万年初心者のための世界史ブックガイド

2017年9月15日

エーリッヒ・フロム 『自由からの逃走』 (東京創元社)

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ウィリアム・コーンハウザーの言う「民主主義的大衆批判」の代表格。

書名自体は極めて有名。

 

 

第一章。

近代ヨーロッパは外的権威を排除し、自由を拡大し、政治的デモクラシー、経済的自由主義、宗教的自律、生活上の個人主義を達成してきた。

だが、20世紀においてファシズムを支持した民衆は、その自由を熱狂的に捨て去り、煽動的支配者に自発的に服従した。

これを、邪悪な少数者の悪魔的策謀のためとするのは無意味であり、民衆の心理学的分析に真因が求められなければならない。

その分析においては、全てを個人の心理的状況に還元することも、社会現象の説明から心理学的要素を全く排除することも、共に排されるべきであり、個人と社会の相互作用が重視されるべき。

 

 

第二章。

子供が親から自立していく場合と同じように、近代化の進展において、社会から個人が自立していく過程で、自我と自由を獲得すると同時に孤独と不安の感情が諸個人の間に広まる。

様々な共同体との「第一次的絆」が個性化によって失われた後、個人が安定した人格を確立する為には、「・・・・からの自由」という消極的自由から「・・・・への自由」という積極的自由へと移行し、他者との愛情と連帯、建設的仕事という能動的行為に飛躍する必要がある。

だが、それを成し遂げられなかった人間は、孤独と不安に耐えかね、自由自体を放棄し、権威主義的支配者に狂信的に服従するようになってしまう。

 

 

第三章。

中世の対照的評価について。

個人的自由が欠如し、固定的階級に縛られ、物質的進歩は乏しかったものの、各人が明確で固定した地位を保ち、安定感と帰属意識が与えられ、過度の経済競争を規制することで一定の生活は保障され、神という絶対者の前での平等が説かれていた。

中世末期からルネサンスにかけて、それが変化し、教会を中心とする伝統的権威の束縛から脱した近代的個人が出現する。

経済活動の活発化によって、ごくわずかの資産家が勃興し、従来の門閥貴族と結合して新たな上流階層を形成、自由を得た彼らはルネサンス文化の華を咲かせる。

だが、権威の衰退と自由の拡大、自己中心主義と物質主義が広まり、同時に孤独と不安も蔓延するようになった社会で、その成果を享受し得た階層はあくまでごく少数だった。

都市中産階級と農民は、経済活動の自由化によって物質的に困窮し、教会の精神的支柱が失われたことで心理的不安定にも陥っていた。

本書ではルネサンスと宗教改革の精神を区別し、前者は近代初頭において優位な地位を享受し得た上流階層のものだったのに対し、逆に後者を経済的不安定に投げ込まれ、精神的にも孤独、不安、動揺、無力感に苛まれるようになった中産階級の反応の産物だとしている。

共同体と階層性の枠組みの中においては、一定の自由を認めていた中世社会の構造と対応するように、精神的にもカトリック教会は、神の恩寵の働きという大前提を認める限りにおいて、個人の善行と自由意志の重要性も認めていた。

それに対し、ルターは人間の根源的な悪と無力を強調し、自己を放棄し、神の恩寵にひたすらすがることによってのみ、救いは得られると述べる。

これが、伝統的信仰が衰退した後、心理的空白が生じていた、当時の中産階級の不安と懐疑に満ちた精神を(無意識的に)満たすものであったがゆえに、ルターの教義は熱狂的に迎えられた。

ルターがドイツ農民戦争に示した敵意も、上流階層に対しては嫉視と反逆の意識を持っていた中産階級が、下層階級の革命運動へは強い脅威を感じていたことの反映だ、と著者は解釈する。

伝統的権威を憎みつつ、心理的空白を満たすため、新たな権威に服従しようとするルターの傾向は、教皇制度に対する反逆と対照的な世俗的権力への服従の姿勢にも表れている。

(本章のこの辺の筆致は、プロテスタンティズムをはっきりとファシズムの先駆と見なすような評価が見られる。だが、正直よりファシズムに近いのは、農民戦争の最急進派のような下層階級の過激派ではないのか、との感想も持った。)

ルターがドイツにおいて果たしたのと同じ役割を、アングロ・サクソン諸国で果たしたのがカルヴァン。

カルヴァンも同様に自我の否定と人間的プライドの破壊を徹底的に唱える。

その象徴が、有名な予定説。

誰が永遠に救われ、誰が地獄の業火で永遠に苦しむのかは、神が一方的に決定することで、人間の意志や行動が影響することは一切ないという思想。

建前上全ての人々の救済可能性を掲げたカトリック教会に対し、カルヴィニズムは人間の根本的不平等を説く。

世俗的成功が救われる「徴」であるとする考えから(主観的教義においては決して「原因」ではない)、勤勉・節約の生活態度が生まれ、それが資本主義の発達につながったという、マックス・ウェーバーの説は高校世界史でも出てきます。

本章におけるプロテスタンティズムは、近代の自由の幕開けに際し、物質的かつ精神的な、両面の不安定に襲われるようになった中産階級が、真の連帯と協力を成し遂げることが出来ずに、無意識のレベルで自己と自由の放棄と新たな権威への服従を求めて生み出したもの、という叙述であり、決して肯定的に評価されてはいない。

 

 

第四章。

近代的自由の進展で、外的権威から解放された個人が、その自由を積極的に活用する術を知らず、いかなる信念も持てず、言論・思想の自由の下で、匿名世論などの新たな外的権威に屈するようになった。

自分自身の人格も「商品」と同じように、他者の人気と評価に全面的に依存するようになる(そしてその他者評価自体が歴史的伝統に支えられるでもない、ほんの一時の気分程度の存在に過ぎない)。

カトリック教会から人々の魂を解放した、プロテスタンティズムの精神的個人主義は(その表面上の現世的利己主義否定にも関わらず)、資本主義社会の経済的個人主義が広まる為の心理的準備を提供した。

過当競争と資本主義の独占化傾向によって、諸個人の孤独と無力感は強まり、方向性を失った大衆は、全体主義国家における指導者への服従か、民主主義国家における画一的商業大衆文化への没入か、のどちらかへと転落する。

 

 

第五章。

消極的自由によって、前近代的な絆と権威から解き放たれた個人が、積極的自由に向かうことが出来ず、不安と孤独に耐えかね、自我と自由を放棄し、新たな権威と支配者への盲従に逃避するメカニズムを、著者は三つの面から分析。

まず、「権威主義的性格」。

孤独を解消し、自己と他者を無理やり「共棲」させる為に、劣等感と自己卑下を徹底し、新たな強者と権威者に心理的に一体化し、服従するマゾヒズム的傾向と、逆に自己より下位にある弱者を支配・虐待し、苦しめることを通じて一体性を確立しようとするサディズム的傾向。

このサド・マゾ的傾向を合わせて、著者は権威主義的性格と名付けている。

「権威者への服従」と言っても、それは確固たる自我と独自の信念に支えられているものではないので、一時服従した権威が弱さを見せるようになると、逆にそれを攻撃し、また新たな権威に忠誠を誓うようになる。

次に、「破壊性」。

これはサディズム的傾向と混同されやすいが、サディズムがあくまで被支配者の存在(とそれへの恒常的虐待)を前提とするのに対し、破壊性は他者と外界そのものの抹殺を目指す傾向。

最後に、「機械的画一性」。

外界の文化的鋳型に自己を嵌め込み、その典型的パーソナリティを受け入れ、外界との矛盾を消滅させるもの。

これによって、個人は自動人形に近いものとなり、他者からの暗示と煽動で与えられたものを、自分自身の意志・思考・行動であると、誤認したまま、何の疑問も持たなくなる。

 

 

第六章。

ナチス・ドイツにおける自由放棄の実態分析。

ナチズムは、経済的社会運動の分析だけでも、心理学的分析だけでも、理解することが出来ず、その両者を総合することによってのみ、真実が得られると著者は主張。

ナチズム支持の中核となった下層中産階級が、元々優位な立場にある資本家とユンカーの上層階級と組合組織に守られた労働者階級の間に挟まれ、君主制崩壊によって心理的安定をもたらしていた精神的権威を失い、大戦後の経済的社会的混乱の中で、最も不満と不安感を募らせ、宗教改革時代の中産階級と同じ立場にあったことを指摘。

 

 

第七章。

自由民主主義諸国においても、権威主義的性格、機械的画一性など、「自由からの逃走」が見られることを自省する必要性を述べる。

まとめとして、以下の文章を引用。

われわれの願望――そして同じくわれわれの思想や感情――が、どこまでわれわれ自身のものではなくて、外部からもたらされたものであるかを知ることには、特殊な困難がともなう。それは権威と自由という問題と密接につながっている。

近代史が経過するうちに、教会の権威は国家の権威に、国家の権威は良心の権威に交替し、現代においては良心の権威は、同調の道具としての、常識や世論という匿名の権威に交替した。われわれは古い明らさまな形の権威から自分を解放したので、新しい権威の餌食になっていることに気がつかない。われわれはみずから意志する個人であるというまぼろしのもとに生きる自動人形となっている。

この幻想によって個人はみずからの不安を意識しないですんでいる。しかし幻想が助けになるのはせいぜいこれだけである。根本的には個人の自我は弱体化し、そのためかれは無力感と極度の不安とを感じる。かれはかれの住んでいる世界と純粋な関係を失っている。そこではひとであれ、物であれ、すべてが道具となってしまっている。そこではかれは自分で作った機械の一部分となってしまっているのである。かれは他人からこう考え、感じ、意志すると予想されると思っている通りのことを、考え、感じ、意志している。かれはこの過程のなかで、自由な個人の、純粋な安定の基礎ともなるべき自我を喪失している。

このような事態を克服する為、著者は、真に対等な諸個人間の愛情と連帯と建設的仕事による積極的自由と、理性だけでなく感情も含めた全的統一的パーソナリティの発現、そしてその基盤となる民主主義的社会主義の体制が必要だと説いて、本書を終えている。

 

 

なお、続いて「付録」の章があり、そこでは本書の説明原理であるフロムの社会心理学が、フロイトの心理学的接近、マルクスの経済学的接近、ウェーバーの観念論的(イデオロギー的)接近の総合であることが述べられている。

 

 

終わりです。

この記事は、あまり巧くまとめられなかったかもしれない。

もう少し引用したい文章もあったんですが、面倒なんで止めました。

全体的内容は・・・・・それほど面白くない。

「積極的自由」の実現、と言われても、私を含め、圧倒的多数の人間にそれを成就する能力があるとは到底思えない。

本書に限らず、「民主主義的大衆批判」は、議論が空転している感が否めない。

大衆にかんする私の精神主義的な定義はいわゆる保守的懐疑主義の影響を明らかにうけている。つまりそれは、今なお西欧においてその残響を微かながら耳にすることのできるような、E・バークA・ド・トックヴィル流の考え方に想を発している。しかし、財産や教養の量によって選良と大衆を区分するのではないという意味で、私のはW・コーンハウザーいうところの“貴族主義的”な大衆論とは異なっている。財産や教養はすでに大衆の取得するところとなったのであり、したがって懐疑されるべきはそれらの質であると思われる。また、いうまでもないことかもしれぬが、私の定義はコーンハウザーのいう“民主主義的”な大衆論から遠く離れている。ナチズムやスターリニズムの全体主義にたいして民主主義(デモクラシー)を擁護するE・レーデラーS・ノイマンは、民主主義のありうべき頽廃(デモクラティズム)にたいする警戒が少なすぎる。さらに、この種の大衆論のひとつの系であるM・ホルクハイマーやE・フロムの考えは、自由からの逃走および権威への服従を批判するという点については首肯できても、自由を積極的に発動する人間の資質についてまで、したがって自由によってもたらされうる混乱や抑圧についてまで深くは論及していない。逆にいえば、大衆にたいする民主主義的(および自由主義的)な批判者たちは、権威に依拠して大衆を操作する政治階級として選良を定義するのであるが、そうした操作じたいが大衆の自由で民主的な要求に根差しているという可能性、もっといえば政治権力がすでに大衆によって簒奪されているという可能性について考慮を払っていない。

西部邁『大衆への反逆』より)

人類が向かうべきだったのは、「積極的自由」の実現ではなく、「第一次的絆」の回復だったのではないか。

もちろん前近代への全面的な立ち返りなど、完全に不可能であるし、望ましくもないでしょうが、たとえその残像であってもそれを追い求め、意図的に保存し、失われたものを哀悼するという姿勢こそが必要と思われる。

 

本書を読んだ後、現在の日本を顧みると、いろいろ思うところがあります。

現政権のやることなすこと全てを肯定し、その指導者を崇拝せんばかりに礼賛し、皇室すらその下位に置くような態度を平然と示し、ネットを中心に資本によって巧妙に制御されたメディアの煽動に完全に乗せられたまま、ごくわずかの富裕層だけを利して自身がその恩恵に与る見込みなど全く無いようなネオリベ的政策を熱狂的に支持し、その隠れ蓑に過ぎない醜悪な排外的ナショナリズムを狂ったように喚き立て、反対者を全て「左翼」「反日」などと空疎なレッテルを貼って誹謗中傷と罵詈雑言の対象とし、社会的弱者やマイノリティーにも同様の暴言を浴びせ、それがもたらす卑しいサディスト的快楽を唯一の報酬として自己満悦に耽る、暴民に等しいゴミクズ以下のネット右翼を見ていると、本書における「権威主義的性格」と名付けたくなる気持ちも分かります。

もう10年以上前から、衆愚層が自身の醜行を正当化する為に使うお題目が、左翼教条主義から幼児的な排外的ナショナリズムに変わっているのに、それに対して一切警戒も批判も示さないような「保守勢力」と「右派文化人」を私は心の底から軽蔑するようになりました。

20年前なら、間違いなく馬鹿左翼の戯言を口にしていたであろう、知能程度が異常に低い上に、誹謗中傷と罵詈雑言で他者を傷つけ、虐げ、差別したいという卑劣極まりない欲望を自制することが出来ず、その醜い欲望自体が目的であることを隠蔽する為に(かつては左翼の、現在は右翼の)政治的言説を偉そうに述べ立てる、劣悪な精神的(すなわち言葉の真の意味での)賤民が、白痴に等しい能無しの分際で、政治的事象など実際には何一つわかりもしないくせに、本来享受する資格も無い言論の自由を徹頭徹尾悪用し、呆れるほど単純・低劣な「右派的」政治スローガンを喚き立てている。

