世界で最高のもののひとつではないかと思う。野次馬根性でもよいから読んでみようではないか。

カール・マルクスの『ルイ・ボナパルトのブリュメール十八日』・・・はナポレオン三世の権力掌握の過程を皮肉、毒舌、軽妙そして類いまれなレトリックをもって描いたものである。躍動する文章を綴りながら、自らも楽しんでいることが感じられるような本である。初めの方に、「人間は自分で自分の歴史をつくる。しかし、自由自在に自分で勝手に選んだ状況のもとで歴史をつくるのではなくて、直接にありあわせる、与えられた過去から受け継いだ状況のもとでつくるのである」という有名なくだりがある。ジャーナリスティックな政治史といっても構造的把握をしていることに注目しなければならない。

各地を追われながら、貧困の中であの膨大な著作を書き残したマルクスは、書斎がないから、時間がないから、ワープロがないから、別荘がないから、といって、どうせあっても大して書くことをもたないわれわれ学者の鑑である。

エドワード・ギボンの『ローマ帝国衰亡史』・・・は今でもこれをしのぐ作品が現われていないといわれるほどの大作である。

ゲルマン人という野蛮人とキリスト教の急速な成長がローマ帝国の崩壊の原因であるというのがその主要議論である。十八世紀の作品ではあるが、因果関係の検討において優れているのみならず、フランス語の影響から解放された立派な英語を駆使した文学的作品であるといわなければならない。ギボンは父親に反対され、好きな人との結婚をあきらめ、一生独身ですごしたという。すべてのエネルギーが歴史執筆に向かったのであろうか。

 

2-2 現代本格派政治史

アーノルド・トインビーの『歴史の研究』・・・は古代ギリシア文明をはじめとして今日までの十二の文明の盛衰をパターン化して示すものである。思弁的歴史論の代表的歴史家によって書かれたもので、大胆と独断が時に、細部にわたる気配りと同居しているのが興味深い。

学者は狐型とはりねずみ型がいる。狐はあちこち渉猟し、いろいろなものを食べる。いつも壮大なことをいうタイプがこれである。はりねずみは大体同じ場所に生息し、食物の種類も限られ、一定している。いつも重箱のすみをつついているタイプがこれである。トインビーは狐型であろう。こういうタイプの歴史家は今日ではあまりいない。その意味でも古き良き時代の産物である。

A・J・P・テイラーの『第二次世界大戦の起源』・・・は雄弁な歴史というものがまだ健在であることを示した例である。雄弁な歴史とは、退屈でメッセージをもたない歴史の対極物をいう。外交史はえてして無味乾燥なものになりがちであるが、テイラーはイギリスの知識人によくみられる巧妙な議論の進め方、正確な言葉づかい、盛りだくさんの事実の叙述を見事に配合しているといわなければならない。この本は大変ポレミカルな本で、ドイツの戦争目的はその他の国のそれとそうひどくは違わなかった、むしろ戦争に至る大国間の相互作用の経過が戦争を回避できないものにした、という。

・・・・・・・

 

 

これも通読の必要は無い。

簡単な選書ガイドとして活用すればそれでよし。

2018年1月13日

ジェフリー・ブレイニー 『オーストラリア歴史物語』 (明石書店)

Filed under: オセアニア — 万年初心者 @ 05:31

当ブログで、「オランダ」と並んで、最も記事数が少ないカテゴリが「オセアニア」である。

しかし、ある程度はしょうがない。

普通の歴史好きのレベルでは、オーストラリア史一冊と太平洋島嶼史一冊読めば、オセアニア史は「あがり」ですよね。

しかし、少しでも数を増やす為に、これでも読んどきます?

ブレイニーの別作品『距離の暴虐』の名前は聞いたことがあるが、もちろん読んだことはない。

最近出た『小さな大世界史』(ミネルヴァ書房)も同じ著者か。

著者は、先住民アボリジニや移民の問題について、やや保守的な意見を公表し、一部で強い批判を受けたこともあったという。

しかし、本書の以下のような記述を読むと、特に偏りのある意見とも思えない気がする。

ひとつ問題となったのは、この地で対照的なアボリジニとヨーロッパ人の歴史をどのように比較考量し、調和させるかということだった。私は、多くの歴史家や評論家のようにオーストラリア白人の歴史を全面的に弾劾し、アボリジニの歴史と彼らの現在の要求事項を優位におきたいとは思わない。だがまたアボリジニの歴史を野蛮人のものだと排斥してしまうという、極端な逆の態度にも益はないと考える。双方の歴史上の各局面は、それぞれ特有の価値を有している。

 

 

いわゆる白豪主義政策は、結局のところオーストラリアの評判を悪くすることになった。あまりにも融通がきかず、長く継承されすぎたし、品格を傷つけるような言葉や不当な論法でしばしば弁護されてきた。しかしながら、オーストラリア人あるいはアジアの評論家の中には、この政策を誇張しすぎている者がある。二〇世紀の初頭は、世界はまだ島国的だったことを忘れている。海外への渡航は一般的ではなかった。当時は、大半の国が、それぞれの宗教や親族関係や文化を固持していて、国民的結束は戦争の際には有効な特質だったのだ。しかも、その時のオーストラリア的な生活とアジア的な生活はあまりにも大きくかけ離れていて、相互の誤解が生まれやすかった。

白豪主義政策は、オーストラリアに特異なものであるとはいえない。カナダ、アメリカ合衆国、ニュージーランドの三つの民主的国家も中国人の流入に直面しており、一八八〇年代までにはアジア人を対象とした独自の制限方法を持っていた。中国も日本も外国人を歓迎していたわけではない。・・・・・

オーストラリアの政策はときおり、他の人種に対して傲慢さと全くの侮蔑を含んでいた。同時にオーストラリアは、他の多くの国民や部族よりもはるかに多く、異なる人々を受け入れてきた。

 

個別的な叙述については、軽く流していいでしょう。

シドニー、メルボルン、ブリスベン、アデレード、キャンベラ、パース、ダーウィン、ホバート、ケアンズという都市の位置と州名をまずチェック。

大航海時代の16世紀に「発見」はされていたが、ヨーロッパ人の本格的移住は18世紀後半、イギリス人のクックによる探検以降。

流刑植民地として出発したが、徐々に自由移民が中心となる。

アメリカよりも平等主義的で、政府介入への嫌悪が少ない気風が培われる。

19世紀前半は羊毛業が大発展、世紀後半に入ると空前のゴールド・ラッシュと鉱業による繁栄が続く。

各州植民地自治政府下で、男子普通選挙など当時としては急進的な民主主義の実験を行っていたが、厳格に資格制限された上院が存在したこともあって、幸い大きな混乱をもたらすことはなかった。

1890年代の大不況を経て、1901年自治領オーストラリア連邦発足。

自由党と労働党が対峙。

社会風俗史的記述が多いので、その時代の大体の雰囲気をつかむことに重点を置いて、バートン、ヒューズ、カーティン、メンジズ、ホイットラム、フレーザー、ホーク、キーティング、ハワードなどの政治指導者の名前は軽く目に慣らす程度でいいでしょう。

 

 

可もなく、不可もない、という感じの本。

手頃で、取り付きやすい点は、よしとします。

2018年1月9日

福田和也 『昭和天皇  第七部 独立回復(完結篇)』 (文芸春秋)

Filed under: 近代日本 — 万年初心者 @ 05:05

敗戦から講和条約締結まで。

この巻については、あれこれ書くのはやめておきます。

占領下のこともあって、あまり愉快ではない描写も多いが、かと言って陰惨一方の叙述でもない。

タイトル通り、このシリーズは1951年サンフランシスコ講和条約調印の時点で筆を置いている。

「このペースで昭和64年まで描いたら、一体何巻になるんだ?」と思っていたが、先帝の戦後の治世ほとんどを省略することで、結局全7巻で完結となりました。

全般的に見ると、このシリーズは、昭和天皇の詳細な伝記ではないし、通常の通史とも言えない。

以前も書いたと思いますが、極めて多くの人物に関する、断片的な情景の描写を積み重ねて余韻を残し、読者に考える余地を残す作品となっている。

著者の政治的立場と全く異なる考え方を持つ人でも、その描写からいろいろ感じることがあると思われる。

ただ、後半部になると、その効果がやや薄れ、散漫な印象を与えるのも事実である。

叙述形式は取っ付きやすく、楽に読めるのは長所。

しかし、最初に感じたような深い興味と面白さは、後半部には大きく減じました。

まあ、機会があればお読み下さい。

決して損はしないと思います。

2018年1月5日

ウィリアム・シェイクスピア 『ヘンリー六世 全三部』 (ちくま文庫)

Filed under: イギリス, 文学 — 万年初心者 @ 02:19

この本では、シェイクスピア史劇の大作を一巻本にして収録してある。

百年戦争をイギリス優位に導き、英仏両王国を統合するかとすら思われたランカスター朝の名君ヘンリ5世が急逝、幼少のヘンリ6世が即位したことから、イングランド王国の歯車が狂い出す。

王の叔父(ヘンリ5世の兄弟)グロスター公ハンフリー、ベッドフォード公ジョンと、王の大叔父(ヘンリ4世の異母弟)ウィンチェスター司教およびその甥サマセット公のボーフォート家一族との対立が激化。

さらにヘンリ6世の妃でフランス王家出身のマーガレットとその協力者サフォーク公、ヘンリ4世の父ジョン・オヴ・ゴーント(ランカスター家の祖)の兄弟エドマンド・オヴ・ラングレーから発する、孫のヨーク公リチャード(とその子で後に王位に就くエドワード4世、リチャード3世)、ヨーク家派の最有力貴族ながら後にランカスター派に転ずる「キング・メイカー」ウォリック伯リチャード・ネヴィルなどが入り乱れて、国家はバラ戦争という内乱の泥沼に沈んでいく。