私にとって、現在のネット右翼(ネット保守)とかつての左翼は、イデオロギーを裏返しただけで、その愚昧・劣等・卑怯・醜悪な害虫ぶりは完全に同じものです。

「左翼批判」を大衆煽動の最大の梃子にしているネット保守自体が、左翼と同様の衆愚集団(「自分には批評性があると思い込んでいる軽信者」)に過ぎない。

引用文(内田樹7)

 

 

同じ流儀の口実や同じ態様の害悪を二つの時代が持つことは滅多にありません。人間の邪悪さはもう少し発明の才に長けていて、人が流儀を論じ合っている間にもその流儀は過ぎ去ってしまいます。まさに同一の悪徳が新しい姿を装うのです。悪徳の精は生れ変り、外見の変化によってその生命の原動力を喪失するどころか、新しい器官を得て、新たに青年の行動の如き新鮮な活力を恢復するのです。人が死体を晒し者にし、墓を発いている間にも、それは大手を振って歩み、破壊を続けるのです。家が盗賊どもの棲家になっているというのに、人は幽霊やお化けを勝手に恐がっています。

歴史の貝殻や外皮にだけ目を奪われながら、しかも自分は非寛容や高慢や残酷さと戦っているのだ、と思っている人間は皆このようなものです。彼らはその一方で、時代遅れな徒党の悪しき原理に対する憎悪という彩の下に、同じ唾棄すべき悪徳を別の―しかも恐らくはより一層悪い―徒党の中に是認し涵養していることになるのです。

引用文(バーク1)より)

 

 

左翼に属することは、右翼に属するのと同様、人が愚かになるために選択しうる無限にある方法の一つである。

つまり、両者はあきらかに、精神的半身不随の形態である。その上、こうした呼び方を固執していることが、それ自体すでに偽りである今日の実状を、なおいっそうゆがめるのに少なからず貢献している。というのは、今日、右翼の連中が革命を約束し、左翼の連中が専制に傾斜しているという事実が示しているように、政治的体験は曲芸的な宙返りを演じているからである。

・・・・・

全面的な政治運動、つまりすべての物事や、すべての人びとを政治の内に吸収してしまうことは、この本で述べている大衆の反逆という現象とまったく同じことである。

もっか反逆している大衆は、宗教心や認識力をまったく喪失してしまった。大衆が自己の内面に持つことができるのは、ただ政治だけである。つまり、知識や宗教や知恵――要するに、その実質から人間の精神の中心を占めることのできる唯一のものにとって変わろうとするあの途方もない、熱狂的で、我を忘れた政治だけなのである。

政治は人を孤独と親密さから解放する。それゆえ、全面的な政治運動の布教は、人を社会化するのに用いられる一つの技巧である。

誰かが、われわれに政治上の立場を尋ねたり、また、今日横行しているあの図々しさを持って先手を打ち、われわれの立場を規定するようなことがあれば、われわれは答える代わりに、その無礼者に対し、彼が人間や自然や歴史といったものをどのように考えているのか、社会や個人集団や、国家や慣習や法とは何であるかと逆に質問すべきである。

今や政治は、あらゆる人間を黒一色に塗りつぶすために、急いで光を消そうとしている。

・・・・・

私は本書を読まれる方の多くが、私と同じようにはお考えにならないのを十分承知している。それもまた極めて当然なことであり、私の主張を裏付けてくれるのである。というのは、たとえ私の意見が決定的に間違っているという結果になっても、私と意見を異にする読者の多くが、このように錯綜した問題について、ものの五分間も熟考したことがないのだ、という事実は常に残るからである。そのような人たちが、どうして私と同じように考えるだろうか?

前もって意見を作り上げる努力をしないで、その問題について意見を持つ権利があると信じていることからして、私が「反逆的大衆」と呼んだところの、人間としての馬鹿げたあり方に属していることを典型的に表明しているのだ。

それこそまさしく閉鎖的、密室的な魂を持つということである。この場合は、知的閉鎖性と言えるだろう。こうした人間は、まず自分のうちに思想の貯えを見いだす。そしてそこにある思想だけで満足し、自分は知的に完全だと考えることに決めてしまう。彼は自分の外にあるものを何ひとつ欲しいとは思わないから、その貯えのうちに決定的に安住してしまうのだ。これが知的閉鎖性のメカニズムである。

したがってわれわれは、ここで、愚者と賢者の間に永遠に存在している相違そのものに突き当たる。賢者は、自分がもう少しで愚者になり下がろうとしている危険をたえず感じている。そのため彼は、身近に迫っている愚劣さから逃れようと努力するのであり、その努力のうちにこそ英知があるのだ。ところが愚者は自分を疑うことをしない。彼は自分が極めて分別に富む人間だと考えている。愚鈍な人間が自分自身の愚かさのなかに腰をおろして安住するときの、あのうらやむべき平静さはそこから生まれている。われわれがどうやっても、住みついている穴から外へ出すことのできない昆虫のように、愚者にその愚かさの殻を脱がせ、しばしの間、その盲目の世界の外を散歩させ、力づくで日ごろの愚鈍な物の見方をより鋭敏な物の見方と比較するように強制する方法はないのだ。馬鹿は死なねば直らないのであり、救いの道は無いのである。

だからこそアナトール・フランスは、愚かな者は邪悪な者よりも忌まわしいと言ったのだ。なぜなら邪悪な者は休むときがあるが、愚かな者は決して休まないからである。

オルテガ『大衆の反逆』より)

 

現下の醜い右派的ポピュリズムを阻止する為に、私はかつて自分が毛嫌いしていた、左派・リベラル的な人々とも協力しなければいけない、とこの数年切実に感じています。

しかし、「権威主義的性格」の右派が登場してくる前には、「本物の権威」の破壊があったはずです。

一切の階層的身分を認めず、個人主義と平等主義を徹底し、自由で自立した原子的個人だけが社会に存在すべきであり、その個人はいかなる伝統や常識に囚われることなく、完全な言論の自由を享受して、何の制限も無く自己の意見を形成し、表明すべき、との考えの下、戦後数十年間左翼的偏向が続いた後、世紀が変わるあたりで、時流の変化に迎合し、多数派の大衆が右派的ポピュリズムに没入することになり、今の状況があるわけです。

そして、左派の人々が自らの正当性の根源と考えているらしい、戦前日本の破滅も、その「非民主性」がもたらしたものではなく、全く逆に、現在眼前に見ているような極右的煽動に乗せられた暴民世論の支配によるものです。

さらに、戦後数十年にわたって、左翼勢力はまさに現在のネット右翼のように驕慢至極の振る舞いをしていたことも断固として指摘し、現在のリベラル派の人々に釘を刺しておきます。

「第一次的絆」の破壊を良しとしてきた左派・進歩派の人たちにも、少しは反省してもらいたいです。

 

近い将来、日本が滅びるとすれば、おそらく反天皇制を掲げる人種主義的・排外主義的極右ナショナリズムの蔓延によるものでしょう(あるいはそれを匿名の影に隠れて秘かに煽動しつつ、その後救世主づらで登場し全てを支配することを目論む新自由主義者と腐敗を極める富裕層)。

その兆候は十年以上前から、すでにはっきりと現れています。

一部の皇族方を白々しく持ち上げる一方で、それを免罪符にしたつもりで、皇太子御夫妻と愛子内親王におぞましい限りの誹謗中傷を延々と浴びせかける、強烈な悪臭を放つ醜い害虫どもがそれです。

(バッシングの対象を入れ替えただけの奴等や、すでに皇室全体を攻撃対象にしているゴキブリ以下のネトウヨも同様。)

そんな奴らの真の「欲望」が何なのかは明白です。

私には、ネット右翼に迎合する現代日本の保守派が、ナチと連携したワイマール・ドイツの保守帝政派と二重写しに見えます。

しかし、もうそこまで来たら、邪悪な存在と共に国全体が滅びるのが唯一の救いかもしれません。

 

 

極めて有名な古典ですから、一読しておくのは悪くない。

書名自体は学生時代から知ってましたから、読了して、長年の宿題をやっとやり終えた気分になりました。

20世紀大衆社会論の代表作であることは間違いないので、読んで損は無いでしょう。

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2017年9月13日

ストリンドベリ 『恋の火遊び 令嬢ジュリー』 (中央公論事業出版)

Filed under: 文学 — 万年初心者 @ 01:24

高校教科書ではゾラ、モーパッサン、イプセンと並んで自然主義文学者として名前が出てくるストリンドベリだが、文学全集への収録を除けば古い訳本しか無いと思っていた。

だが、調べてみると、2005年にこの本が出ていたことを知る。

ストリンドベリはスウェーデンの作家で、19世紀末から20世紀初頭にかけて活動。

本書の訳者は文学関係の人ではなく、元駐スウェーデン大使とのことで、ちょっと「うん?」となったが、訳文自体は極端に不自然だったり、全く意味の通らないところは無かった(たぶん)。

収録作のうち、「恋の火遊び」は、ある夫婦と友人を中心とするいくつかの三角関係の連鎖を描いたもので、特にどうと言うこともない。

だが、「令嬢ジュリー」の方は、極めて印象深い。

伯爵令嬢と使用人、料理女という、たった三人の登場人物で、男女の愛憎、身分・階級をめぐる葛藤を、これでもかというくらい鮮やかに描き出している。

さすが高校教科書にも代表作として載っているだけのことはある。

二作あわせても150ページ足らずなので、あっという間に読める。

「令嬢ジュリー」単独の新しい翻訳が見当たらないので、この本の価値は十分ある。

これだけでも読んで、著名文学者の名を読了リストに増やすのもいいでしょう。

2017年9月8日

ジョン・バイロン ロバート・パック 『龍のかぎ爪 康生  上・下』 (岩波現代文庫)

Filed under: 中国 — 万年初心者 @ 05:14

中華人民共和国、中国共産党の公安・秘密警察関係を牛耳った最高幹部康生の伝記。

1898年山東省膠州湾近くの地主の家に生まれる。

五・四運動に影響され、急進的ナショナリズム思想を抱き、のち江青と改名して毛沢東夫人となる李雲鶴と知り合う。

上海大学に通い、1925年共産党加入。

同年、五・三〇事件に参加。

続いて、北伐軍に呼応した暴動を成功させるが、1927年上海クーデタに遭う。

以後、上海で国民党と血で血を洗う暗殺テロの応酬を繰り広げる。

共産党指導者は、陳独秀が解任された後、瞿秋白、向忠発、李立三とめまぐるしく替わり、1931年王明が事実上のトップとなる。

モスクワ留学組で親ソ派。

康生は巧みに主流派に乗り、共産党秘密警察の実力者に。

1933~37年王明と共にモスクワ滞在。

瑞金には行かず。

大粛清の最盛期に邪魔者となる中国人同志などを密告して生き残る。

1937年延安に帰国するや、毛沢東に乗り換え、王明派を徹底攻撃。

毛と江青の結婚を擁護。

1942年整風運動発動。

これはどう考えても粛清と言うしかない、ヒステリーじみた迫害であって、他の共産国と違う牧歌的な思想改良運動と言うことはできない(私が若い頃はまだそんな解釈がまかり通っていました)。

権力の座を完全に固めた毛の側近となるが、日中終戦から国共内戦の時期には、ややその権勢は後退。

一時公安関係から離れ、内戦勝利前の土地改革に従事。

地主階層に対する最も残酷で強硬な措置を命令。

上巻末尾の書誌に、ある共産党活動家夫妻の話が載っている。

日本軍に二人の姉を陵辱された夫が、国民党に妻を殺され、しかも地主出身の両親に自身の双子を預けていたが、激烈な土地改革闘争の中で、その子を共産軍が井戸に投げ入れて殺したのを知り、共産主義にも絶望する、という悲痛極まりない事実が記されている。

建国後は数年間表舞台から退き、実権を失うが、部分的自由化措置「百花斉放」に続く弾圧である「反右派闘争」の過程で復活。

破滅的な結果をもたらした「大躍進」政策も支持。

中ソ対立では徹底した対ソ強硬派として振舞う。

同様の立場を鄧小平も取っていたが、このことは改革開放期になると隠されることになる。

「大躍進」政策による経済破綻を受けた、調整政策の主導者は、劉少奇、周恩来、鄧小平、彭真だが、対ソ方針については、前二者と後二者の間には溝があったようだ。

60年代前半、文化大革命前夜にも康生はイデオロギー闘争とそれに伴う迫害を引き起こそうと、毛の意に迎合しそれを煽る。

その被害者の一人として、現最高指導者習近平の父習仲勲の名が挙がっている。

文革を江青、林彪と共に指導。

汪東興、謝富治らを使い、公安部門を再度掌中に置く。

70年頃、毛と林の間の齟齬を見てとるや、穏健派唯一の支柱となっていた周恩来と協力し、71年林は失脚、逃亡中事故死。

しかし、この頃から康生は癌に冒されはじめる。

その後の周と江青ら四人組との権力闘争で、最晩年に判断が不安定になっていた毛が一時的に周支持に傾くと、驚くべきことに康生は、江青の過去の国民党スパイ疑惑を再び取り上げ、この盟友を裏切ろうとしていたという。

一方、現実主義実務派で、73年復活し、周の片腕となっていた鄧小平への批判・攻撃も準備する。

同73年には康生自身副主席となり、形式的序列では毛・周に次ぐ第三位になるが、病が進行し、75年12月死去。

周の死、(第一次)天安門事件、鄧再失脚、毛死去、四人組逮捕、と建国以来最大の激動に見舞われた1976年を迎えることなく死んだ。

もう少し康生が寿命を保っていたら、どうなっていたか?