他に背景として、仏王シャルル7世とジャンヌ・ダルク、ワット・タイラーの再来のような反乱者ジャック・ケイドなどが登場。

ジャンヌ・ダルクの扱いには相当の国民的偏見が感じられないこともないが、まあこの辺で収まっていれば、まだマシな方か。

シェイクスピア史劇については「史実に忠実でもないし、さして面白くもない」という批評があるようだが、私は必ずしもそうは思わない。

史上の著名人物が発する生き生きとした台詞回しを楽しみながら、歴史の流れが無理なく頭に入るようになっており、初心者には十分有益である。

史実との乖離も、本書の訳注で頻繁に触れられているが、はっきり言ってこの時代のイギリス史にさしたる予備知識がない日本人読者が気にするようなレベルではない。

戯曲にしては相当長大な作品なので読むのを躊躇していたが、本書も十分面白く、効用も高かった。

初心者でも取り組んでみることをお薦めします。

2017年12月27日

伊藤武 『イタリア現代史  第二次世界大戦からベルルスコーニ後まで』 (中公新書)

Filed under: イタリア — 万年初心者 @ 04:18

類書が少ない分野でいい本が出た。

イタリアの戦後政治史の本。

近現代イタリア史を大掴みすると、1861年統一、1922年よりファシスト政権、敗戦後1946年より第一共和制、冷戦終結後1990年代前半より現在まで第二共和制。

以下、各章紹介。

章名の目次自体が時代区分になっているので、そのまま掲げる。

 

 

序章 近代国家としての歩み 1861~1943

まず建国最大の功労者カヴールが1861年統一直後に病没していることをチェック。

以後、カトリックと社会主義という二つの反体制勢力を抱えたまま、左右の自由主義勢力が政権を担当する。

1880年代後半から90年代半ばまでの首相クリスピ、20世紀初頭の首相ジョリッティら有力政治家の国家統合策も必ずしも成功せず。

第一次大戦で戦勝国となったものの、獲得したものは少なく、社会に混乱と不満が広まる。

自由主義政党が衰退する中、それに替わったイタリア社会党とカトリックのイタリア人民党は統治経験の乏しさから政権担当能力を示せず。

そして自由主義勢力の切り札ジョリッティは、自派の統一選挙名簿にファシストを加えて協力しようとする、最悪の失敗を犯す。

1922年ムッソリーニ首相就任。

1943年連合軍のシチリア上陸を受けて、ムッソリーニ失脚、バドリオ政権成立。

ナポリを境に、南に連合国側についた国王とバドリオ政権、北にドイツの影響下に置かれたムッソリーニの「イタリア社会共和国」(別名「サロ共和国」)が対峙。

 

 

第1章 レジスタンスと共和制の誕生 1943~47

バドリオ政権と復興した政党勢力が協力、国民解放委員会政府を組織。

共産党、プロレタリア統一イタリア社会党、行動党、キリスト教民主党、イタリア自由党など。

共産党指導者はトリアッティ。

まず、この人名は憶えましょう。

イタリアの非共産系社会主義政党は離合集散や党名の変更が激しく、ややこしいのだが、この時期の正式名称は以上の通りらしい。

指導者はピエトロ・ネンニ。

行動党は急進的知識人中心の党、イタリア自由党は旧来の自由主義勢力。

そして戦後イタリア政治の中心となるのが、カトリックを中心に多様な勢力を糾合したキリスト教民主党。

指導者のアルチーデ・デ・ガスペリは戦後イタリア史の最重要人物と言えるので、高校世界史レベルでは全く出てこないでしょうが、必ず記憶すること。

1945年4月、ムッソリーニ逮捕・処刑、イタリア全土が解放。

挙国一致政府内での対立が深まりつつある中、45年12月デ・ガスペリが第一次内閣を組織。

結局、デ・ガスペリが1953年まで首相の座を維持する。

デ・ガスペリはオーストリア・ハンガリー帝国のチロル地方出身、戦前はオーストリアの帝国議会議員になり、第一次大戦後チロルがイタリアに併合されるとイタリア人民党に所属、反ファシズムを貫き、ヴァチカンに匿われる。

年代的にファシズム時代20年間の党指導部の空白を埋め、思想的にも左右両派の中間に位置したことが、彼を指導者に押し上げた。

1946年国民投票の54%の賛成で、君主制廃止と共和制移行が決定。

君主制支持は(のちの)国民君主党、自由党、キリスト教民主党右派など。

憲法制定議会選挙で共産党、プロレタリア統一社会党、キリスト教民主党の三大政党が多数を占める。

レジスタンスの威信を背負った共産党が西欧諸国では最大の勢力を誇り、以後イタリア政治の重い課題となる。

憲法は上下両院の権限を対等に定め、首相を「閣僚会議議長」としてその権限を制約、大統領は国会議員らの間接選挙で選ばれる儀礼的存在とし、地方分権的制度を導入、選挙制度は比例代表制にするなど、権力の集中を忌避する分権的制度設計を徹底したもの。

なお、ファシズム時代に締結されたラテラノ条約も、議論の末、憲法に組み入れられた。

47年講和条約調印、イストリア東部をユーゴスラヴィアに割譲。

 