これほどの悪行を為した人間が、それにふさわしい裁きと断罪を受けなかったのは残念であるが、後に鄧小平体制下で党総書記となった胡耀邦は、康生が生きていれば四人組は逮捕できなかったのではないか、と述べていたという。

さらに恐ろしい可能性として、康生自身が最高指導者の地位に就く可能性すらあったという見方もある。

周が毛より長生きして最高位に就き、四人組・康生を一網打尽にするのがベストだっただろうが、そうはならなかった。

だが著者の推測では、もし76年に生きていれば康生は四人組を打倒する側に加わっただろうと言う。

その場合、現実には汪東興が果たした役割を康生が果たすだけになる。

ほぼ唯一失脚しなかった将軍で軍長老の葉剣英が中心となり、華国鋒(毛死去直前に指名された後継者)と汪東興ら文革右派(もしくは非上海グループ)と協力して、文革左派(上海グループ)の四人組を打倒した。

77年復活した鄧小平が、翌78年には完全に実権を華国鋒から奪い、改革開放路線を確立。

その過程で汪は失脚したものの、極端に厳しい断罪は免れた。

康生も恐らくそうなっていただろう、というのが著者の見方である。

 

 

原著は1992年刊と割と古い(第二次天安門事件は起こった後ではあるが)。

これ以外、まあ日本語で読める伝記は無いでしょう。

中国共産党の権力闘争のあらましをわかりやすく知ることはできる。

ただ、気軽な読み物といった感じで、あまり学術的に思えない印象もある。

余裕があれば一読して下さい。

損はしないと思います。

2017年9月6日

マキアヴェッリ 『君主論』 (岩波文庫)

Filed under: 思想・哲学 — 万年初心者 @ 04:12

これも極めて有名な著作ではあるし、読んでおいた方がいいのは間違いないでしょう。

以前中央公論「世界の名著」シリーズで一読済み。

この1998年刊の新訳では、本文は200ページ弱で、全体の半分ほど。

一章の分量が少ないので、さらに読みやすい。

しかし、面白くない。

(表面上の)「権謀術数主義」、「政治の倫理からの自立」、「近代政治学の確立」といったようなことが読み取れないわけでもないが、初心者が興味を持つような内容ではない。

例として挙げられている古典古代や近世イタリア史の史実に即ピンとくる人は、極めて少ないでしょう。

それを通じて語られる思想にも、感銘を受けるような部分はほとんど無かった。

有名な古典をこなしただけで良しとします。

2017年9月2日

アルベール・カミュ 『ペスト』 (新潮文庫)

Filed under: 文学 — 万年初心者 @ 05:40

アルジェリアのオラン市がペストの流行に襲われ、市全体が閉鎖・隔離される。

次々と病魔に斃れる市民を前に、奮闘する医師とその仲間たちを描く。

その事態を、かつてのように神による懲罰として受動的に受け入れるのはもはや不適切であり、信仰の有無に関わらず、狭いイデオロギーに拘ることもなく、全ての人々の連帯によって立ち向かわなければならないことを示した作品。

「ペスト」というのは様々な社会悪の象徴なんでしょうが、それが外部からもたらされた害悪という印象を受けるのがやや不満だなと思っていたら、医師の盟友がそれに関することを話すシーンが出てきた。

私ごときが思いつくことを、この偉大な作家が考えない訳がない、とやや赤面しました。

登場人物の思想についてよくわからない部分もあったが、解説を読むと、ああそういうことか、と思えないでもない。

これは『異邦人』に比べて、まだ初心者でも分かりやすいか。

少なくとも私はそう感じた。

もちろん私の能力では十分にその真価を理解したとは言えないが。

まあ、教科書にも載っている代表作を読めて良かった。

しかし、カミュもこれで「打ち止め」です。

『転落』『追放と王国』『シーシュポスの神話』等、他の作品を読むことは、この先まず無いでしょう。

でも戯曲の『カリギュラ』はひょっとしたら読むかなあ。

2017年8月29日

ジルベール・トラウシュ 『ルクセンブルクの歴史  小さな国の大きな歴史』 (刀水書房)

Filed under: オランダ — 万年初心者 @ 04:01

ベネルクス三国の中の一国だから、オランダカテゴリにまた追加できる。

中世の封建諸侯国家が国民国家の中に吸収されず、現在も主権国家として存続した例。

似た国としては、さらに小国として、スイスとオーストリアの間にリヒテンシュタインがある。

963年アルデンヌ伯爵家の初代ジークフロイトが現在のルクセンブルクの地を入手したのが建国の起源とされる。

アルデンヌ家で最も有名なのは、第一回十字軍のゴドフロワ・ド・ブイヨン。

そこからしばらく系図が続き、1308年アンリ伯が神聖ローマ皇帝ハインリヒ7世として即位、ルクセンブルク朝が成立。

子のジャン盲目王が、百年戦争で仏軍に加わり、クレシーの戦いで戦死。

ジャンの子カール4世と孫のジギスムントが帝位に就くが、ルクセンブルク家はここで断絶。

なおジギスムントは、一時自領だったが、重要性が薄れたベルリンを含むブランデンブルクをニュルンベルク城主のホーエンツォレルン家に譲渡しており、これがプロイセンの基となる。

ルクセンブルクは抵当に入れられ、結局ブルゴーニュ公爵家の手に入る。

ブルゴーニュ公シャルルの戦死で、娘との婚姻関係からルクセンブルクを含むネーデルラントはハプスブルク家領に。

オランダ独立後も、ベルギーと共にスペイン・ハプスブルク家支配下に留まる。

で、スペイン継承戦争で、スペイン本国がブルボン朝となる代償として、ヨーロッパの他の領土と共にオーストリア・ハプスブルク家に割譲。

フランス革命時代に併合されるが、ウィーン会議で大オランダ王国の一部に(ただしオランダ君主との同君連合国家として、ルクセンブルク単独でドイツ連邦に加盟)。

1830年ベルギー独立革命が起こると、それに同調する気運が高まるが、結局列強の介入で、ルクセンブルクの西側三分の二のフランス語圏が独立ベルギーの一部となり、東側三分の一はルクセンブルクとなり、オランダとの同君連合国家を維持。

ドイツ関税同盟に加入、製鉄業の発達で経済は大きく飛躍を遂げる。

1867年国際会議で永世中立国化。

1890年オランダで女王が即位すると、女系継承の規則が無いルクセンブルクは同君連合を解消、分家のナッサウ・ヴァイルブルク家が大公として即位、これが現在まで続いている。

二度の世界大戦では、ドイツに占領された。

戦後は中立政策を放棄、NATOに加盟、ECSC・EEC・EC・EUなどヨーロッパ統合にも積極的に参加している。

以上の経緯だけ、ざっと確認すればよい。

細かい固有名詞や史実にはこだわらず、軽く流しましょう。

2017年8月27日

O・ヘンリー 『1ドルの価値 賢者の贈り物  他21編』 (光文社古典新訳文庫)

Filed under: 文学 — 万年初心者 @ 00:58

岩波文庫の作品集を読んだのが学生時代で、かなり記憶も薄れていると思ったので、これを読んだ。

しかし、読んでいてすぐ筋を思い出す作品もあるし、オチが予想できるものもある。

ではあるが、やはり「千ドル」や「甦った改心」はしみじみと来るし、「赤い族長の身代金」は楽しい。

文学的価値云々を言うのは野暮でしょう。

しかし、私にとっては、こうした作品が心から楽しめるものであることに間違いないです。

2017年8月22日

鷹木恵子 編著 『チュニジアを知るための60章』 (明石書店)

Filed under: イスラム・中東 — 万年初心者 @ 03:42

このシリーズで引き続きアフリカ史を強化するつもりで手に取ったが、考えたらこの国はカテゴリとしてはイスラム・中東か。

 

北アフリカで、東はリビア、西はアルジェリアに挟まれた国。

地図で見ると、本当に「挟まれた」感が強いです。

首都はチュニス、古代都市カルタゴの遺跡があることでも有名。

他の主要都市はカイラワーンなど。

もちろんスンナ派イスラム教徒が98%と圧倒的多数。

民族的にもアラブ人が98%。

ベルベル人は1%のみ。

私は勘違いしていたが、他のマグリブ諸国(アルジェリア、モロッコなど)でもベルベル人は2~4割ほどらしい。

 

イスラム化以後の歴史としては、まず800年アグラブ朝がアッバース朝から自立。

909年にアグラブ朝を滅ぼし、有名なシーア派政権ファーティマ朝が建国。

ファーティマ朝がエジプトを征服した後、スンナ派のズィール朝がカイラワーンに成立、ファーティマ朝と戦い、11世紀から分裂割拠の情勢となる。

1149年西からムワッヒド朝が侵入・占領。

1228年その総督が自立、ハフス朝成立。

1270年ルイ9世率いる十字軍が侵攻。

ハフス朝はイスラム世界最大の歴史家イブン・ハルドゥーンを生んだことでも有名。

1574年ハフス朝滅亡、チュニジアはオスマン帝国支配下に入る。

その軍長官が自立して1705年フサイン朝が成立。

これが形式的には独立後の1957年まで続くことになる。

1830年フランスがアルジェリアを占領すると、それに脅威を感じたフサイン朝はオスマン朝との関係を強化するようになる。

タンジマートに倣って、1861年には憲法(ドゥストゥール)も制定。

しかし、1881年フランスが外交・財政権を握り、83年正式に保護領化(教科書的には81年が保護国化の年とされているようだ)。

20世紀に入り、独立運動が活発化、1920年チュニジア立憲自由(ドゥストゥール)党結成。

党内対立を経て、ハビーブ・ブルギバがネオ・ドゥストゥール(新立憲)党を主導。

このブルギバという人名だけは要記憶。

結局、1956年独立達成、初代首相ブルギバ。

翌57年フサイン朝を廃し、共和制移行、ブルギバが初代大統領に就任、この政権が30年続く。

ブルギバ政権は世俗的近代化政策を進め、アラブ世界で唯一の、一夫多妻制禁止の家族法などを制定。

対外的には、一時フランスとの緊張もあったが、資源の乏しさもあり西側諸国との全面対立は避け、東西等距離・全方位外交を展開。

国家主導の統制経済が行き詰まると、逆に経済開放・自由化政策へと揺れ動き、国民の不満が高まる中、70年代末から80年代にかけてイスラム過激派が伸張。

1987年クーデタが勃発、ブルギバは失脚し、ベン・アリ政権樹立、イスラム主義者含む反体制派を強権体制で鎮圧。

だが、政治的抑圧の現実は紛れも無くあるものの、とりあえずは社会の安定と経済の成長をベン・アリ政権はもたらした、と本書では評されている。

 

私が読んだ本書の初版が出たのは2010年と、いわゆる「アラブの春」の直前である。

このベン・アリ政権の打倒こそが「アラブの春」の契機になった。

アラブ諸国の、その後の経緯を見ると、やはり手放しで礼賛するような動きでは無かったのではないか?という思いを禁じ得ない。

無秩序と宗派・党派対立が内戦の危機すらもたらし、それを収拾するために以前の政権よりも強権的な体制が生まれる、という世界史上全ての急進的改革がはまり込む隘路に陥っている。

チュニジアはまだ踏み止まっている方らしいが、リビアなんてあの異常なカダフィ体制の崩壊すら惜しむ人々が出るほどの状況のようだ。

そして何よりシリアの惨状。

ああいう結果になることが分かっていたとして、それでも反体制の蜂起を選択する国民が果たしていただろうか。

もちろんバッシャール・アサド政権の抑圧性は、内戦の前でも後でも歴然としている。

だが、確たる成功の見通しも無しに、それへの反抗を外部の人間が称揚し支援するのは、やはり無責任であると思う。

もちろんカダフィ政権含め、既存の体制がそのまま何の変化も無く続いていれば良かったんだと言うつもりはさすがにありません。

しかし、激情的な民意に基づく急激な変化をとにかく礼賛するような態度は、歴史について何も学んでいないに等しいです。

数年前、湾岸産油国についてのメモという記事で書いたような懸念が当たってしまっている。

 

ネット上のSNSが民意を可視化し、より善き民主主義をもたらす、というような能天気な楽観論(と情報技術産業の利益擁護という隠された意図)を見ると、心底うんざりして、もう人類も長くないなと思います。

民意なり、民主主義なり、自由なりを根本から疑わない限り、近現代の世界史から何一つ学んでいないことになりますよ、と無駄を承知で言わずにおれません。

 

 

このシリーズの使用法は全て同じ。

1.アフリカ、(メキシコ以外の)中米、(キューバ以外の)カリブ海諸国など、通史がまず出ないような国の巻を選ぶ。

2.歴史と現代政治の部分だけを集中して読む。

3.民俗、生活、経済、言語、文化、宗教などの章は興味のあるものだけ読み、後は軽く流すか、全く飛ばしても可。

通読する必要は無し。

それより数をこなすことが大事。

2017年8月20日

モーパッサン 『脂肪のかたまり』 (岩波文庫)

Filed under: 文学 — 万年初心者 @ 04:21

モーパッサンの処女作。

ゾラを中心とする自然主義作家たちが、1880年に刊行した小説集に載せられたもの。

師のフロベールに激賞されたという(フロベールは同年死去)。

普仏戦争中、プロイセン軍占領下で、「脂肪のかたまり」と綽名される娼婦と馬車に居合わせた人々を題材に、人間の卑小極まりないエゴイズムを痛烈に描いた短編小説。

楽に読めて、面白い。

と言っても、後味はかなり悪いが。

モーパッサンは短編小説の名手と言われているが、とりあえずデビュー作のこれを読むだけにしておきます。

2017年8月12日

トロツキー 『わが生涯  上・下』 (岩波文庫)

Filed under: ロシア — 万年初心者 @ 04:38

何でこんなもの読もうと思ったんだろ?