 

第2章 戦後再建とデ・ガスペリ時代 1947~53

この1947年がイタリアにとって大きな転機となる。

同年トルーマン宣言とマーシャル・プラン、コミンフォルム結成で冷戦が本格化、イタリア国内でも左右対立が激化、これまで宥和的姿勢を取ることが多かったトリアッティ指導下の共産党も先鋭的行動を取るようになる。

統一社会党では、共産党との連携に反対する穏健右派のサラガトらが党を割り、イタリア勤労者社会党(のちのイタリア社会民主党)を結成、統一社会党は党名をイタリア社会党に戻す。

右翼では、王制支持の国民君主党の他、46年に結成されたネオ・ファシスト政党「イタリア社会運動」が台頭。

左右両派に挟撃される中、デ・ガスペリは47年5月ついに社共両党の閣僚を追放、中道連合政権を組織することになる。

同年にはフランスでも共産党閣僚が解任されているが、フランス社会党は共産党と一線を厳に画していたから、「追放する側」にいたはず。

一方、イタリア社会党は共産党と提携していたため、「追放される側」になっている。

以後50年代前半までの「デ・ガスペリ時代」はキリスト教民主党を中心に自由党、共和党(行動党の一部が結成)、勤労者社会党(社会民主党)が与党となり、左派の共産党および社会党、右派の国民君主党とイタリア社会運動に対抗することになる。

48年総選挙で与党が勝利、キリスト教民主党が単独過半数。

49年NATO加盟、51年欧州石炭鉄鋼共同体に参加、自由主義と保護主義を組み合わせた経済政策で復興を成し遂げるが、日本の自由民主党のようにキリスト教民主党が安定多数を占めることにはならなかった。

左右両派の台頭で53年総選挙で中道連合勢力は敗北、デ・ガスペリは辞任。

 

 

第3章 高度成長と新たな政治路線の模索 1954~67

スターリン死後、冷戦の緊張が緩和する中、イタリアは55年国連に加盟、国際的地位を順調に高めるが、国内ではキリスト教民主党内部でジリ貧の中道連合の補完をどこに求めるかで、左派のファンファーニ(およびそれから分離したモーロ、ルモールら)と右派のアンドレオッティが対立を深める。

左翼第一党の地位を共産党に奪われた社会党では、スターリン批判とハンガリー動乱によるソ連の威信低下もあって、共産党との提携見直しを主張する勢力が多数を占めるようになる。

こうした情勢を受け、「左への開放」路線が採用され、イタリアはこれまでのキリスト教民主党を中心とする勢力に社会党をも加えた、中道左派政権の時代を迎える。

1962~63年のファンファーニ政権、63~68年モーロ政権、68~70年ルモール政権、70~72年コロンボ政権など。

だがこれらの政権も、高度経済成長がもたらした歪みを是正することに成功したとは言えず、不安定さを抱えながら、イタリアは急進的社会運動が惹起した60年代末に突入する。

 

 

第4章 社会運動の高揚とテロリズムの横行 1968~78

1968年全世界的な学生運動の高揚から、イタリアでも急進的社会運動が巻き起こり、一部新左翼は政権入りした社会党、議会主義・改良主義化した共産党など既成左翼を強く批判し、暴力的直接行動に走る。

イタリア社会運動を中心とする極右もそれに対抗し、70年代のイタリアは左右のテロが横行、1978年には極左組織「赤い旅団」により、元首相モーロが誘拐・殺害されるという事件まで起こる。

危機の中、二大政党の一翼で、ベルリングェル率いる共産党は70年代半ば、ソ連からの自立と議会制民主主義尊重を旨とする「ユーロ・コミュニズム」路線を採用、キリスト教民主党との「歴史的妥協」を提唱、モーロ事件の最中成立したアンドレオッティ政権には共産党が信認投票を行なう。

しかし、翌年更なる実質的政権参加を求める共産党とキリスト教民主党は決裂、「歴史的妥協」は終焉した。

 

 

第5章 戦後政治の安定と硬直化 1979~88

80年代、共産党の勢いはようやく衰えを見せる。

かつての中道左派連合と同じ政党、キリスト教民主党・自由党・共和党・社会民主党・社会党の「五党連合政権」が80年代イタリアを統治。

ただキリスト教民主党が、極右組織にまつわる「P2事件」やヴァチカンに近い銀行に関する金銭スキャンダルで支持を落とし、共産党との一切の連携排除を主張してリーダーシップを確立していたクラクシの社会党の重みが増す。

1983~87年、初の社会党首班のクラクシ政権。

80年代は経済好況にも恵まれたが、同時に利益誘導と政治腐敗、マフィアの暗躍など副作用も深刻化する。

 

 

第6章 第一共和制の危機と終焉 1988~93

1989~92年、最後の五党連合内閣であるアンドレオッティ政権。

冷戦終結、湾岸戦争、ECからEUへの移行に対処するが、大規模な政治腐敗とマフィアとの癒着が摘発され、政界は大混乱に陥る。

既成政党は次々没落、キリスト教民主党と社会党は分裂・消滅、共産党は東欧ソ連圏崩壊を受け「左翼民主党」と改称、極右のイタリア社会運動はやや穏健右翼寄りの「国民同盟」となり、他に経済的に進んだ北イタリアの自立を訴える「北部同盟」など新たな右派政党が生まれる。

それら新政党の中で最大勢力となったのが、メディアを押さえる大富豪の企業家ベルルスコーニ率いる「フォルツァ・イタリア(頑張れイタリア)」。

もう名前からして酷い政党。

伝統擁護の欠片も無く、メディアの宣伝で有権者を洗脳し、自由の名の下に私利私欲を肯定することしかしない新自由主義の傀儡という、私が大嫌いな「保守」政党だ。

70年代に国民君主党系の勢力がイタリア社会運動に吸収された、とさりげなく記述されているのを読んだ際にも感じたが、「保守の劣化と実質的崩壊」は日本もイタリアも同様だなと思った。

92年から96年にかけて、アマート、チャンピ、ディーニという非政党人専門家首班のテクノクラート政権が成立、二大政党制を志向した小選挙区比例代表並立制が導入され、第二共和制に移行。

 

 

第7章 第二共和制の離陸と定着 1994~2001

この時期以降のイタリア政治は、多数の政党が中道右派と中道左派の二大ブロックに別れて競う展開になる。

94年フォルツァ・イタリア、北部同盟、国民同盟、旧キリスト教民主党右派勢力等の中道右派による第一次ベルルスコーニ政権が誕生するが、95年初頭に崩壊。

選挙管理内閣ディーニ政権を挟んで、96~98年カトリック左派と左翼民主党を主体とするオリーブ連合を与党とするプローディ政権。

この政権は共通通貨ユーロ導入の為の財政改革などで成果を挙げたが、与党内の対立から、98~2000年首相は左翼民主党出身のダレーマに交替。

96~01年の中道左派内閣は、かつてのカトリックと共産主義の「歴史的妥協」を実現したかのような政権で、前半はユーロ導入の為の経済改革を中心に大きな成果を挙げたが、後半は成果に乏しい、中道右派連合と比べて構成政党の数が多く、リーダーシップの確立が困難だった、と評されている。

 

 

第8章 ベルルスコーニ時代のイタリア 2001~11

この十年間、06~08年の第二次プローディ中道左派内閣の期間を除いて、首相の座はベルルスコーニが占める。

統一後のイタリアで政治指導者の名を冠して呼ばれる時代は、ジョリッティ時代、ムッソリーニ時代、デ・ガスペリ時代と、このベルルスコーニ時代だけである。

しかし、この最後の時代はいかにも薄っぺらい。

内政では公私混同の私利追求、外交ではイラク戦争での対米追従だけが目立つ。

07年中道左派勢力は統合して民主党を結成、それに対抗してベルルスコーニは中道右派の統一政党「自由国民」を結成、多党分立が収まる気配となる。

08年政権復帰したベルルスコーニだが、リーマン・ショックとユーロ危機に襲われ、2011年辞任。

 

 

第9章 共和国の現在 2011~

経済危機の中、2011~13年モンティ首班のテクノクラート政権が再現。

13年総選挙では「五つ星運動」という、よくわからないポピュリズム勢力が台頭、中道左派、中道右派と並んで議会で三極体制を形成。

結局民主党中心の連合政権、レッタ内閣(13~14年)、レンツィ内閣(14年~16年)、[本書刊行後]ジェンティローニ内閣(16年~)が成立・継続し、現在に至る。

第6章以降の本文では、イタリアには市場主義的構造改革が必要である、という前提で叙述が進められているようで、やや疑念を持たないでもないが、イタリアという特殊状況ではそうかも知れないと考えて、あえて読み流します。

 

 

 

非常にしっかりした内容。

ページ配分が適切で読みやすい。

巻末の関連年表、歴代政権一覧、主要政党リストといった付録も充実。

政党名が乱立して頭が混乱する時もあるが、そもそも事実多党制が戦後イタリア政治の特徴なのだからしょうがない。

西欧最大の共産党の政権参加を阻止するため、中道政権を経て社会党を含む中道左派政権が成立、ユーロ・コミュニズム路線を採った共産党だがついに政権参加は出来ず、冷戦終結後は既成政党が総崩れとなり、第二共和制に移行、中道左派と中道右派の連合が交替で政権を担当、という流れが、以上の記事で触れた人名と共に大体頭に入っていればよい。

戦後政治史に関して、イギリスでは黒岩徹『イギリス現代政治の軌跡』(丸善)、フランスでは渡辺啓貴『フランス現代史』(中公新書)、ドイツでは小林正文『指導者たちでたどるドイツ現代史』(丸善ブックス)を紹介していますが、イタリアはジェンティーレ『イタリア現代史』(世界思想社)という古い上に到底初心者向けではない本しか無かった。