1930年刊。

レーニン死後、スターリンとの権力闘争に敗れ、ソ連国外に追放されていた時期に執筆されたもの。

本名レフ・ダヴィドヴィチ・ブロンシュテイン。

ユダヤ人で比較的富裕な中農出身。

マルクス主義革命家として、ボリシェヴィキとメンシェヴィキとの間で独自の立場を取っていたが、十一月革命ではレーニンに従いこれを主導、ブレスト・リトフスク条約を交渉・締結、陸海軍人民委員として赤軍を建設、内戦に勝利。

しかし、1928年スターリンによって国内流刑となり、29年には国外追放。

スターリンの政敵ナンバー1だが、権力闘争初期に国外追放されたおかげで、30年代における狂気の大粛清に巻き込まれず、しばらく生き延びることができた。

だが、1940年には亡命先のメキシコで刺客により暗殺される。

 

トロツキーは本書で自身が革命家となった経緯を記すが、そこで描かれる帝政ロシアの矛盾と抑圧を見て、私自身何も感じないわけではない。

蔓延する汚職と腐敗、農民の厳しい生活、少数民族への差別など。

例えば、印象的な以下の記述。

リュビーモフという歴史の教師が、ポーランド人の生徒に対し、白ロシアとリトアニアでのポーランド人カトリックによるロシア正教徒の迫害について、やけにしつこく質問した。ミツケヴィチという、浅黒い痩せた少年は、すっかり青ざめ、歯を食いしばって立っていたが、一言も言葉を発しなかった。

「うん、どうなんだ」、リュビーモフは、明らかに快感をにじませながら答を促した――「どうして黙っているのかね?」

生徒の一人が我慢できずに言った――「ミツケヴィチはポーランド人でカトリックなんです」。

「ああ・・・・そう・・・・」、リュビーモフはわざとらしく驚いたふりをし、間のびした調子で言った――「だがここでは分けへだてしないことにしている」・・・・。

ここに象徴されるツァーリズムの抑圧性から、その全面的打倒を企てるのだが、しかしそれは旧体制が持つ悪というより、人間性一般の限界からくる悪ではないのか。

自分たち革命家もそれを無縁でいられるのかという自己懐疑が全く無い。

そんな懐疑心などは下らぬ気取りに過ぎない、と切り捨てる傲慢さが全編にみなぎっている。

マルクス主義と唯物論という「絶対的真理」の立場に立っているという感覚がそれをもたらすんでしょうね。

本書に限らず(ドストエフスキーやトルストイなどの文学書も含めて)、末期の帝政ロシアから感じるのは、「近世から一切変わらぬツァーリズムの残酷さ、強固さ」ではなく、資本主義の急激な流入がもたらす旧社会秩序の崩壊と個人の原子化である。

君主・貴族への忠誠は衰え、宗教的信仰は薄くなり、一方無制限の自由が西欧より概念として流入し、ありとあらゆる現状変革的急進的思想が社会にヒステリー的に広まる。

この事態に対しては、ツァーリズムの抑圧など(私に言わせれば残念ながら)無力である。

革命家たちの「不屈の闘志」など無くても、体制は自壊していた。

西欧から度々批判されたロシアの専制と弾圧など、実際には穴だらけである。

帝政時代、トロツキーが受けた流刑など、彼が後に作り上げたソ連における強制収容所とは比べものにならない穏和さだ。

正気とは思えぬ残酷さを持つソ連時代の収容所からは、トロツキーが実行したような脱獄など、全く不可能だ。

また亡命時代にレーニンとロンドンで出会った際のエピソードにも感じることがある。

ある日曜日のこと、私とレーニンとクルプスカヤ[レーニンの妻]はロンドンの教会に出かけた。そこでは社会民主主義者の集会が賛美歌の合唱のあいだにはさまれて行われていた。弁士はオーストリア帰りの植字工だった。彼が社会革命についてひとしきり話し終わると、一同は立ち上がって歌いだした。

「全能なる神よ、王者も貧者もなくしたまえ。」

私は自分の目と耳を疑った。レーニンは、教会から出てきたとき、この点について次のように説明した。

「イギリス・プロレタリアートの中には革命と社会主義の要素が数多く散在しているが、それらはすべて保守主義や宗教やさまざまな偏見と結びついている。そこを突破して一般的な認識に到達することがなかなかできないんだ。」

しかし、レーニンが軽蔑と優越感を持って語った、「偏見」だらけのイギリス労働者たちが真に実質的な社会改良を成し遂げたのに対し、レーニンとトロツキーはロシアにこの世の地獄、それもツァーリの下では決してあり得なかった地獄をもたらしたと言うしかない。

加えて、暴力革命と一切の妥協を排した急進的変革という自分たちのヴィジョンに同意しなかった社会主義者への憎悪もあからさまで、実に嫌な感じがします。

カウツキー、ヒルファーディング、ベルンシュタイン、ハーゼ(ドイツ独立社会民主党)、マクドナルド、カール・レンナーおよびヴィクトル・アドラー(レンナー、アドラーはともにオーストリア社会民主党)という面々を毒々しく切り捨てている。

ベーベル、ジャン・ジョレス、ユージン・デブス(デブスはアメリカ社会党)など、少々好意的に書かれている人々もいるし、急進派のローザ・ルクセンブルク、カール・リープクネヒトなどは称賛されているが、彼らも状況次第では、激しい批判と、それどころか肉体的抹殺の対象にすらされたのではないかと思われてならない。

結局、私がトロツキーに対して持っている印象は、概ね以下のパイプス『ロシア革命史』でのトロツキー評がすべてである。

歴史には、敗者が、彼を滅亡させた人々よりも道義的に優れていたとみられて、後世の共感を得るという例がたくさんある。トロツキーに対しては、そのような共感を呼び起こすのは難しい。確かに、彼は、スターリンとその侍従たちより教養があり、知的により興味深く、人格的により勇敢で、共産主義者の同僚との応対においても、立派であった。しかし、レーニンと同様に、彼のもつそのような美徳は、もっぱら党内で示された。外部のもの、およびより大きな民主主義を求める党内の人々に関しては、彼はレーニンおよびスターリンと考えは同じであった。つまり、彼らに対しては、正規の倫理的基準は通用しないと、信じていたのである。他のボリシェヴィキと同じく、彼は、政治の世界に、組織犯罪者の仲間に通用する集団的忠誠という規範をもち込み、ボリシェヴィズムとそれを真似た全体主義体制を特徴づける政治の犯罪化に貢献したのである。従って、彼は、自らを破滅させる武器の鍛造に手を貸したことになる。というのも、彼は、異論を唱える少数派のなかに自らがいるのに気付くと、直ちに、外部のもの、従って、公正な扱いを求める資格のない敵となったからである。彼は、レーニンの独裁へ反対した人々に与えられた運命――彼は心の底からそれに同意したのであるが――、それと同じ道をたどることになった。カデット、社会革命党員、メンシェヴィキ、赤軍のために戦うことを拒否した旧ツァーリ体制下の将校たち、労働者反対派、クロンシュタットの水兵、タムボフの農民、聖職者たちの運命をである。全体主義が彼を直接脅かしたときに、漸く彼はその危険に気付いたにすぎない。彼が党内民主主義へ突如として改心したのは、自己防衛の一つの手段であり、原則を擁護してのことではなかった。

トロツキーは、ジャッカルの一群に引き倒された誇り高いライオンとして自らを描くのを好んだ。そして、スターリンが怪物のごとき本性をみせればみせるほど、ロシアの内外で、理想化されたレーニン主義を救い出したいと思っている人々にとって、そのトロツキーのイメージは、説得力があるものと思われた。しかし、記録によれば、彼の活動の全盛期には、彼もまた、ジャッカルの群れの一員だったのである。彼の敗北に、それを崇高たらしめるものは何もない。彼は、政治権力を求める汚い闘いにおいて、知謀に負けた故に敗北したのである。

トロツキーが、スターリンとエピゴーネン(亜流)によって打倒されたのも自業自得と思える。

だが、この文章には自由民主主義そのものに対する懐疑が無い(そんなものをアメリカ人に求めるのがそもそも間違いだろうが)。

トロツキーは本書で以下のように言う。

のちにヴィッテは回想録の中で、1905年には「ロシア人の大多数の人々が正気を失ったかのようだった」と書いている。だが、革命が保守主義者にとって集団的精神錯乱に見えるのは、ただ革命が社会的諸矛盾の「通常」の狂気を最高度に緊迫させるからにすぎない。それはいわば、大胆な風刺画に描かれた自分の姿を人が認めたがらないのと同じである。だが、現代の発展過程は全体として、諸矛盾を凝縮させ、緊張させ、先鋭化させ、その諸矛盾を耐えがたい状態に持っていって、ついには、大多数の人々が「正気を失う」ような状態を準備する。しかしこの場合、この「狂気の」多数派が「利口な」少数派に拘束服を着せるのである。そして、こうすることで歴史は前進していくのだ。

この文章は括弧を全て取り去り、末尾の「前進」を「破滅」にでも変えた方が良い。

1789年以後の歴史がそれを証明している。

結局、トロツキーも「人民の多数派による変革」を絶対的に信じている。

米国・西欧の民主主義への敵意も、それら「ブルジョワ民主主義」が真の民意ではなく、支配階級の意思を反映していると考えたがゆえに過ぎない。

個人的には実際それに根拠が無いわけではないと思う。ただし私はそもそも「民意」の正しさを根本的に疑っている。

そして、人間を物質的利害に基づく行動主体としてのみ捉えることにおいて、共産主義も自由民主主義も違いは無い。

前者をトータルに否定するためには、後者も否定しなければならない。

 

 

もちろん無理して読む必要があるような本ではない。

気が向いたら、図書館で借りて飛ばし読みしてもよい。

共産主義者の手に成る、無味乾燥で不毛・退屈な文章の集積の中では、まだしも読むに耐える部分はあると思われますので。

2017年8月8日

サマセット・モーム 『読書案内  世界文学』 (岩波文庫)

Filed under: 読書論, 文学 — 万年初心者 @ 03:58

モームが1940年に出した短いエッセイの翻訳。

最初岩波新書で出て、その後文庫入り。

イギリス文学、ヨーロッパ文学、アメリカ文学の三部構成。

 

まず「はしがき」で、楽しく読める作品を選んだ、文学史上、研究者や批評家にとっていかに重要でも、今日ではもう読む必要の無い書物はたくさんある、ただし「楽しく読める」と言っても、注意力や想像力を働かせることはもちろん必要だ、と述べている。

 

 

第一部イギリス文学。

読書は楽しくあらねばならないという主張。

ところで、だれにせよ、楽しみは不道徳なものだと考えてはならない。楽しみそれ自体は、大きな善である。すべての楽しみがそうなのである。ただ、それからおこる結果を考え、思慮深いひとはある種の楽しみを避けようとする。また、楽しみはすべて下品で官能的であるとはかぎらない。知的な楽しみほど、長持ちがし、また満足がえられる楽しみはほかにないことを悟った者は、英知にとんだひとだといえよう。読書の習慣を身につけるがよい。人生の盛りをすぎてから、それをこころみて、しかも満足のえられるスポーツといっては、読書をおいてそうたくさんはない。トランプの独り占い、詰将棋、クロスワード・パズルをのぞいて、読書のように、相手がなくても楽しめる遊びはほかに何もない。読書には、ほかのスポーツや遊びに見られる不都合は、少しもない。いつでも気の向いたときにはじめ、好きなだけつづけ、他の用事がおこったら、直ちにやめることのできる仕事は、ただ読書だけである。あるいは針仕事がそうであるかもしれない。だが、この針仕事という奴は、手先ばかりはたらいて、落着きのない精神のほうはさらに束縛をうけない。公共図書館が利用でき、廉価版が手にはいる、今日のようなめぐまれた時代に、読書くらい、わずかな元手で楽しめる娯楽はほかにない。読書の習慣を身につけることは、人生のほとんどすべての不幸からあなたを守る、避難所ができることである。いまわたくしは、「ほとんどすべての」といったが、それは、書物をよめば、飢えの苦しみがいやされるとか、失恋の悲しみを忘れるとか、そこまでは主張しようと思わないからである。もっともよみごたえのある探偵小説五、六冊と、それに湯たんぽの用意がありさえすれば、どんな悪性の鼻かぜにかかっても、わたくしたちは、鼻かぜくらいなんだといって、平然としていることができるだろう。だが、もし退屈な書物までもよめというのであると、読書のための読書の習慣など、はたしてだれが身につけようとするであろうか。

 

以下、取り上げられている作品。

デフォー『モル・フランダーズ』

スウィフト『ガリヴァー旅行記』

フィールディング『トム・ジョーンズ』

スターン『トリストラム・シャンディー』

ボズウェル『サミュエル・ジョンソン伝』

ジョンソン『詩人伝』

ギボン『自叙伝』

ディケンズ『デイヴィッド・コパーフィールド』

バトラー『万人の道』

オースティン『マンスフィールド・パーク』

ハズリット『卓上閑話』

サッカレー『虚栄の市』

エミリー・ブロンテ『嵐が丘』

あと、詩人選に加え、もちろんシェイクスピアの偉大な悲劇を読まねばならない、として終えている。

自国文学だけあって、ここでは、一般の日本人にはあまり馴染みの無い作品がいくつか挙げられている。

 

 

 

第二部ヨーロッパ文学。

セルバンテス『ドン・キホーテ』

(なお、この作品中の挿話を、「ミルトンの『失楽園』をよんだジョンソン博士と同様、楽しんでというよりは、むしろ義務の気持からよんだ」と書かれている。同国人の著名文士にしてそうなのだから、やはり『失楽園』は、特に文学好きでもない普通の日本人読者が無理して読むようなものではない、と改めて思った。)

モンテーニュ『エセー』(特に第三巻)

ゲーテ『ヴィルヘルム・マイステルの徒弟(修行)時代』

ツルゲーネフ『父と子』

トルストイ『戦争と平和』

ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』

ラ・ファイエット夫人『クレーヴの奥方』

プレヴォー『マノン・レスコー』

ヴォルテール『カンディード』

ルソー『懺悔録(告白)』

バルザック『ゴリオ爺さん』

スタンダール『赤と黒』『パルムの僧院』

フローベール『ボヴァリー夫人』

コンスタン『アドルフ』

デュマ『三銃士』

アナトール・フランス『螺鈿の手箱』(短篇集)

プルースト『失われた時を求めて』

 

 

 

第三部アメリカ文学。

フランクリン『自叙伝』

ホーソーン『緋文字』

ソーロー『ウォールデン』

エマソン『エセイ集』

エドガー・アラン・ポー『黄金虫』などの短篇小説集

ヘンリー・ジェイムズ『アメリカ人』

メルヴィル『モービー・ディック(白鯨)』

マーク・トウェイン『ハックルベリ・フィン』

パークマン『オレゴン街道』

ディキンソンの詩

ホイットマン『草の葉』

パークマンやディキンソンなんて名前は聞いたこともない。

それ以外は定番の著者が並んでます。

 

 

 

なお本書の付録で触れられているように、モームは『世界の十大小説』という本も書いていて、これも岩波文庫に収録されているが、その10作品は以下の通りである。

バルザック『ゴリオ爺さん』

フィールディング『トム・ジョーンズ』

ディケンズ『デイヴィッド・コパフィールド』

トルストイ『戦争と平和』

メルヴィル『白鯨』

エミリー・ブロンテ『嵐が丘』

スタンダール『赤と黒』

ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』

フローベール『ボヴァリー夫人』

オースティン『高慢と偏見』

私は、一応8冊は読んでますね。

 