その記事の末尾に書いた、「日本人著者が噛み砕いてわかりやすく書いた入門書」がようやく出た感がある。

良質な啓蒙書として推薦します。

2017年12月23日

中嶋嶺雄 『国際関係論  同時代史への羅針盤』 (中公新書)

Filed under: 国際関係・外交 — 万年初心者 @ 05:21

1992年刊。

以前この記事で書名だけは触れている。

著者は戦後を代表する現実主義的な中国研究者の一人。

私が若い頃、左派偏向的な中国研究、国際政治学が跋扈する中、最も信頼できる中国政治研究者と考えており、その著の『中国  歴史・社会・国際関係』(中公新書)は、初心者が中国現代史を学ぶ上での基本テキストとして個人的には扱っていた。

ただ、その最晩年は過去の反動として世間に表れてきた反中感情に迎合するような面が見られ、あまり好い印象を持っていなかったことも事実である。

 

 

本書では、まず国際関係論という学問の概要から始め、それが政治学の延長線上の国際政治学ではなく、社会科学諸部門の総合という存在であることを述べ、政治学・経済学・社会学・歴史学・人類学などディシプリン(専門的学問領域)を複数習得する必要性を提示。

私は研究者でも何でもなく、ただの一般読者だが、私の関心の中心にはやはり歴史(政治史)があって、その脇に外交・国際関係と政治思想があり、背景に文学が隠れているといったところでしょうか。

次いで、国際関係論という学問分野の展開について、カー、シューマン、モーゲンソー、ケナン、レイモン・アロン、スタンレー・ホフマン、ケネス・ウォルツ、ギャディス、ナイなどの学者名を挙げながら概観。

地域研究の紹介を挟んで、戦後国際政治史を簡単に概観する具体的歴史叙述が置かれ、次に米・中・ソ・欧・アジア相互の国際関係の断片を扱った章、社会主義と民族紛争を述べた章が続く。

そして、外交に一章を割り当てる。

ここでは、条約・協約・協定・交換公文・議定書・議事録・共同宣言(共同声明)という外交交渉の公約化の形式について少し注意を払っておく。

終章では、国際関係上の倫理、および21世紀に向けた展望を語っている。

 

 

以上が本文ですが、正直精読する必要は無く、興味のあるポイントを押さえるだけでいいかもしれない。

私もそうした。

だが、本書を最も価値あらしめているものが、末尾に付せられている。

「国際関係論基礎文献」と題された読書案内の付録である。

必読書30点を含む多くの書名が挙げられている。

以下、分野ごとにその必読書30点のみを引用してみる。

 

 

≪政治≫

バーナード・クリック『政治の弁証』

ハンナ・アレント『革命について』

レーデラー『大衆の国家』

オルテガ『大衆の反逆』

 

 

≪国際関係論・国際政治学・外交≫

E・H・カー『危機の二十年』

ニコルソン『外交』

A・J・P・テイラー『第二次世界大戦の起源』

アリソン『決定の本質』

永井陽之助『平和の代償』

清水幾太郎『現代思想』

川田侃『国際関係概論』

永井陽之助『冷戦の起源』

中嶋嶺雄『中ソ対立と現代』

 

 

≪地域研究全般≫

中嶋嶺雄 チャルマーズ・ジョンソン『地域研究の現在』

青木保『文化の否定性』

梶田孝道『エスニシティと社会変動』

梅棹忠夫『文明の生態史観』

中根千枝『社会人類学』

 

 

≪アメリカ≫

トクヴィル『アメリカの民主政治』

ケナン『アメリカ外交五十年』

アーネスト・メイ『歴史の教訓』

 

 

≪ヨーロッパ≫

高坂正堯『古典外交の成熟と崩壊』

 

 

≪ソ連・ロシア・東欧・中近東≫

E・フロム『人間の勝利を求めて』

エレーヌ・カレール・ダンコース『崩壊した帝国』

山内昌之『ラディカル・ヒストリー』

 

 

≪アジア・中国≫

信夫清三郎『朝鮮戦争の勃発』

神谷不二『朝鮮戦争』

フェアバンク『中国』

中嶋嶺雄『現代中国論』

中嶋嶺雄『香港 移りゆく都市国家』

 

 

 

あくまで本書刊行時のものであり、今から見ると古くて入れ替えた方がいいような本もあるが、以上で書き写さなかった書名も含めて、一応の参考にはなる。

本文は特に素晴らしいと言うほどでもないが、末尾の読書案内は出色のもの。

古書店で見かけたら、買って手元に置いて、時々眺めることで読書意欲を高めるのも良い。

2017年12月19日

猿谷要 『物語アメリカの歴史  超大国の行方』 (中公新書)

Filed under: アメリカ — 万年初心者 @ 07:16

初版は1991年で、この『物語~の歴史』シリーズではイタリアと並んで、最初期に出たものでしょう。

著者はアメリカ史研究者としては結構著名で、私の若い頃から名前だけは知っていた。

『物語イタリアの歴史』が感動的なほどの傑作だったのに対し、こちらの方は、立ち読みしたところ、ありきたりの通史に思えたので、これまで読むことがなかった。

だが、このシリーズで未読のものを潰していくか、という気になったので、この度通読。

 

結果はやはりもう一つである。

事実関係の密度が低すぎる。

内容のごくごく粗い通史をざーっと読まされる感じ。

誰もがある程度の予備知識を持っている国の歴史について、限られた紙数の新書版で特色のある通史を書くことがいかに困難かは理解しているつもりだが、それを割り引いてもやはり本書は成功とは言い難い。

白紙状態の人が一読して全般的イメージをつかむにはいいのかもしれないが・・・・・。

なお、史的評価については、昔立ち読みした時は、視点がリベラル寄り過ぎるだろうと思った記憶があるが、今回読んだ際には、その面ではそれほど違和感は感じなかった。

まあ、ごく平凡な通史、という以外の感想は持てなかった。

アメリカ史のテキストとして、強いてこれを選ぶ理由は無いです。

2017年12月15日

間宮陽介 『市場社会の思想史  「自由」をどう解釈するか』 (中公新書)

Filed under: 思想・哲学 — 万年初心者 @ 04:41

薄い、経済学史・経済思想史の本。

もともと放送大学用のテキストで、全15章のうち4章は他の人の執筆だったのを、今回著者の文責で単著扱いにしたという。

実はこれ再読です。

初読の際には、何ともありきたりな教科書的著作に思えて、即座に記事にすることはしなかった。

しかし再読してみると、思ったよりも特色がある。

自由市場メカニズムへの肯定と懐疑を交互に繰り返してきた経済学史の中で、後者に属する、歴史学派のリスト、制度学派のヴェブレン、経済人類学のポランニー、ケインズ主義を評価していることが読み取れる。

前者の系譜の中でも、アダム・スミスの自由主義と、マネタリストおよび合理的期待形成学派の自由放任主義を区別し、その自由概念の違いを明確にしている。

あとは、現在の新古典派経済学の源流となった、ジェヴォンズ、ワルラス、メンガーの限界(効用)革命についての記述が比較的詳しいのが特徴。

そこでは唯一数式による説明があり、私にとって苦手中の苦手だが、まあ説明の意図自体は全く理解できないこともない。

 

 

それほど悪くはないが、同じ著者の『ケインズとハイエク』が圧倒的に面白かったのに比べれば、雲泥の差がある。

まず、『ケインズとハイエク』を読むことをお薦めします。

2017年12月12日

ジョナサン・スウィフト 『ガリヴァー旅行記』 (ワイド版岩波文庫)

Filed under: 文学 — 万年初心者 @ 04:21

これも大学時代に読んだきり、ウン十年振りの再読だ。

小人国リリパット、巨人国ブロブディンナグ、浮遊島ラピュタに統治されたバルニバービ、魔術師の島グラブダブドリブ、不死の人間が惨め極まりない形で存在しているラグナグ、「踏み絵」をヨーロッパ人に強要する日本(!)を経て、馬が支配者として君臨し、人間がヤフーという家畜になっているフウイヌムに至る奇譚が実に生き生きと面白可笑しく記されている。

全編にみなぎる社会風刺と人間性批判の徹底振りは本当に凄いの一言。

文学的関心以外の観点からでも必読の本と言える。

未読の方には是非勧める。

なお関連書として、高坂正堯『近代文明への反逆』があるので、併せて手に取ると有益でしょう。

2017年12月8日

エリック・ホブズボーム 『20世紀の歴史  極端な時代 上・下』 (三省堂)

Filed under: 近現代概説 — 万年初心者 @ 02:10

原著は1994年刊、この翻訳は1996年刊。

1914年第一次世界大戦から1991年ソ連崩壊までの、「短い20世紀」を叙述した概説的史書。

著者のホブズボームについて、マルクス主義の影響を強く受けながらも非教条的で優れた史家として名前は以前から知っていたが、著作を読むのはこれが初めて。

1917年生まれ、ベルリンとウィーンで育ち、のちイギリスに渡り、英米圏で活動。

本書全体は三部構成。

第一部は、二度の世界大戦に挟まれ、大恐慌と全体主義が生まれた「破局の時代」、第二部は戦後西側諸国で経済成長と社会的平等化が顕著だった「黄金時代」、第三部は1973年以降石油危機による高度成長の頓挫と社会主義の終焉を含む「地すべり」。

全体的概観を述べれば、19世紀の進歩の発展上にある自由民主主義・資本主義が、戦争・恐慌・ファシズムという三重の挑戦を受け、崩壊に瀕したが、共産主義との奇怪な同盟によって、ファシズムを軍事的に打倒することが出来ただけでなく、のち共産主義への対抗を強いられたため、平時において資本主義の自己改革を促す契機を提供することになった、というのが本書のモチーフ。