 

 

文学専門家や研究者でもない、普通の日本人読者からすると、ちょっと知名度が無さ過ぎる本が紹介されているところもあるが、たまに手に取って読書意欲をかき立てるのには役立つ本。

ここに載せられている作品を最優先に読む、というのでもいいでしょう。

2017年8月4日

アーネスト・メイ 『歴史の教訓  アメリカ外交はどう作られたか』 (岩波現代文庫)

Filed under: アメリカ, 国際関係・外交 — 万年初心者 @ 05:39

以前、いつかは読まなきゃと書いた本をこの度通読。

外交政策形成に当たって、政策決定者が、直近の、世論に受け入れやすい歴史の出来事にのみ囚われ、そこから現実に適合しない「教訓」を汲み取り、結果として歴史を「誤用」して、不適切な政策を選択してしまうことを、現代アメリカ外交の中から、第二次世界大戦末期、冷戦初期、朝鮮戦争、ヴェトナム戦争介入という四つの事例から検討する。

続けて、和平達成の為の爆撃という軍事行動について、通常、戦略爆撃は敵国の抗戦意欲を高め、戦争終結に直結するものではない、それが効果を上げるのは、敵国の指導層に分裂が見られ、内部事情による政権交代が生じている場合のみだ、として第二次大戦末期の日本とイタリア、朝鮮戦争の休戦交渉中の共産国の例を挙げている。

残りの部分では、政府・議会・官僚・軍部・世論・専門家などの力関係から生み出されるアメリカ外交の、本書刊行時1973年以降の予測と、歴史家が政策決定者に幅広い視野から適切なアドバイスを与えられるようにする為の仕組みと情報公開について述べている。

難解な部分は特に無い。

著者の意見すべてが説得的とも思えないが、少なくとも、前半から中盤にかけては面白く、中々読ませる。

必読、とまでは言わないが、読む価値はあります。

ただし、ごく基礎的な知識は事前に頭に入れておく必要はあるでしょう。

2017年8月2日

ジョージ・オーウェル 『動物農場』 (岩波文庫)

Filed under: 思想・哲学, 文学 — 万年初心者 @ 06:17

角川文庫版を読んで以来、20年振りの再読。

この翻訳は2009年初版だが、これが岩波文庫に収録されるんだから、やはり時代は変わりました。

鮮やかな読後感は全く変わらず。

真の傑作だ。

未読の方には強く薦める。

2017年7月28日

チャールズ・キンドルバーガー 『経済大国興亡史  1500-1990 上・下』 (岩波書店)

Filed under: 近現代概説 — 万年初心者 @ 02:00

この記事で触れたが、著名な経済学者としてキンドルバーガーの名前は以前から知っていた。

『大不況下の世界』は現在も未読だが、本書を読んだ。

これもかなり以前から気にはなっていた本ではある。

原著は1996年刊、翻訳は2002年刊。

最初に、「国家のライフ・サイクル」「覇権理論」「中心・周辺理論」等々の妥当性・有効性について検討。

それほど難しい話でもないが、まあこんな考え方があるのか、くらいで軽く流せばよい。

その後、(ヴェネツィアを中心にフィレンツェ、ジェノヴァ、ミラノを含む)イタリア都市国家、ポルトガル、スペイン、(ブリュージュ、アントウェルペン、およびアムステルダムを中心とするオランダを含む)ネーデルラント、フランス、イギリス、ドイツ、アメリカ、日本、と近世以降の世界で興隆し、経済的首位に向かった大国の経済を描写していく。

なお、以前記事で書いた近世ヨーロッパの政治・経済の主要国興亡見取り図は、必ず頭に即浮かぶようにしておくこと。

優位を占めた国は、15世紀以前がイタリア、16世紀が(ポルトガルと)スペイン、17世紀がオランダ(後半は、経済的には疑問が残るものの、フランス)、18世紀および19世紀がイギリス、20世紀がアメリカ。

で、各国の全盛期を過ぎても、その国が瞬く間に衰退したのではないことはイメージしておく。

例えば、本書ではオランダの完全な没落は、17世紀後半の三度の英蘭戦争とルイ14世のオランダ戦争ではなく、1780~84年の「第四次英蘭戦争」(高校世界史の範囲外なのでぴんとこないが、これは年代からいってアメリカ独立戦争に伴う戦いか?)およびフランス革命戦争での占領後とされている。

フランス、ドイツ、日本は経済的首位に到達したことはなく、フランスは(一度切りの)長期的な興隆と衰退を経たのではなく、政治的変動と指導層の新旧交代によって何回かの盛衰を繰り返した「永遠の挑戦者」の地位にある、とされている。

国家の衰亡においては、その経済が貿易・工業から金融を中心とするものに変質し、産業構造が硬直化し、所得分配が歪められ貧富の差が拡大し、不道徳な誇示的消費と貧困が同時に広まる、というのが典型的パターン。

著者は、同時代のアメリカもその弊に陥っているとしているが、その後のアメリカは自身の悪しき金融資本主義を開き直って全世界に拡大し、表面上の経済的地位回復を果たしたが、それがリーマン・ショック以後の危機をもたらしたのは周知の通り。

本書では、日本はバブルが弾けたとは言え、依然強力な経済大国で、アメリカを継いで経済首位国となる可能性を持つ存在とされており(ただし著者はそれに懐疑的ではある)、中国をはじめとする新興国の台頭については、基本ほとんど触れられていない。

刊行年代を考えれば当然ですが、何か懐かしさを感じる記述ではありました。

「系列」(これも懐かしい言葉だ)や独特の商慣行という非関税障壁を中心とする閉鎖性や「日本異質論」に基づく対日批判が溢れていた時期ですね。

実際、それらの批判は理不尽・不公平なことが多く、不愉快なことが多かったし、そして我々自身も今振り返ってみれば、少々傲慢なところがあったことは間違いないでしょう。

そう考えれば、バブル景気のような時期が続かなかったことを嘆く一方なのも、おかしいかと感じます。

 

 

思ったよりも相当読みやすかった。

期待していたほどの重厚な内容では無かったが、とっつきやすい。

難解な概念も、理解しがたい数式も、やたら細かい統計数字も、ほぼ出てこない。

一般的な叙述という形式を守っている。

経済史は苦手分野もいいところだが、こういう本なら読める。

普通にお薦めできる良書です。

2017年7月23日

アーネスト・ヘミングウェイ 『武器よさらば 上・下』 (光文社古典新訳文庫)

Filed under: 文学 — 万年初心者 @ 02:15

『老人と海』に追加して、ヘミングウェイを打ち止めにするために、これを読む。

第一次世界大戦のイタリア戦線が舞台。

イタリア軍に志願して負傷兵移送任務に従事するアメリカ人とイギリス人看護婦の悲恋を描く。

雰囲気的にハッピーエンドではないなと思ってはいたが、こういうラストになるとは予想外だった。

厭戦的なメッセージはよくわかる。

また、ヘミングウェイの簡潔な文体が日本語でも感じ取れる翻訳だった。

だが、特に面白いわけでもなく、まあ普通です。

 

あと、強いてこの記事で言わなければならないことでもないんですが、以前から思っていたことを書きます。

本来なら30冊で読む世界文学の記事で述べておくべきことなのですが、忘れていました。

私を含め、初心者がこの手の古典文学を読む際、「偉大な文学作品では、何気ない描写にも、実は深遠な意味が込められているはずだ」と気負って、一字一句にこだわりながら読むというのは、絶対止めた方がいいです。

間違いなく挫折して、多くの本を途中で放り出すことになると思います。

文学に中心的な関心を置いて、なおかつ読書力のある方はもちろんそうしたらいいと思いますが、文学初心者はむしろ意識し過ぎず、主人公と主要登場人物と大まかな粗筋を確認できればいい、くらいに気軽に構えて、どんどん読み進んだ方がいいでしょう。

熟読・遅読の価値は間違いなくあるでしょうが、やはり数をこなすのも大事。

読んだ本の数が自信になるし、次の本への読書意欲もかき立ててくれる。

完全に飛ばして読むのはお勧めしませんが、心に引っかからない日常情景描写はざっと目に流す感じで軽く読めばいいと思います。

読了した作品が増えてくれば、「コレクター感情」が湧いてきて、雪ダルマ式に読書量を増やすことも可能になってきます(鹿島茂『成功する読書日記』)。

古典と言っても、あまり気負わず、気軽に読んで行きましょう。

2017年7月15日

プラトン 『ゴルギアス』 (岩波文庫)

Filed under: 思想・哲学 — 万年初心者 @ 01:52

「弁論術について」という副題あり。

初期・中期・後期に分かれるプラトンの著作のうち、初期の比較的おそい時期に書かれたとみられる。

史上有名なソフィストであるゴルギアス、その弟子ポロス、政治家のカリクレス、ゴルギアスとソクラテスの共通の知人カレイポンが登場し、そのうち前三者がソクラテスと問答を繰り広げる。

以下、議論の概略。

 

 

 

ソクラテス:(ゴルギアスに対して)貴方は何者ですか。

ゴルギアス:自分は弁論家であり、他人にも弁論術を教えて弁論家にすることができる。

ソクラテス:弁論術とは何についての技術なのか。

ゴルギアス:言論についての技術だ。

ソクラテス:その言論は何についての言論か。例えば健康に関する言論なら、それを医術と呼ぶべきだし、身体の状態の良し悪しについてなら体育術となる、その他もろもろの技術も言論に関係がある。

ゴルギアス:それら手仕事の類を含まない、すべて言論を通じてなされる技術が弁論術だ。

ソクラテス:絵画術や彫刻術は言論をほとんど含まないものだが、数論や幾何学、計算術などは言論によってほぼ全てを成し遂げている、しかし貴方はそれら数論などを弁論術とは言いませんね。

ゴルギアス:その通り。貴方は正しい理解をしてくれている。

ソクラテス:では言論のみによって成り立つ技術のうち、数論は数字を対象とする技術であり、天文学は天体を対象とする技術ですが、弁論術は何を対象とするものなのですか。

ゴルギアス:人間に関わるもので、最も重要で最も善いものだ。

ソクラテス:その最も善いものについてはいろいろ意見があって、健康や美しい身体、財産などを挙げる人がいる、すると医者や体育教師や実業家が、自分たちこそ「最も善いもの」を作り出すのだと名乗り出るのではないですか。

ゴルギアス:私の言う「最も善いもの」は自分自身に自由をもたらし、自分の国において他人を支配することができるようになるもの、つまり言論によって人びとを説得できる能力だ。

ソクラテス:しかし弁論術だけが説得を作り出すとは言えないはず、例えば数論家は数について我々に教える際、説得もするのではないですか、貴方の言う説得はどのような性質のものなのですか。

ゴルギアス:法廷や集会における、正や不正についての説得だ。

ソクラテス:「学んでしまっている」ことと「信じ込んでいる」は別のものであり、知識は常に真であるが、信念には真実のものと虚偽のものがあることを認めますか。

ゴルギアス:認める。

ソクラテス:学んでしまっているものも、信じ込んでいるものも、説得されている点では同じであり、説得には知識をもたらす説得と、信念だけをもたらす説得があるのではないですか。

ゴルギアス:それでいいだろう。

ソクラテス:弁論術が作り出すのは、どちらの説得ですか。

ゴルギアス:「信じ込む」方の説得だろうね。

(ここでゴルギアスが、弁論術は知識をもたらす方の説得も作り出せる、と強弁しないのが意外だが、そのすぐ後でソクラテスが、あれだけ多くの人びとに極めて重要な事柄を短時間のうちに教えることは不可能ですからね、と付け加えているのに、ゴルギアスは同意しており、さすがにそうは言えなかった模様。)

ソクラテス:国家が、医療整備、造船、城壁建築、軍事行動などを行う際にはそれぞれの専門家を呼んで意見を述べさせるが、弁論家は何を提案することができるのか。

ゴルギアス:それらの具体的事業を真に推進したのは、医師や船大工や職人たちではなく、それを提案した弁論家たちだ、それこそが弁論術の力だ。その気になりさえすれば、どんな専門家たちよりも大衆を効果的に説得することが出来る。それほどの力を持つゆえに、格闘術と同じように、弁論術もそれを悪用する人間がいる、だがそうであってもそのことで弁論術を教えたものが責任を問われるようなことがあってはならない、弁論術の教師はそれを正しく用いることを前提にして教えたのだから。

 

ソクラテス  あなたにも、ゴルギアス、数多くの討論の経験がおありだろうし、そしてそれらの際には、次のような事実を、充分に見てこられただろうと思うのです。すなわち、話し合いをする人たちは、どんなことについて話し合おうとしているのであれ、そのことについて、互いに教えたり教えられたりしながら、双方の納得のゆくまでその事柄をはっきりさせて、そうしてから、その対談を終りにするということは、なかなか容易にはできないことなのです。いな、もし両者が何らかの点で意見を異にし、その一方が、他方の言うことの正当さを認めなかったり、あるいは、その言い方は明瞭でないと言ったりすれば、そう言われたほうは、腹を立ててしまい、それは自分と張り合うために言われたことであって、その議論で問題になっている事柄は少しも探究しようとはせずに、ただ議論に勝ちたいばかりにそう言っているのだと、こう考えるものなのです。そしてなかには、結局は、とても見苦しい別れ方をする者だってあるわけです。つまり、その場に居合わせた人たちでさえも、どうしてこんな連中の話を聞こうと考えていたのかと、自分自身のためにやりきれない気持になるようなことを、彼らは互いに言ったり言われたりしながら、悪態のかぎりをつくしたのちに、別れるというわけなのです。

・・・・・わたしが恐れるのは、あなたを反駁することで、わたしがその事柄そのものを目ざして、それが明白になることを狙っているのではなく、あなたという人を目標にして、議論に勝ちたいばかりにそう言っているのだと、こうあなたが受けとられるのではないかということなのです。だから、わたしとしては、もしあなたという方も、このわたしと同じような人間の一人であるのなら、よろこんで、あなたに最後まで質問をつづけさせてもらいますが、そうでなければ、これでやめることにしたいと思うのです。