しかし、「破局の時代」がもたらした傷跡と歴史の退行はあまりにも深刻だった。

今世紀は、人間はきわめて残酷な状態、本来ならば耐えられないような状態にあっても生きていくことができるということを、われわれに教えたし、今も教えている。そのために、一九世紀の人々ならば野蛮の基準と呼んだであろう状態にどの程度もどったのか、不幸にしてますますもどりつつあるのかを理解しにくくなっている。われわれが忘れていることであるが、老齢の革命家フリードリッヒ・エンゲルスはアイルランド共和派がイギリスの国会議事堂ウェストミンスター・ホールに仕掛けた爆弾が爆発したのを非常に遺憾なことと思ったのである。彼は元軍人として、戦争は戦闘員とするべきものであって、非戦闘員にしかけるべきものではないと信じていたからである。これもまたわれわれの忘れていることであるが、帝政ロシアのポグロム〔ユダヤ人の迫害〕は(当然のことであったが)、世界の世論を憤激させ、一八八一年から一九一四年にかけて何百万人ものロシア系ユダヤ大を大西洋を越えてアメリカに渡らせたのだったが、その殺戮は現代の虐殺と比べれば小規模なもので、ほとんど無視できるほどのものであった。死者は数十人の単位で数えられ、数百人、ましてや数百万人といった規模のものではなかった。

・・・・・二〇世紀が進むにつれて、戦争はますます相手国の経済とインフラストラクチャー、そして相手国の非戦闘員人口にたいして行なわれるようになった。第一次大戦以降、非戦闘員の死傷者数は、アメリカを除くすべての交戦国で戦闘員をはるかに大きく上回るようになった。一九一四年には当然と考えられていた次のようなことを、今日のわれわれの中で何人が記憶しているだろうか。

教科書によれば、文明の戦争は、できるかぎり敵の武力を無力化することに限定されている。さもなければ、戦争は一方の当事国が絶滅させられるまで続くことになるであろう。「このような戦争がヨーロッパ諸国の間で一つの慣行となったのには・・・・・・じゅうぶんな理由がある」

科学技術の発達が戦争の破壊力を19世紀とは桁違いに高め、一方政治的社会的民主化は世論の煽動とイデオロギー化を必然とし、国家指導層間の冷静な妥協的解決を不可能にし、「無条件降伏」を常態化したため、20世紀の総力戦は人類にとって文字通り破滅的なものとなった。

民主主義の反動として現れたファシズムも、世俗的イデオロギーによって大衆を下から動員して権力を奪取するという意味では、決して伝統的諸勢力が生み出したものではなく、大衆民主主義時代の申し子とすべき存在である。

また、生き延びた自由―資本主義社会も、自己利益以外の関心をもたない原子的個人を生み出すことによって、貧富の差を拡大し、社会の分裂と軋轢を蔓延させ、それ自身の基盤を掘り崩していき、地球環境の危機という重大な問題も発生させることになった。

 

 

本書の存在自体は、訳書刊行時に書店や図書館で見かけており、以前から知っていた。

なのに、これまで手に取ることが無かった理由としては、「社会主義が結果として、ファシズムの打倒と自由主義・資本主義の延命に役立ったと言っても、それ自体がもたらした被害が尋常じゃないでしょう、この左翼史家には根本的な自己反省が欠如している」という気持ちがあったことは事実です。

(正確に言えば、確か山内昌之氏が本書の書評でこれと近い意味のことを述べていて、それに大いに共感したということです。)

だが、それから20年以上経って、体制としての社会主義が崩壊した途端に、新自由主義と市場原理主義を盲信し暴走を始め、その弊害が収まる兆候すら表れない現在の資本主義の姿を見るとき、このマルクス主義的史家が述べる、自由市場イデオロギーへの批判が至極真っ当に思えてくる。

なお、本書では自然科学を含む文化史および社会史にも目配りされているが、特に前者の章は、私の知的レベルを超える話が多く、ほとんど理解できませんでした。

あと、訳文があまりこなれていない印象。

それもあってか、上巻の最後辺りから下巻にかけては、読むスピードがかなり落ちました。

読んで無駄だったとは決して思わないが、もう一つしっくりこないところがある。

多分、現在白紙状態の人が普通の概説史書のつもりで読んでも、得るところは少ないと思う。

一定程度のことがわかった人が、ざっと読んで著者の史観に触れて、何かを感じるための本か。

やや晦渋な叙述もあり、私にとってはいまいちでした。

ホブズボームには、『市民革命と産業革命 二重革命の時代』[1789~1848年](岩波書店)、『資本の時代 全2巻』[1848~1875年](みすず書房)、『帝国の時代 全2巻』[1875~1914年](みすず書房)という、「長い19世紀」を扱った三部作もあり、こっちの方が私には向いてるのかなあ、とも思ったが、この先読むかどうかは未定です。

2017年12月6日

モリエール 『いやいやながら医者にされ』 (岩波文庫)

Filed under: 文学 — 万年初心者 @ 04:09

飲んだくれの木こりが、仲の悪い妻の企みで、医者に間違えられることから始まる喜劇。

軽妙なやり取りが愉快だ。

わずか80ページほどで、あっという間に読める。

これも、書名一覧でモリエールの数を増やせたし、それで十分。

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