ところで、そういうわたしとは、どんな人間であるかといえば、もしわたしの言っていることに何か間違いでもあれば、こころよく反駁を受けるし、他方また、人の言っていることに何か本当でない点があれば、よろこんで反駁するような、とはいっても反駁を受けることが、反駁することに比べて、少しも不愉快にはならないような、そういう人間なのです。なぜなら、反駁を受けることのほうが、より大きな善であるとわたしは考えているからです。それは、自分自身が最大の害悪から解放されるほうが、他の人をそれから解放するよりも、より善いことであるのとちょうど同じ程度に、そうだからです。・・・・・

2400年前のギリシアにおいて既に、言論の自由をめぐるジレンマは存在していたことが痛感される。

発言者がこういう心構えを持っている場合にのみ、言論の自由は意味のあるものとなる。

言うまでもなく、言論の自由は尊重すべきものではあるが、それはあくまで、真理に到達するための「手段」としての尊さである。

内心の真摯さという前提を課さず、ルールやマナーも無しに、言論の自由を自己目的化すれば、現在の日本のネット世論におけるように、最も粗暴で幼稚で野卑で低俗で悪意に満ちた群集心理が多数派を僭称し、社会と国家を奈落に落とすことになるのが当然です(引用文 西部邁11 内田樹7)。

 

ソクラテス:あなたに弁論術を学んだものは、大衆という一般に物事を知らない人たちの前では、例えば医師という専門家よりも説得力があるのですね。

ゴルギアス:その通りだ。

ソクラテス:すると弁論術は、事柄そのものについては何も知る必要がなく、物事を知らない人の前で知っているように「見える」説得の工夫をすればいいだけということですね。

ゴルギアス:それなら弁論術は大変便利なものということになるのではないのかね。

ソクラテス:では弁論術は、正・不正、美・醜、善・悪については、健康や他の技術と同じように扱うのでしょうか。貴方に就いて弁論術を習ったものは、それらについても学ぶことになるのでしょうか。

ゴルギアス:学ぶことになる。

ソクラテス:では弁論の心得のある者は、大工のことを学んだ者が大工になり、医学のことを学んだ者が医者になるように、正しいことを学んだのだから正しい人になるわけですね。

ゴルギアス:そうなるようだね。

ソクラテス:だが先ほど、弁論術を不正に用いた者があったとしてもその教師の責任は問われるべきではないと言われたが、それと弁論家が正しいことを学んだ以上、常に正しい人であるはずだ、との想定と矛盾することになりますね。

ここで、弟子のポロスが怒り出す。

ポロス:ゴルギアスさんは正・善・美について知らない人が自分のところに来た場合には自分が教えてやるだろうと、きまりが悪いから言っただけなのに、ソクラテスはそのことをつかまえて、話の中に矛盾を見つけてしてやったりと喜んでいる、非常に失礼だ。

ソクラテス:では君が議論の相手をしてくれ給え、質問したければ君からどうぞ。

ポロス:では貴方は弁論術は何だと主張するのか。

ソクラテス:弁論術は真の技術ではなく、「迎合」という働きを持つ経験に過ぎない。人間の魂と身体について、魂に関する技術を政治術と呼び、それは立法術と司法術に分かれ、身体に関する技術(これには統一的名称は無い)は医術と体育術に分かれる。体育術は立法術に相当し、医術は司法術に相当する。この善を目指す四つの技術に対し、無知な人びとに迎合し欺く、醜いまがい物が存在する。医術には料理法が、体育術には化粧法が、立法術にはソフィストの術が、司法には弁論術が、存在する。弁論術は政治術の一部門の影のようなものだ。

ポロス:では弁論家は迎合する下らないものだと言うのですか、国で一番力のある者ではないのですか。弁論家は独裁者がするように、誰でも死刑にしたり、財産を没収したり、国外追放したりしている。

ソクラテス:弁論家や独裁者は最も微力な者だ。彼らは、自分たちに一番よいと思われることをしているが、真に望んでいることをしていない。薬を飲んで苦い思いをすることは、健康になることを真に望んでいるのであって、苦い思いをすることそのものが望みではない、現にしていることではなく、その目的こそが真に望んでいることだ。「現にしていること」を思い通り行う力を持ったところで、善の追求という「真に望んでいること」に合致しないことはいくらでもあり得る。

ポロス:あなたときたら、そうした権力を持つことが少しも羨ましくないようですね。

ソクラテス:不正な仕方で人を死刑にする者は不幸な人間であり、正当な理由にもとづいて人を死刑にする者も別に羨むに足りない。不正を行う者よりも、不正を受ける方がまだしも不幸は少ない、不正を行いしかも罰を受けないのは最大の不幸だ。

ポロスはそれに反論して、当時伯父と従兄弟と異母弟を殺害して王位に就いていたマケドニア王アルケラオスを例に挙げる。

ポロス  むろんあなたは、ペルディッカスの子の、ほら、あのアルケラオスが、マケドニアを支配しているのを、見ておられるでしょう。

ソクラテス  さあね、見てはいないにしても、とにかく、話には聞いているよ。

ポロス  それなら、あなたにはどう思われますか、あの人は幸福でしょうか、それとも不幸でしょうか。

ソクラテス  それはわからないよ、ポロス。だって、あの人とはまだつき合ったことがないのだから。

ポロス  なんですって?つき合ってみたなら、わかるだろうが、そのほかの仕方では、あの人が幸福であることは、即座にはわからないのですか。

ソクラテス  わからないね、ゼウスに誓ってもいい。

ポロス  それではもちろん、(ペルシアの)大王が幸福であることもわからないと言われるのでしょうね、ソクラテス。

ソクラテス  そうなんだ。それでしかも、僕の言うことに間違いはないはずだよ。というのは、教養と正義の徳の点で、彼がどのような状態にあるかを、ぼくは知らないのだから。

ポロス  え?なんですって?幸福の全体は、そのことにかかっているのですか?

ソクラテス  そう、ぼくに言わせるなら、そういうことになるね、ポロス。なぜかといえば、立派な善き人が、男でも女でも、幸福であるし、反対に、不正で邪悪な者は不幸である、というのがぼくの主張だからね。

ソクラテス:(不正な仕方で王位に就いたものの、今もその地位を守っているマケドニア王を誰も不幸とは思わない、と言うポロスに対し)どれほど多くの同意者を並べられても、論証の力で自分が納得されなければ自分の意見は変えられない、同様に君一人を自分に同意させられなければ何一つ自分は成し遂げられないことになると考えている。もし不正に独裁者になろうとして、成功し栄華を誇っている者と失敗し死刑になった者とでは、両者とも不幸だが、前者の不幸がより大きい。

ソクラテス  ・・・・・君のその態度は、何かね? ポロス。君は笑っているのか?それがまたもう一つの、反駁の方法だというわけかね、人が何かを言い出せば、反駁はしないで、あざ笑うというのがだよ。

ソクラテス:君は不正を与えるより、不正を受ける方がより悪い(害になる)と言うが、より醜いのはどちらかね。

ポロス:不正を行う方です。

ソクラテス:身体や声の美しさというのは有益さや快的なものにおいて秀でているということであり、醜いということは逆の苦痛と害悪によって定義され、それは身体や声だけでなく、法律や風俗習慣においても同様のはずだ。

ポロス:ええ。

ソクラテス:ではそれを前提にすると、不正を行う人が不正を受ける人よりもっと苦痛を感じているということはあり得ない、しかしより醜いのは、君も認めたように前者の方なのだから、つまり不正を行う人の害悪が苦痛の小ささの程度を補えない程上回るということだ。害悪の大きい方を選ぶのは自ら不幸になることに等しい。

続いて不正とその裁きについて。

ソクラテス:正しいことはそれが正しいことである限り美しいことである。そして行為については、それを「する」人と「される」人がいる。例えば激しく、速く殴る人に相応して、激しく、速く殴られる人がいる、すなわち、「する」方の性質に従ったことを「される」方は受けることになる。同様に裁きをする人は正義に従ってそれを行うのだから、それによって懲らしめられる人は正しいことを「される」ことになる、先に見たように正しいことは美しく、そして美しさは快さと有益さのどちらかによって定義され、裁かれることは快いことではないはずだから、つまり不正を懲らしめられることはその本人にとって有益さの面で大きく秀でているということになる。裁きを避けようとするのは、治療の表面的一時的苦痛を思って医者にかかるのを恐れる患者のようなものだ、それによって魂の劣悪さという最大の悪から解放される機会を逸しているのだから。

ここでカリクレスが話に割って入る。

カリクレス:ポロスは先ほどのゴルギアスと同じ罠にはまって、世間体から「不正を行う方が、不正を受けることより醜い」ということを認めてしまったので、ソクラテスに言いくるめられただけだ、自然本来においては弱肉強食がその掟であり、強者が全てを支配し押し通すのが当然なのだ、法律習慣は多数の弱者が自らの利益を慮って作り出したものに過ぎない。ソクラテス、私は貴方に好意を持っているから言うのだが、いい歳をして哲学に没入するようなことは止め給え、さもなければいつか悪意ある敵に貴方は告発され、裁判に引き出され、無力のうちに破滅するかもしれないぞ。

ここでのカリクレスは余りに露骨な「強者の正義」を説いている。

ソクラテス:君のように知識と好意と率直さを兼ね備えた友人を説得することが出来れば真理の究極に達したと言えるだろう。では聞くが、「より強い」と「より優れている」は同じことなのか。

カリクレス:そうだ。

ソクラテス:では自然本来においては一人よりも多数者の方が強いのだから、多数者の作った法律習慣も尊重すべき優れたものではないのかね。

カリクレス:(呆れつつ)自分の言う「強者」は体力以外何の取り柄の無い連中の集まりではない、思慮があり、立派で優れた人のことだ。

ソクラテス:では機織りについて思慮のある者が一番大きな着物を持つべきであり、履物について思慮のある靴屋が誰より大きな履物を持つべきであり、卓越した立派な農夫が多くの種子を取るべきなんだろうね。

カリクレス:(怒り出す)私が言っているのは国家公共の事柄について思慮があり勇気がある人のことだ。

ソクラテス:その人たちは「自分自身を支配する者」なのだろうか?

カリクレス:真の強者は「自分自身に打ち克つ」と称する節制家なのではない。

カリクレス  いや、ソクラテスよ、真実には――その真実を、あなたは追求していると称しているのだが――こうなのだ。つまり、贅沢と、放埓と、自由とが、背後の力さえしっかりしておれば、それこそが人間の徳(卓越性)であり、また幸福なのだ。しかしそれ以外の、あなた方の言うようなあれらのものは、上べを飾るだけの綺麗事であり、自然に反した人間の約束事であって、愚にもつかぬもの、何の価値もないものなのだ。

ソクラテス:人が心に思っていても口には出さないことを、君のようにはっきり述べるのは結構だ。しかし、貪欲な人間とは、魂の中で欲望が宿っている部分が孔の開いた甕になっている、その中にある貴重なものを失うことを恐れて常に苦痛に苛まれているという話もあるのではないか。

カリクレス:いや、自分はそんな例え話で説得されることはない。

ソクラテス:では、君が言う欲望を満たす快的な生活とは、渇いている時に飲む、というようなことだね?そして快と善は同じものだと主張するのだね?

カリクレス:そうだ。

ソクラテス:健康と病気、強さや弱さ、幸福と不幸、善と悪といったものは、一方に近付けば、他方から離れる、という性質があり、もし我々が同時にそれから離れ同時にそれを持つような性質のものを見つけ出したとすれば、それは善と悪ではありえない、ということに同意するかね。

カリクレス:同意する。

ソクラテス:「渇いている」ことは苦しいものであり、「飲むこと」は快いものだね。

カリクレス:そうだ。

ソクラテス:すると「渇いている」時に「飲む」ことは、苦痛を感じているのと同時に快楽を感じていることであり、そしてその行為が成し遂げられた途端に、苦痛も快楽も同時に消えてしまう、するとそうした性質を持つ快楽と苦痛は、善と悪ではあり得ない。また別の仕方でも調べてみよう。思慮と勇気のある人も無思慮で臆病な人も、愉快や苦痛を感じる点では同様だが、例えば戦場において敵が退却して行った時には、双方とも愉快がるのかね。

カリクレス:そうだ。

ソクラテス:敵が攻めてきた時は、どちらの人間が苦痛なのかね。

カリクレス:臆病な連中の方が苦痛に感じるだろう。

ソクラテス:その敵が退却した時には、臆病な連中の方が一層愉快がるのではないか。

カリクレス:多分。

ソクラテス:すると快が善であるならば、無思慮で臆病な人が(敵が退却した際には)思慮と勇気を持つ人よりも善い人間であることになるし、(敵が攻めてきた場合を考慮しても)少なくとも同程度には善い人間ということになってしまう。

カリクレス:貴方は、私がある種の快楽は善だが、他の種の快楽は悪であることを考えていないと思っているのか?

ソクラテス:それを認めてくれるのは結構なことだ。快と善は別のものであり、善を目的として、その為になる種の快だけを選ぶべきだ。それは料理や詩などの営みだけでなく、政治においても変わりない。思えば、テミストクレス、ミルティアデス、キモン、そしてペリクレスといったアテネで大政治家と呼ばれた人びとも、結局民衆の欲求に迎合するだけで、彼らの魂を善きものにするという真の仕事は為し得なかった。アリステイデスだけがその例外だった。様々な専門職の人についてはその技術が吟味されるのに、政治においては物質的な国富や表面的な国威のみが問題にされ、市民を善き人間にするという真の目標は忘れられている。何か不調が起これば、民衆は自らに忠告する人びとにその責を負わせて迫害し、真の責任者たる迎合的指導者を依然褒めそやすだろう。自分も法廷に引き出されるかもしれないが、自ら不正を行わなかったことに誇りを持ち、堂々と死後の裁きを受けるつもりだ。

 

 

 

最高に面白い。

内容的にも主著『国家』に繋がる重要性を持っており、その準備として必読。

訳文はそれほど新しいものではないはずだが、非常に分かりやすい。

強くお薦めしておきます。

2017年7月10日

西村貞二 『リッター  (人と思想126)』 (清水書院)

Filed under: ドイツ — 万年初心者 @ 04:46

ゲルハルト・リッターが戦前戦後を通じて活動し、伝統的政治史を叙述した歴史家であることは、林健太郎氏の著作で知っていた。

あと、ホイジンガ『朝の影のなかに』では、ファシズムに反対するにも関わらず、国家の道義的自立を説いている、とやや批判的に引用されていることによっても。

生没年は1888~1967年。

フライブルク大学に奉職。

ワイマール共和政を「最小限度の悪」として消極的に許容。

シュタイン伝、ルター伝、フリードリヒ大王伝、『権力のデモニー』などを著わし、ひそかなナチ批判を込める。

「第三帝国は道徳的価値の伝統的な組織を失効させたばかりではない。善悪を区別するドイツ人の能力をも鈍磨させた。この行為者には絶対的なものにたいする責任意識がない」

カール・ゲルデラーや告白教会など抵抗グループと関係。

1944年11月逮捕され強制収容所へ。

釈放後、フライブルク大学に戻り、ナチに協力した教授たちを可能な限りとりなす。

最も有名なのはハイデッガー。

ヤスパース宛ての手紙で

「ハイデッガーは強い性格ではない。かれは絶対的に正しいというわけではない。とはいえ、けっして卑劣な密告者ではない。1934年1月30日以来はナチスのはげしい敵対者だった。かれを1933年に不吉な誤ちにみちびいたヒトラーにたいする信頼をまったく失った」

とある。

戦後、ゲルデラー伝、『国政術と戦争技術』を刊行。

アデナウアーとCDUを支持。

途中で記されている著者の西村氏による以下の文章に深く共感。

わたくしの独断と偏見かもしれないが、現代の歴史学者は物語的歴史を見くだす風がある。だが歴史の原初形態は物語的歴史なのである。時には素朴、時には荒唐無稽だが、それにもかかわらず、ヘロドトスから今日までつづいている。歴史には科学性がなければならない。が、物語性を追放したことが結果的に歴史を面白くなくしてしまったのではないか。

リッターは、マキャベリ的権力主義とモア的道義主義の双方の均衡をよしとする。

ボダン、ボシュエのようなフランスの絶対王政擁護者も、神の法による王権の拘束を説いていた。

その均衡を崩したのがフランス革命である。

人間の善性への軽信と伝統的束縛の排除が、結果として無制限の権力拡張たるジャコバン独裁とナポレオン戦争を生む。

フリードリヒ大王とヒトラーの関係も同じ。

フリードリヒ大王の「プロイセン軍国主義」は、実は、冷静な国家理性による政治指導、制限された手段と限定された目標に基づく戦争、完全な国家破壊に至る「無条件降伏」によらない外交交渉による戦争終結をその規範としていた。

戦争は常に政治の意のままになる道具に過ぎず、「総力戦」による敵の殲滅などは目指さない。

ビスマルクもフリードリヒ大王と同じ。

そうした「総力戦」と「国民戦争」が生まれたのはフランス革命以後。

技術の発達と民主化の進展が、戦争の大規模化と徹底化、国家権力の極大化、全体主義化をもたらす。

第一次大戦のドイツ帝国の戦争目的について、その世界制覇を志向する野心を強調する新説をめぐるフィッシャー論争に参加し、フィッシャーに反対する論陣を張る。

その後、リッターとマイネッケの関係を記した章が続くが、正直内容が複雑でよくわからない。

マイネッケの理念史とリッターの政治史はともに、戦後大いに盛んとなったアナール派の構造史・社会史と大きく異なる。

リッターは、主流に抗して物語史・事件史をあえて重視。

アメリカの歴史家が、「客観性」を拒否し民主主義的理想を支持する立場から、歴史を生に直接奉仕させようとする傾向も、リッターは批判。

社会史・経済史の重要性ははっきり認めながら、政治史を「表面的歴史」として排除することには反対した。

 

 

そこそこ面白い。

私が歴史に対してぼんやりと持っている考えとも近いので、共感する所が多い。

興味のある方はどうぞ。

2017年7月6日

カフカ 『審判』 (岩波文庫)

Filed under: 文学 — 万年初心者 @ 01:21

有能な銀行員ヨーゼフ・Kが、ある日全く理由もわからずに逮捕され、不可解で不明瞭な訴訟手順に巻き込まれるという話。

ナチスのような全体主義国家の到来を予言したかのような作品として有名。

だが、読んだ限りでは、本書の描写は全体主義国家と言うには、(最後を除いて)やや曖昧である。

少なくとも表面上は平凡な社会生活が続いており、主人公も投獄されるでもなく仕事を続ける。

だが突如強いられた訴訟手続きは、被告にはルールが全く不明であり、少しでも自身の有利を図ろうと、あれこれ非公式的な伝手に頼ろうとするが、弁護士を含めそれらの人間すべてが、主人公を告発した裁判所の手先にすら思えてくる。

この訴訟の主体である、悪の主体は匿名の闇に紛れて、全く正体を掴まれないまま、物語は終わる。

これはわかりやすい全体主義社会ではなく、現在の先進国のような「自由社会」での「世論の専制」を描いた作品なのではないか、と感じた。

 

 

そんなに長くはないし、初心者でも読めないことはない。

だが、さして面白いわけでもないし、何かをすっきりとした形で感得させてくれる本でもない。

まあ私の鈍い感性ではそれが限界です。

カフカも、もうこれでいいでしょう。

一番有名な『変身』が短編なんで、長編作品からこれを選んだが、残りの『城』『アメリカ』などを読む余裕は無い。

私独自の仮想「世界文学全集」で、カフカの巻の収録作品はこれでおしまいです。

2017年7月2日

モンテスキュー 『法の精神』 (中公クラシックス)

Filed under: 思想・哲学 — 万年初心者 @ 04:46

これも全訳だと長い。

岩波文庫全3巻だが、読めないこともないかもしれない。

そんな気がする。

しかし無理をせず、この抄訳版に取り組んでみる。

「世界の名著」シリーズのモンテスキューの巻に収録されていたもので、原著の三分の一程度を訳出したもの。

うん、これは普通に読める。

三権分立論を説いた古典として、中学校教科書にすら載っている。

まず、全ての政治体制を三つに分類する。

そう言われると、ほとんどの現代人は、君主制、貴族制、民主制と挙げるはずである。

しかし、モンテスキューの分類は違う。

君主制、共和制、専制となる。

大概の人は「何か変だなあ、君主制と専制って似たようなもんじゃないの?」と思うかもしれない。

しかし、モンテスキューによると、前二者が穏和で正常な政治体制であるのに対し、専制は異常で劣悪な体制である。

共和制の中で、人民の一部が主権を持つものが貴族制で、人民全体に主権があるものが民主制。

君主制は一人による統治とは言うものの、法と慣習に則り、貴族や教会をはじめとする様々な中間団体に制約されたもの。

それに対し、専制は独裁的支配者による恣意的支配で、統治者以外は全て奴隷的存在であり、しかもその支配の緩みが即統治者自身の破滅に直結する、不安定かつ抑圧的な体制。

それぞれの体制は、共和制が「徳」、君主制が「名誉」、専制が「恐怖」という発条的精神を持つ。

同じ正常な体制でも、共和制は小規模で質朴な風習を持つ国にしか適合しないので、著者はフランスを含む君主制国家が専制に陥ることなく、抑制と均衡に基づいた国政を敷くことを願っている。

面白い。

同じ政治思想の古典でも、社会契約説の著作より、今読むとはるかに興味深い。

実質的に得るところが多い。

この抄訳でも読んでおけば、かなり有益。

普通にお薦めできます。

2017年6月22日

飯田洋介 『ビスマルク  ドイツ帝国を築いた政治外交術』 (中公新書)

Filed under: ドイツ — 万年初心者 @ 01:43

「国民的英雄」と「ナチズムの先駆者」という両極端の評価を退け、等身大の実像を描き出そうとした伝記。

2015年刊。

ベルリンより100キロほど西のシェーンハウゼンで、1815年ナポレオンの百日天下の最中に生まれる。

ユンカー出身。

ウィーン体制下で、プロイセンはラインラントを獲得、ドイツ連邦が設立される。

ビスマルクは酒と喧嘩に明け暮れる破天荒な大学生活を経て官吏になるが、離職、ユンカーの農場経営に入る。

結婚を期に信仰を深め、1847年プロイセン議員となり政界進出。

ゲルラッハ兄弟ら強硬保守派に接近。

翌48年ドイツ三月革命勃発。

その際成立した自由主義内閣を一時容認するかのような発言もするが、総体的にはもちろん反革命の闘士として活動。

19世紀ナショナリズム・自由主義への反抗を、議会・新聞・協会という近代的手段で繰り広げる。

生涯を通じて外的環境の変動を受けて、伝統的保守的価値を革新的手段で擁護しようとした。

フランクフルト国民議会へも敵意を示す。

19世紀ドイツ史においては、君主・貴族など国家の保守的な上層部が民族統一運動に消極的・警戒的だったのに対し、民衆の中の進歩的自由主義的勢力がそれを熱狂的に追い求めたことはしっかりと頭に入れておく。

もちろん後者が勝利を占め、その結果20世紀に破滅的事態がもたらされた。

フリードリヒ・ヴィルヘルム4世は国民議会から提供されたドイツ帝冠を拒否。

ドイツ統一よりもプロイセンの利益を最優先。

ビスマルクは、さらに、国王側近らの「連合」政策=上からの小ドイツ的統一政策にも反対する。

ドイツのもう一つの大国オーストリアの反発で、1850年オルミュッツ協約が結ばれ、「連合」政策も失敗。

ビスマルクはオルミュッツ協約を肯定、オーストリアとの協調を重視した。

しかし、これは正統主義イデオロギーからのものではなく、国益の観点からの主張であるとされている。

1851年から、ビスマルクはドイツ連邦議会のプロイセン代表となる。

ここでその生涯で極めて重要な転機が訪れる。

反オーストリア的姿勢への転換である。

結果、それまで近かった強硬保守派との軋轢が生じる。

ウィーン会議で設立されたドイツ連邦は国際的な君主同盟に近いもので、連邦統一国家とは言えない。

「ドイツ同盟」という訳語を当てる場合も近年はある。

普墺両国の事実上の拒否権があり、他国からの侵略への防衛体制としては機能しており、これが可能な限り続いた方がドイツとヨーロッパにとって良かったんでは・・・・・と思える。

民衆的ナショナリズムの要求に国家上層部が押し流されるようにして達成されたドイツ統一がもたらした動乱を考えると・・・・・。

だがメッテルニヒ失脚後、オーストリア宰相となったシュヴァルツェンベルクは、小ドイツ統一政策への反発からか、プロイセンを露骨に「ジュニア・パートナー」として扱い、プロイセン朝野の反感を買う。

クリミア戦争でオーストリアがドイツ連邦を動員して対露宣戦を目論むが、プロイセンの反対で挫折。

ビスマルクももちろん反対したが、これを彼の功績に帰するのは過大評価だとされている。

ナポレオン3世と接し、1858年王弟ヴィルヘルム(のち1世)が摂政になると、59年駐露公使に任命。

同年イタリア統一戦争でもオーストリアを支援することに反対。

1861年ヴィルヘルム1世が即位。

ビスマルクはドイツ・ナショナリズムへの接近とその利用を主張。

軍制改革で自由主義政党であるドイツ進歩党の反抗で政治危機発生。

62年ビスマルクがプロイセン首相に就任。

有名な「鉄血演説」は全体的には自由主義勢力への妥協を求めるものだったが、この部分だけが失言として取り上げられたもので、言わば失敗の記録。

ドイツ関税同盟で経済的優位を占める普に対し、ドイツ連邦改革で対抗しようとする墺。

1863年ポーランド反乱でビスマルクは露に配慮し協力、これには内外ともに反対が多く、墺の威信が回復する。

また、社会主義者ラサールと接近、普通選挙ではあるが、納税額別の三級選挙制度を完全な平等直接選挙に改めることを検討するが、これは中間層市民の自由主義に対し、保守的農民を取り込むのが目的。

外交面ではドイツ連邦強化を目論む墺に対し、より統一色の濃い主張で対抗、ドイツ・ナショナリズムを味方につけようとする。

ビスマルクが陥った内外の苦境を対外危機が救う。

1864年シュレスヴィヒ・ホルシュタインをめぐるデンマーク戦争、66年普墺戦争。

プロイセンの大勝利で、進歩党から国民自由党が、保守党から自由保守党(のちの帝国党)が分離し、両党ともビスマルクの与党となる。

当時オランダと同君連合関係にあり、ドイツ連邦に加入していたルクセンブルクを代償にフランスにドイツ統一を認めさせようとするが、ドイツ世論の反発で失敗、フランスにはかえって遺恨を残す。

北ドイツにおけるプロイセンの覇権確立が当初の目的だったが、ナショナリズムの利用で完全なドイツ統一事業を推進せざるを得なくなった。

ナショナリズムを統御できず、かえって自身の政策・行動が規定されてしまった。

その結果起こった普仏戦争は、近年「独仏戦争」と呼ぶ方が適切とされている。

攻守同盟によって南ドイツ諸邦も参戦しているので。

後世に禍根を残したアルザス・ロレーヌ併合は、ビスマルク自身は反対しておらず、フランスの感情を和らげるよりも復讐への備えをした方がよいとの判断をしたからだとされている。

「大プロイセン」を目指したビスマルクの政策が「小ドイツ」の統一に帰結した。

・・・・・ドイツ史における画期的な転換点である1871年のドイツ帝国創建は、ビスマルク自身の根幹ともいえる伝統的なプロイセン主義というこれまで受け継がれ培ってきた要素と、それとは相反するドイツ・ナショナリズムという全く新しい要素が奇妙な形で融合した産物であったといえよう。ビスマルクからすれば後者によって前者を擁護・発展させたことになるのかもしれないが、恐らくは後者によって前者が(彼自身を含め)変質を余儀なくされたというのがより実態に近いのかもしれない。

ドイツ帝国議会は男子普通選挙で選出(各邦議会では三級選挙などが存在)。

当時としては先進的。

英国に比して、独仏の方が民主的制度を保持していた、だからこそ独仏は「失敗」したんだ、という見方については『レ・ミゼラブル』の記事参照。

保守党・帝国党・国民自由党が与党。

帝国宰相(首相ではない)が組織する政府は、よく知られているように責任内閣制ではない(個人的にはこのことを強調するのはバランスに欠けているように思えるが)。

統一達成後、国内に敵を作り出す「負の統合」手法が採られる。

70年代にはカトリック敵視の文化闘争。

しかしヴィントホルスト率いる中央党は、70年代後半には議席の約四分の一を占めるまでに成長。

続いて1878年社会主義者鎮圧法。

これも失敗。

社会主義労働者党は着実に勢力拡大。

1879年は内外政策の転換点、保護関税導入と国民自由党との連携解消。

替わって中央党と協力、両党の勢力関係が入れ替わる。

社会政策も推進したが、社会主義勢力減殺という目的通りの政治的効果は得られず。

外交では、フランスの孤立化を最重視し、ドイツ自身は「充足国家」として平和外交を推進。

1873年、三帝協定締結(軍事的約束ではなく友好協力関係宣言に過ぎないので、高校世界史で用いられる「三帝同盟」の語は当たらないとされている)。

この独墺露の協力がビスマルク外交の基本だが、不幸にしてウィーン体制下のように君主と貴族という各国の上層部が保守的価値観を共有して破局的な全面対立を避けるという事態はもはや過去のもので、粗暴で過激なナショナリズムに煽られた国民世論が無分別に敵意をぶつけ合い、国家指導層もそれを制御できず、近代技術によって国家そのものを破滅させるような悪魔的とも言える総力戦に突入する時代となっていた。

結局、ビスマルク以後、ドイツは墺露両国および墺伊間の衝突を回避できず、外交的孤立と敗北に向かうこととなる。

フランスへの予防戦争威嚇は、英露の反対で失敗。

すると、ビスマルクはオスマン帝国を犠牲にして英墺露に東欧・中東への進出を促す。

その結果、各国が対立し合えば、フランスを除く全ての列強がドイツを必要とするようになる、と考えた。

1878年ベルリン会議でそれを実現できたが、ロシアの強い不満が残った。

それへの「急場しのぎ」で1879年独墺同盟締結。

これでかえってロシアは独に接近してくる。

次にビスマルクは、それまで自身が否定していた海外植民地獲得に乗り出す。

1884年アフリカ分割に関するベルリン会議開催。

ナミビア、トーゴ、カメルーン、タンザニア、ルワンダ、ブルンジなどを取得。

この政策転換の原因について主に二つの説がある。

内政的要因を重視するものとしては、ドイツ国内の社会的緊張を隠し、現存秩序を安定化させるためとする説。

外政的要因説は、当時ビスマルクが一時的に採用していた親仏反英政策(「親仏」とはフランスに海外植民地獲得を勧め、欧州での対独復讐欲を逸らす目的)の一環であり、ヨーロッパの勢力均衡をグローバルに拡大するための持ち駒として植民地を獲得したのだとするもの。

実は、内政的要因説の変種として、もう一つの説がある。

「皇太子テーゼ」と呼ばれるもの。

ヴィルヘルム1世の子で、英ヴィクトリア女王の長女と結婚していた親英派の皇太子フリードリヒの即位をにらんで、自身の政治的影響力を維持するため、意図的にイギリスとの対立を作り出そうとしていたとの説。

何やら表面的・非学問的に思えるが、著名なジャーナリストで独創的な歴史家でもあるセバスティアン・ハフナーは、この「皇太子テーゼ」が真実に最も近いのではないかと判断している(『ドイツ帝国の興亡』)。

少し話が戻って、1881年ビスマルクは第二次三帝協定を締結、その外交の基本的枠組みを復活させることに成功。

翌82年にはフランスのチュニジア占領に反発したイタリアを誘って、独墺伊三国同盟を樹立。

83年には独・墺・ルーマニア間のもう一つの「三国同盟」(独墺羅三国同盟)も締結(これは完全に高校世界史範囲外だが)。

このように、三帝協定の崩壊という最大の窮地に対して「急場しのぎ」で対処した結果、ビスマルクは念願の三帝協定を復活させるだけでなく、イタリアやルーマニアとの間にも同盟関係を構築し、結果的には一八八〇年代前半の中東欧にドイツを中心とした(秘密条約に基づく)同盟網を築いたのである。これによってドイツはフランスから攻撃を受けた場合には、ロシアとオーストリア・ハンガリーからは好意的中立を、イタリアからは軍事的援助を得られるようになった。フランスからの軍事的脅威に対するドイツの安全保障は、一応ここに確保することができたのである。当初から目指していたわけではないにもかかわらず、結果としてこのような同盟網を築いて(十分ではないものの)ドイツの安全保障を確保したビスマルクの外交的手腕は、見事としかいいようがない。

しかしながら、この同盟網はロシアの出方によって、その存続が著しく左右されるものでもあった。ロシアがライヴァル国イギリスと衝突した場合には、ドイツは第二次三帝協定に基づいてロシア寄りの立場に立つため、イギリスとの対立を惹起しかねなかった。また、ロシアがバルカン半島をめぐってオーストリア・ハンガリーとの対立を再燃させた場合には、ドイツの安全保障を一気に脅かしかねなかった。そのためビスマルクは、一八八〇年代を通じて、イギリスとの友好関係を維持するとともに、ロシアとオーストリア・ハンガリーの関係を緊迫させないように調整し続けなければならなかったのである。

この後、上述の80年代半ばドイツ自身の植民地政策推進の記述が来る。

ビスマルクの「反英」植民地政策はあくまで内政的考慮から出た一時のもので、基本的にはエジプトへの進出を後援するなど、協力関係の維持を目指していた。

だが、結果は以下のようなものとなる。

彼の動機を特定するのは非常に困難なのだが、それが何であれ、ここで重要となるのは彼の動機ではなく、むしろ結果の方であろう。いったん植民地政策が始動すると、植民地獲得をめぐる動きは――このときドイツが獲得した植民地のほとんどが、経済的価値が乏しかったこともあって――彼の想定をはるかに超えて展開していくことになる。こうした「日のあたる場所」を求める動きは、彼が退陣した後、ヴィルヘルム二世の下での積極的な帝国主義政策、いわゆる「世界政策」の下で箍が外れたかのように加速し、ヨーロッパ外で他の列強との衝突を繰り返すようになる。しかも、植民地行政がさらに肥大化し、右記の理由と相俟って、行政・財政両面で帝国に大きな負担をかけるようになっていくのである。

こうして見ると、内政的なものであれ外政的なものであれ、帝政期に入って培ってきたものを守るためにビスマルクが利用しようとした帝国主義的な要素は、彼の手に負えるような代物ではなかったということになろう。

80年代後半、ヨーロッパ内部で再度の危機発生、ビスマルクは植民地政策を二の次にし、またもや欧州外交再構築を迫られる。

ブルガリアの王朝交替をきっかけに墺・露対立が再燃、対独融和的な仏首相フェリーが失脚し、ブーランジェが陸相に就任したことで、独仏間も緊張。

これに対応して、ビスマルクは再度同盟網を構築。

1887年、英・伊・墺の間で地中海協定成立を斡旋(独自身は参加せず)。

ロシアがブルガリアないしボスフォラス・ダーダネルス海峡に進出することを阻止するためのもの。

同年中に成立した第二次協定では武力行使も想定され、「オリエント三国同盟」とも呼ばれる。

さらに同年墺・伊の意見を調整し、三国同盟を更新。

そして「独露再保障条約」も締結。

この「二度目の三帝協定崩壊」危機に対するビスマルクの対応について、少々長いが重要な内容と思われる本文を以下に引用する。

こうした「急場しのぎ」の対応の結果、ヨーロッパには「ビスマルク体制」と称される国際秩序が姿を現した。それは、フランスを外交的に孤立させた、ドイツを中心とした同盟網であった。だが同時にそれは、ドイツの安全保障を確保するために同盟や協定が複雑に入り組んだ同盟システムであり、フランスを孤立させた点を除けば、ビスマルクが当初想定していたイメージとは大きくかけ離れたものであった。以前、ドイツの歴史家W・ヴィンデルバントがこの同盟システムを最初から一貫した統一的なシステムと評価したことがあったが、これに異論を唱える歴史家は数多く、今日ではすでに見てきたように、二度の三帝協定崩壊という事態に急ごしらえで対処した「急場しのぎシステム」としてビスマルクの同盟システムを評価するのが一般的である。

だが、この同盟システムでは様々な同盟や協定が複雑に入り組んでおり、それぞれの同盟や協定が整合するのかという疑問が生じる。まさにこの点がビスマルク外交研究の大きなテーマであり、先行研究において一番関心が集まったのが、ロシアとの再保障条約が絡んだ次の二つのケースであった。

一つ目は、再保障条約と第二次地中海協定である。先述のように、ビスマルクは再保障条約の秘密付属議定書においてロシアのブルガリア、さらにはダーダネルス・ボスフォラス両海峡への進出を容認し、第二次地中海協定においてバルカン半島における現状維持を支持している。両者は明らかに内容の面で抵触するのだが、第二次地中海協定にドイツが参加していないため、表面的にはかろうじて整合性が保たれている。だが、バルカン問題をめぐってロシアがイギリスとオーストリア・ハンガリーに対して戦争を起こした場合、果たしてビスマルクはどのようなスタンスをとるのだろうか。

二つ目は、再保障条約と独墺同盟である。先に見てきたように、再保障条約は独墺同盟と抵触しないように条約の文言が作成されている。ロシアがオーストリア・ハンガリーを攻撃した場合には、ドイツは独墺同盟に基づいてオーストリア・ハンガリーを軍事支援するが、その逆の場合には再保障条約に基づいてドイツはロシアに対して好意的中立を保つことになる。だが、実際にロシアとオーストリア・ハンガリーの間で戦端が開かれてしまった場合、例えばロシアが挑発してオーストリア・ハンガリーに先制攻撃させた場合、そして戦局が推移してロシアがオーストリア・ハンガリーに攻め込む事態が生じた場合、果たしてドイツはどのような立場をとるのか。

まさにこの点こそが、ビスマルク退陣後のドイツ政府首脳を悩ませた問題であり、一八九〇年に期限切れを迎える再保障条約を更新しないという判断を下す理由となったのである。だがこの判断が、ビスマルクが最も恐れていたロシアとフランスの軍事同盟を惹起することにつながったことはよく知られている。露仏同盟は、一八九四年に現実のものとなった。

果たして、実際に戦争が生じたときに、この同盟システムは機能したのだろうか。ビスマルク在任中にそのような事態に至っていないために何ともいえないが、ビスマルク退陣後に再保障条約不更新を決定するまでの外務省内のプロセスを見ていると、同盟システムが機能不全に陥ってしまい、ドイツが外交的に苦境に立たされる可能性は十分あったと思われる。だがここで注意したいのは、この同盟システムが、実際に戦争が起こった場合を想定して築かれたのではなく、いかにして戦争を起こさせないかという抑止の論理に基づいて築かれたものであるという点である。その意味で見たときに、初めてビスマルク外交を「平和外交」と評価することが可能なのかもしれない。

ただし、いずれも秘密条約であり(独墺同盟は一八八八年に公表される)、しかもこの同盟網の全体像を把握していたのは、ビスマルクを含めほんの一握りでしかなく、同盟システムにおけるビスマルクの真意が外務省幹部間でも共有されていたかというとそうではなかった。やはり、このシステムはビスマルク並みの「術」がなければ、機能させるどころか、存続させることさえも不可能なものであり、結局のところ、ビスマルクあっての国際秩序でしかなかったのである。

本来彼は、領土補償という極めて伝統的な外交手法で、列強が抱く領土・植民地獲得欲を利用しながら、五大国間の勢力均衡を保つことで、ドイツの安全保障の確保を目指していたはずであった。しかしながら、ビスマルクといえども列強の領土・植民地獲得欲を完全に統御することはできず、思わぬ形で到来した外政面での危機に対処すべく「急場しのぎ」で同盟システムを構築したのである。たとえ「急場しのぎ」であったとしても、あれだけ複雑な同盟網を瞬く間に構築した彼の外交手腕は、確かにもっと高く評価されてしかるべきであろう。だが、それは本来彼が目指していたものではなく、内政面のみならず外政面でも、彼は自身の抱くイメージを完全な形で実現させることはできなかった点を見落としてはいけない。

1888年ヴィルヘルム1世死去を受けて、フリードリヒ3世が即位するが、在位99日で死去。

新皇帝ヴィルヘルム2世はロシアへの強い危惧の念を持ち、親露路線のビスマルクと対立。

1890年ビスマルク退陣。

ヴィルヘルム2世の「世界政策」はドイツを孤立化させ、第一次大戦の破局に至る。

歴史家のヴェーラーは「内政優位」の観点から、ビスマルクに代表される権威主義的・伝統的エリート支配層が、再保障条約を結びながら一方で保護関税を強化するなどロシアへ不確実性を思わせる態度を採ったため、すでにビスマルク外交で和解不可能な敵となってしまっていたフランスとロシアの接近を招き寄せた、その原因は国内が議会主義化しておらず、責任ある政治が確立されていなかったからだ、とする(私には、世論が国政に反映されていれば、より好戦的で国際協調に配慮しない外交政策が採られていたように思えてならないが)。

一方、「外政優位」の観点に立つ史家ヒルデブラントは、ビスマルクは第一次大戦に向かう動きに、その外交術で抵抗しようとしていた、欧州の中央部に位置するという地理的不利と帝国主義という時代潮流に対して、「充足した大国」として自制的態度を示し、平和を維持することがドイツの安全を保障すると考えたが、世論を含め周囲から受け入れられず、結果として「急場しのぎ」の同盟システムを構築する以外になかった、とする。

引退後、皇帝親政批判を暗に行いつつ、1898年に死去。

生前行った、ある演説での「我々ドイツ人は神を恐れるが、それ以外の何ものをも恐れない」との一節を、その後にあった「神への恐れから、すでに我々は平和を愛し育んでいるのです」という言葉を省いて引用するような、歪んだ崇拝神話に死後包まれる。

保守的価値を近代的手段で守護しようとし、状況の変化にすばやく大胆に対応する「術」には長けていたが、結局手段の方に振り回されてしまう展開になった生涯、と評されている。

 

 

古くはエーリヒ・アイク『ビスマルク伝 全8巻』(ぺりかん社)から、エンゲルベルク『ビスマルク 生粋のプロイセン人・帝国創建の父』(海鳴社)、ガル『ビスマルク 白色革命家』(創文社)、最近ではジョナサン・スタインバーグ『ビスマルク 全2巻』(白水社)などの伝記が出ているが、どれも大部なので、こういうコンパクトな本の方がとりあえずいいでしょう。

個人的生涯・内政・外交について過不足なく書かれた印象があって手堅いです。

良書。

安心してお奨めできます。

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